Experiences in UK
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2004年04月13日(火) 第34-35週(週末・連休編) 2004.3.29-4.12 英国の高速道路、ケンブリッジ、カンタベリー

(英国の高速道路)
イースター連休の後半に、イングランド東部と同南東部に出かけました。この連休期間中に計1,000キロ程度車を走らせました。無料でどこまでも行けて、渋滞の少ない英国の高速道路は実に有り難いものです。
英国の高速道路を走っていて感じることを少し。英国の高速道路を走る車は、全般的に日本よりもとばしています。米国ではスピード違反の取り締まりが厳しいために意外と安全運転ということを聞いたことがありますが(州による違いも大きいようです)、こちらは高速道路の車に限っては速いです。3車線道路の真ん中の車線で標準速度が時速80マイル(130キロ)くらいですから、追い越し車線だと150キロ以上は普通に出ている感じです。取り締まりについては、街中ではカメラが随所に設置されているなどけっこう厳しくて、英国人ドライバーもかなり気にして走っているようですが、高速道路ではあまり気にしないようです。ぼろい小さな車に乗ったご老人が信じがたいスピートですっ飛ばしていく様も、日本ではあまりお目にかからない光景です。
以前に書いたように路面の状態は日本ほどよくありませんが、もちろん走るのに支障があるわけではありません。ただ、外壁などにほとんどカネをかけていないからなのでしょうか、(かわいそうなことに)動物の死骸が非常に多く見かけられます。

(ケンブリッジ Cambridge)
大学で有名なケンブリッジの街は、ロンドン東側から北に伸びる高速道路M11を小1時間走った場所にあります。数学者・藤原正彦氏が1年間のケンブリッジでの研究、生活体験をまとめたエッセー「遙かなるケンブリッジ」を読んでいたので、この機会にその舞台を訪ねてみることにしました。
ケンブリッジ大学の創設は13〜14世紀に遡ります。オックスフォードで生じた大学と地元住民との間の激しい対立が引き起こした暴動騒ぎから避難してきた学生たちが、ケンブリッジ大創設のメンバーです。その後、図式的にいうと、理科系のケンブリッジ、文科系のオックスフォードとして勇名を馳せてきたのはご存じの通りです。
よく知られているようにケンブリッジ大学というのは、そのような名前の一つの大学があるわけではなく、約30に分かれて存在する「カレッジ」をひっくるめたものを指します。なかでも最も広大な敷地と巨大な建造物を誇るキングス・カレッジは、かのイートン校を創設したヘンリー6世が卒業生の進学先として設立したのが始まりでした(1441年)。キングス・カレッジの礼拝堂は、着工から約100年の歳月をかけて完成されたもので、巨大でかつ息をのむような凝った細工が印象的でした。当時の技術の粋を集めて作られたとのことです。

(ラヴェナム Lavenham)
ケンブリッジから東に約50キロのサフォーク県にあるラヴェナムという小さな町は、「傾いた家(crooked house)」で有名です。この町のほとんどの家は本当に傾いて建っています。15世紀頃に建てられたチューダー様式(露出した木組みと漆喰が特徴)の木造家屋で、わざと傾いて建てたのではなく、500年の歳月がもたらした自然の摂理で傾いているらしいのです。町を歩いているとちょっと奇妙な感覚にとらわれます。
また、この町はアンティークの町としても知られているらしく、アンティーク・ショップがあちこちにありました。我々が訪れた日は、たままた町の小学校らしき建物でアンティーク・フェアが開催されていました(目の利かない我々にとって、半分は町のがらくた市といった感じでしたが)。
町の中心には、環状に建物でぐるりと囲まれた小さな広場があります。周囲の建物のうちの1軒にパブ兼B&Bがあり、店の前のテーブル席には、のんびりとおいしそうに昼下がりのビールを飲んでいるおじさんたちがいました。パブ・サインのエンジェルに誘われるままに(店の名前がAngel)、いつしか私の足もカウンターの方に向かっておりました。
小さな田舎町でしたが、ちょうどいい加減の広さのエリア内に歴史的な風情を満々とたたえた味のある町でした。
帰ってから気づいたのですが、「しっぽだらけのイギリス通信」(安河内志乃著、文芸社)にもラヴェナム訪問記があります。

(イースト・ベルゴット East Bergholt)
ラヴェナムから車で30分ほど南下したところにあるイースト・ベルゴットという村は、ナショナル・トラストに保護・管理されている村です。
英国ナショナル・トラストは日本でもよくその名が知られていると思いますが、1895年に立ち上げられた自然・文化遺産の保護を目的とした組織です。特徴は、保護対象を買い取り、ナショナル・トラスト自身で管理する点にあります。これまでに我々が訪れた場所の中にも、ナショナル・トラストの保護下にあるところがたくさんありました(エイブベリー、ストーン・ヘンジ、セブン・シスターズなど)。セブン・シスターズをはじめとした英国南東部の一連の白い岸壁(ホワイト・クリフ)については、数十年前にエジンバラ公(エリザベス女王の夫君)の肝煎りで始まったネプチューン計画という大規模な海岸線買い取りプロジェクトの下で保護対象に入り、開発されることを免れて現在もその美しい姿をとどめています。
ナショナル・トラストの所有地(プロパティ)に共通している点として、観光客は多くても実に静かな環境にあることがあげられます。これは、ナショナル・トラストが周辺地域一帯を丸ごと買い取り、管理しているために、無粋な土産物屋の類は言うに及ばず、景観を壊すような建物なども一切建てられないようになっているためなのでしょう。正直に告白すると、日本にいる頃はナショナル・トラスト運動に対してちょっと偽善っぽい印象を持っていたものでしたが、当地に来て実際にそのプロパティを訪れ、運動の意義深さを思い知りました。

さて、イースト・ベルゴット村もまた素晴らしく美しい景色の村でした。ただ、何があるというわけでもなく、その素晴らしさを文字で表現することはほとんど不可能です。延々と広がる草原に牛が放牧されていて、草原の脇をきれいな小川が流れ、川面には白鳥や水鴨がおり、周囲の林からは様々な鳥のさえずりが聞こえてきます。草原には、フット・パスが設けられており、見えなくなるまで延々と続いています。この村の人たちとナショナル・トラストは、あるがままの風景が村自身の財産と考えており、それを維持・保存することに莫大な情熱を注いでいるようです。
確かに、事実としてこの村の風景は芸術に昇華されています。この村で生まれ育った風景画家コンスタブルが描いたイースト・ベルゴットの風景画は、数少ない英国産の絵画芸術作品として広く知られています。彼らは、18世紀に描かれた風景画の景観をそのまま保存しようという途方もないことを考えているのです。

(カンタベリー Canterbury Cathedral)
カンタベリーは、ロンドンから約100キロ南東に位置し、風光明媚な自然環境で有名なケント県にあります。中心は、英国国教会(英国では正式宗教が法的に定められています)の総本山であるカンタベリー大聖堂です。カンタベリーの大主教は、英国国教会における最高位の聖職であり、上院議員の資格も有します。
また、カンタベリー大聖堂は、ユネスコ世界遺産に登録されている由緒正しき文化遺産でもあります。「英国で最も古く重要なゴチック様式の傑作と言われている」(在日英国大使館HPより)大聖堂は、15世紀頃に完成しました。ケンブリッジの礼拝堂なども同様ですが、これら何百年もの時を刻んだ建造物は、間近で見ると石の壁が風化していたり黒ずんだりしていますし、木製の椅子や柱は数十年の歳月では不可能なすり減り方をしています。

(ドーバー城 Dover Castle)
カンタベリーから車を小1時間走らせると、大陸欧州との玄関口であるドーバーの港町に着きます。
玄関口であると同時に国家防衛の要衝でもあるドーバーには、紀元前後にローマ人が軍事施設を設け、12世紀にはイングランド国王ヘンリー2世が港を見下ろす丘の上に城塞を築きました。これが、現在も残るドーバー城のはじまりです。
ドーバー城内からは、ドーバーの白い岸壁(ホワイト・クリフ)やドーバー海峡が一望でき、霞の向こうにフランスの陸地を確認することができました。城内には、1216年のフランス軍によるドーバー城攻囲を再現したアトラクション施設などがあります。また、ドーバー城は1960年代まで陸軍が所有しており、第2次世界大戦中に実際に作戦会議を開いていた秘密の地下司令室がありました。この地下室は、最近になってようやく公開されるようになったそうです。


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