明後日の風
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2011年01月02日(日) 進むべき道

 360度、どこまでも海。



 日本海からの寒気の張り出しのために、東京から1,000kmの洋上と言えども、シャツ一枚では少々寒い。甲板の上をジョギングする人が一人。それっぽっちで、船のエンジンの音だけが響いている。


 360度の海。地球の大半が海なのだから当たり前、と自分の脳味噌は理論的に理解してはいるものの、現実に見ることができる機会はそれほど多くはない。海運業に携わる人、あるいは世界一周なんていう高級クルーズに参加できる人々、そんな人々以外には、近海や沿岸沿いをちょっとばかり船で移動するくらいが現実的経験であろう。

 年末30日に出発した僕らの船は、強力に張り出してくる寒気を避けて、南へと進んだ。そして目的地父島を通り過ぎ、ついには火山列島の南端である南硫黄島をも通り過ぎてしまった、という寸法なのである。
「おいおい、父島へ行けないの?」
と言いたいのは山々なのだが、これだけ波が高ければ仕方がない。そもそも
「父島なんてとっくの前に過ぎちゃいましたよ」
という状況なのだ。全ては自然の仕業であるのだから、山小屋でじんわりと天候回復を願うように、守られた船内で「たわいの無い」話しをし、酒を飲み、そして寝る、という三種の神器を繰り返すしかないのである。


 揺れがおさまった。甲板に出た。
 Tシャツでいいよ、というくらいに温かい。
 沖縄本島よりもずっと南なのだ。
 そして、僕達は太平洋上で元日を迎えた。

 目標とは違う流れになったからと言って、その違う流れにも、きっと違う「発見」がある。ポジティブに考えるということは、そういうことだと思っている。


 元旦の日中。
 硫黄島を通過した。
 擂鉢山がよく見える。
 南硫黄島を見た時には、小笠原最高峰を見たという気分で「キャッキャ」はしゃいでしまった自分なのだが、今は違う
 27,000人以上が戦死したというこの島。その流れの先に、今がある。そういう実感が脳味噌の中に溢れてくる。太平洋戦争開戦から70年。

 「合掌」

 そして船は一晩越えた今も、まだ360度の海の中を進んでいる。
 どこに行くのだろう?


さわ