女の世紀を旅する
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| 2005年03月08日(火) |
シモーヌ・ヴェーユの哲学 : 重力と恩寵 |
シモーヌ・ヴェーユの哲学 : 重力と恩寵
20世紀の女性哲学者の中では異彩を放つ存在である。 信念に生き,信念に従って行動した,その壮絶な生きざまと至高の愛には感動すら覚える。ユダヤ人として生まれた数奇な運命が独特の思想と信念体系を生み出したといえよう。日本でも,もっと評価されてよい哲学者である。
★【フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェーユの略歴】
1909 パリ在住のユダヤ系中流家庭に生まれる。アンリ四世校で哲学者アランに師事、パリ高等師範学校を卒業後、哲学教師としてリセで教鞭をとる。 1934〜35 未熟練女工として工場で働き、肉体労働者の境遇を体験。
1936 スペイン市民戦争が起こると義勇軍兵士として参加。
1940 ナチスによるパリ占拠後マルセイユに移住し、古代ギリシャ思想、キリスト教、カタリ派、道教、インドやエジプトなどの諸宗教について思索。
1942.5 両親とともに兄アンドレの待つニューヨークに亡命。
1942.11 単身ロンドンに渡り、ドゴール率いる自由フランス政府軍の対独レジスタンス運動に参加する。
1943 帰国の希望を断たれたまま、ロンドン郊外のサナトリウムで34歳の生涯を閉じる。
【シモーヌ・ヴェーユの言葉から】
★ 「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」
★「美とは飽きがこないことである。飽きてしまったら,もはや美ではない」
シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵』(講談社文庫)より
●愛について
あるものが存在することを愛し、そこに自分の手を下そうとしないこと、これこそが愛である。このように神はわれわれを愛する。さもなければわれわれは瞬時にして存在しなくなるだろう。(カイエ�勝。陦横毅粥�
●悪について
想像上の悪は、ロマンチックで、奇想天外で、波瀾万丈である。実際の悪は、陰気で、単調で、無味乾燥で、退屈である。(カイエ�検。陦苅苅魁�
●痛みについて
ひとは苦しみによって身体を調教する。自分の悲惨さのひとつをとらえるたびごとに、もしそれに苦しむならば、身体はなにかを学ぶ。 (カイエ�検。陦苅隠魁�
●芸術家について
天才的な芸術家は、神を自分の芸術の意図にではなく、技巧の手順そのもののうちに位置づける。 (カイエ�将機。陦械僑亜�
芸術家たち。ある芸術の天分に恵まれた人間は、その芸術に関して、考えないという己れの能力に正確に比例した完成度に到達することができる。人生という芸術に関しても同様である。(カイエ�検。陦械牽院�
●解脱(げだつ)について
初期の禅宗の方法は、それ自体があらゆる執着にとってかわるほどまでに激しい真空(空無)への探求であるように思える。しかし、それは真空(空無)にあるのだから、能動的にそれが求められないかぎり、執着の対象ではあり得ない。そしてこの無益な探求の能動性も尽き果ててしまう。涸渇の状態が近づくとき、何らかの衝撃から解脱が生じる。(カイエ�察。陦苅牽供�
●謙遜について
ひとが自慢するもの、それはかならず、情況次第で奪われる可能性のあるものである。したがって自慢は虚言である。この虚言を自覚すること、それが謙遜の徳である。(カイエ�検。陦苅娃魁�
●言葉について
十字架の聖ヨハネ、言葉を慎むことの方が、断食や訓練より価値がある。 (カイエ�后。陦僑供�
●自分について
7+8=16というなら私は間違っている。ある意味で、7+8=16とするのは私だ。だが7+8=15とするのは私ではない。(カイエ�牽陦苅娃后�
●孤独について
この世の架空の王権をぬぎ去って、時間と空間の中で自分が占める点まで小さくなること。絶対の孤独。そのとき、この世の真実が得られる。 (カイエ�此。陦隠苅供�
●喜びについて
充実した喜びの中には「わたしが」は介在しないのである。それと反対に「わたしが」は苦しむ者である。(カイエ�此。陦横坑検�
喜びによって世界の美はわたくしたちの魂に浸透する。苦しみによって、世界の美はわたくしたちの体の中に入ってくる。喜びだけでは、ちょうど航海術の研究だけでは船長になれないのと同じように、神の友にはなれない。
●仏陀について
わたしたちの前にあらわれた仏陀は、どこからこられたのだろう。どこに行かれたのだろう。どこからこられたのでもなく、どこに行かれたものでもない。仏陀が生まれる原因が結集すれば出現なさり、その原因が離散すれば消滅なさる。ちょうど弦と弓に対する音のように。このことはあらゆる存在にも同じように当てはまる。(カイエ�察。陦毅娃粥�
日本の能。人間が高みを見あげるようにと樹木の枝に花を咲かせるのは 仏陀である。不幸な人びとが神が降りたもうことを悟るようにと月を波間に沈ませるのも仏陀である。(アメリカ・ノート�掘。陦横械掘�
●美について
必然と結びあわされた苦しみはわれわれを目的なき目的性へと導く。人間の悲惨の情景が美しいのはそのせいだ。われわれにとって美のほかに喜びの源泉はない。(カイエ�勝。陦械沓掘�
美しいものとは、変えようとは思えない何かである。(カイエ�将毅陦苅隠検�
●富について
シエナの聖カタリナ。この世の富とは、それを摘まないかぎりにおいてのみ芳香と美しさをとどめている花のようなものである。(カイエ�此。陦横械検�
●同情について
いかに冷酷な心の持ち主であっても、劇場で演じられる不幸を観て「同情」を抱かないような人間はいない。なぜなら、なにかを探したり獲得しようとしているわけではないし、さらに自分自身がなんらかの危険や感染にもさらされる怖れもないから、登場人物たちに自己移入できるからだ。現実の不幸ではないと知っているから、自分の「同情」を自由に作動させておく。現実の不幸であったら、その人は氷のごとく冷淡になるだろうに。何世紀にもわたってキリストの磔刑に涙してきたキリスト教徒たちの多くは、もしも現実に十字架上のイエスを見たなら無感動な態度をとったであろう。どれほど涙を流したとしても無意味である。(アメリカ・ノート�此。陦毅娃機�
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