女の世紀を旅する
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2004年01月04日(日) 《 老いるための技術 》 (世界の名著から)


《 老いるための技術 》(世界の名著から)








青年時代から,私は老いと死を,遥か彼方の出来事として,己の観念の中から殊更に遠ざけていた。自分がこの世から消えることの想念を抱くだけで戦慄を覚えた。

しかし,45歳を過ぎた頃から,学生時代の知人や友人が亡くなった知らせを聞くたびに,いやでも「死」という現実を深く考えざるをえなくなった。

たとえ,80歳を越えている者でも,ボケていなければ,間近な死を意識した瞬間,恐らく
「なんだ,昨日生まれたと思っていたのに,もう死ぬのか,冗談じゃないよ」と思うかもしれない。それは,いいかえれば,人間は誰しも,意識がある限り,唐突に即興的に,不意打ち的に,心の準備もろくにしてこない中で,「死」と向かいあうということなのだ。

皮肉なことに,人間は誰しも必ず死ぬ宿命にあることを観念で知っていても,この自分自身が死ぬということだけは,なかなか信じられないのである。自分の周囲の人々は死んでいくのだろうが,自分は永久(とわ)に生き続けられると錯覚しているからである。

たしかなことは,死は人間にとって最後の将来であり,最後の未知であるということだろう。

以下は,わたしが「老い」を考える際のヒントを与えてくれた名著であり,老いる技術をわかりやすく説明しているので紹介しておきたい。






《 年をとる技術 》   
(アンドレ=モロワ)フランスの歴史家.文芸評論家
『人生をよりよく生きる技術』から.講談社学術文庫 (中山真彦訳)



● 「老いていかにあるべきかを知るものは少ない」(ラ=ロシュフーコー)


年をとるということは、不思議なことである。あまりに不思議なので、ほかの人と同じく自分もまた老人になるのだとは、なかなか信じられないのである。

プルーストは『失われし時を求めて』の中で、お互い青年だったときに知り合った一群の男女と、三,四十年をへだてて突然再会した時の驚きの気持ちを、見事に書きあらわしている。「人生の入口で彼を知った私にとって、彼は昔のままの彼だった。なるほど、彼がもう年相応に見えるということは、風のたよりにも聞いていた。だが実際に彼の顔の上に、老人のあのあからさまなしるしを幾つか認めた時、私は本当に驚いてしまった。しかし私は納得したのだ。それは彼が実際に老人だからだということを。長いあいだ青年のままでいた人間も、やがて老人にならなければならないということを。」


そうなのだ。自分と同年輩の男女の上に時の作用を読み取ってはじめて、「あたかも鏡の中」をのぞくかのように、われわれ自身の顔や心に生じているものを知るのだ。なぜなら、われわれの目もまた時間の流れにそって移動しているものだから、自分がまだ青年のすがたをしている気でいるし、心の中にも青年のはにかみや夢が残っている。若い人たちが、われわれをどの年の世代の中において見ているかを、想像してみようとはしないのである。ときおり、どきりとするような言葉を聞く。ある娘さんのことを噂して、「ばかだよ、あの娘は、年寄りなんかと結婚しちゃって。55歳で、頭はもう真っ白だぜ」と人々がいうのを耳にする。すると、ああ自分もまた55歳だ、と思うのだ。頭は白く、ただ心だけが年をとりたがらずに。



老年はいったいいつから始まるのか。長い間、われわれは年なんかとらない気でいる。心はいぜんとして軽やかだし、力も昔のままだと思っている。
青年から老年への移行は、とてもゆるやかなものであるから、変わっていく当人がほとんど変化に気がつかない。秋が夏に続き、そして冬が秋に続くのも、やはりごくゆっくりと移り変わるので、一つ一つの変わり目は、日常目にとまらない。ところが秋は、マクベスを包囲した軍勢のように、夏の木の葉に身を隠しながら、そっと前進しているのだ。そして11月のある朝、突然風が巻き起こる。すると、黄金の仮面が引きはがされ、そのあとに、骸骨のようにやせ細った冬が顔を突き出すのだ。まだ若わかしい緑色をしていると思っていた木の葉が、もうすっかり枯れてしまって、何本かの細い筋だけで枝にぶら下がっている。突然の嵐は、冬をつげた。だが、それが冬をつくりだしたのでない。


病気は、人間という森を襲う突然の嵐だ。年のわりにまだ若い男女がいる。その活動力、その頭の回転の速さ、その生き生きとした話し方に感嘆する。ところが、若い人ならばせいぜい風邪か頭痛ですむ程度のちょっとした無茶をしたその翌日、肺炎あるいは脳溢血という嵐が、彼らをおそうのである。そして数日のうちに、顔がしわだらけになったり、背中が曲がり、目の光りが消える。われわれはたった一瞬のうちに老人になるのだ。でもそれは、そうとは気づかず、そうとは知らぬまに、もうずっと前から老化しつつあったからにほかならない。


人間にとってこの秋の季節はいつから始まるのか? コンラッドにいわせれば、40歳をこすやいなや、「人はだれでも目の前に細長い影が一本横たわっているのに気づく。そしてそれを横切る時、冷たい戦慄を感じ、自分はもう青年の魅惑の世界を去りつつあるのだとつくづく考えるのである。」今日この細長い影の線を引くとしたら、むしろ50歳前後のころであろう。だからといって影の線がなくなるわけでない。そしてそれを横切る時、どんなに元気溌剌として丈夫な人でも、コンラッドが語っていた冷たい視線をかすかに感じ、たとえつかの間であれ、絶望感に襲われるのである。


「私はやがて50歳になる」とスタンダールは、なんとズボンのバンドの上に書きつけた。そして同じ日に、かつて愛した女性たちの名前を、丹念に書き並べる。この世のだれにもまして、女性を結晶作用のダイヤモンドで飾ることの出来た彼であったが、しかし、思ってみればかなり平凡な女たちだった。20歳の彼は、自分の恋愛生活には素晴らしい出会いがあるに違いないと空想していた。そして彼は、恋の機微を知る心といい、愛を大事にする気持ちといい、そのような出会いに値する男だった。しかるに、彼が愛することを望んだ女性たちはついに現れなかった。


老いとは、髪が白くなったりしわがふえたりすること以上に、もう遅すぎる、勝負は終わってしまった、舞台はすっかり次の世代に移った、といった気持ちになることである。老化にともなう一番悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることだ。細長い影の線をあとに消えていくもの、それは行動の能力ではなく、行動の意志である。青春時代の、あの旺盛な好奇心、ものごとを知り理解したいというあの欲求、新しい世界を知るたびに胸をふくらませたあの広大な希望、夢中で恋をする情熱、美には必ず知と善がともなうというあの確信、理性の力に対するあの信頼、そういったものを、50年間様々な体験と失意を重ねたあとでも、なお持ち続けることは出来るだろうか?


影の一線をこえると、人は柔らかい穏やかな光りの地帯に入る。欲望の強い日光に目がくらむこともなくなるので、人や物がありのままの姿に見える。美しい女は心も立派であると、どうして信じることができよう。女のひとりを恋してみたではないか。世の中は進歩するのだと、どうして信じることができよう。


多難だった生涯を通して、いかに急激な変化も決して人間性を変えることは出来ないこと、ただ昔からの習慣や、古びた儀式だけが、人類の文明をかろうじて守っていることを、つくづく思い知らされてきたではないか。「それが一体何のためになる? 」と老人は考える。そしてこの言葉が、恐らく老人にとって一番危険なのだ。なぜなら、「がんばってみたって何になる」といった人は、ある日、「家の外に出て何になる」と言い出すだろうし、そして次には「部屋の外に出て何になろう」「ベッドの外に出て何になろう」というようになるからだ。最後は、「生きていて何になろう」であり、この言葉を合図に、死が門を開く。

ゆえに年をとる技術とは、何かの希望を保つ技術のことであろうと、見当がつくのである。


 ●「我は若く,汝らは老いたり,ゆえに我は恐る」



肉体が年をとるとは、モーターが疲弊するようなものである。しかるべきときによく点検して、手入れし修理すれば、まだまだちゃんと役に立つ。だがついには、もう元の体ではない、という時が必ずやってくる。そうなったらあまり無理をしてはいけない。ある年齢に達すると、体を動かすのがつらくなる。往々にして手先の仕事は不可能となり、頭を使う仕事も出来あがりにムラが生じるようになる。なるほど、最後まで自分の才能をフルに生かすことが出来る芸術家もいる。ヴォルテールは65歳で『カンディード』を書いた。ヴィクトル=ユゴーは晩年に非常に美しい詩をつくっているし、ゲーテも『ファウスト』第2部の見事な終章をその晩年に書いた。ワーグナーは69歳のとき『パルシファル』を完成している。これと反対に、霊感の泉がずいぶん早く枯れてしまう芸術家もいる。それは多くの場合、才能を苦悩にみちた青春時代の情熱に負うており、外部の世界に一度も関心を示さなかった人々である。彼らは、心が沈黙したとき、精神もまた沈黙したのである。



「老いは暴君だ。死でもっておどしながら、青春のあらゆる快楽を奪いあげる」と、ラ=ロシュフーコーは言っている。まず第一は、快楽のうちでもいちばん強烈なもの、恋の快楽だ。年老いた男や女が、若い人から愛されるということは、ほとんど望めない。バルザックは恋する老人の悲劇をいくつも書いている。かつては、何もしないでも女からちやほやされたのに、今はプレゼントを絶やさず、何かと特別な便宜を計ってあげて、やっと愛想よくしてもらえるという有り様だ。だから老人は、手練手管の娘が現れて、気違いじみた希望をいだかせでもしようものなら、彼女のために身を滅ぼしてしまうのだ。ユロ男爵(『従妹ペット』の主人公。若い娘に恋して家庭を破壊し、身を破滅させる)のように屈辱と人格喪失にまで至る。


この苦しみをなめつくしたシャトーブリアンは、『恋と老い』という恐ろしい小説を残している。どういう風にして年をとったらいいのかを知らない老いた恋する男の、悲痛な嘆声であり、苦しみの叫びだ。「女が大好きだった男のこうむる罰は、いつになっても女が好きだということである」。そして男が大好きだった女のこうむる罰は、時々若い男が自分の方を振り返り、本当に驚いたというような声で、「あの女性は昔は美人だったろうなあ」というのを耳にすることだ。



心そのものが老け込む人も少なくない。年をとると不思議に心がかわいてしまうものだ。おそらくそれは、肉体の欲望が衰え、情熱をおのずと力強く支えるものがなくなるからであろうか。あるいはおそらくは、人生のはかなさを知ったため、欲望も愛情も弱ってしまったからであろうか。いずれにせよ、ある種の老人たちの自己中心主義にはおどろかされる。こういった老人の自己中心主義は、たくさんの友情を遠ざけてしまう。もし彼に人間的な暖かみといったものがあれば、それが人生経験と結びついて、若い人をひきつけるでもあろうに、しかしそれはないのだ。



守銭奴根性は老人の病である。それも一つには、生活に窮するのを恐れるからである。老人は、収入を得るのがもう難しくなるであろうと、あまり激しい労働はもうつらくて出来なくなるだろうと感じている。だからいま持っているものにしがみつくのだ。あらゆる突発的な出来事を想定して、数えきれないほどの隠しどころをつくり、幾重にも仕掛けをして金が見つからないようにする。だが、生活の不安だけから守銭奴になるとは限らない。


人間みな何らかの情熱を持たずにはいられない。ところで金をためるという情熱は、あらゆる年齢の人間が持つことのできるものだ。この情熱には、激しい快楽もあるらしい。金を数え、いじりまわす。株価の動向や貴金属の値動きを追う。肉体は衰えても、まだ何かの力を手に握ることが出来るのだ。けちけち根性から、出費のもととなるものを次々に削っていくとき、情熱的な守銭奴は驚くほどの陶酔感を味わっているものである。以上のことについては、『ウージェニー・グランデ』(バルザック作。女主人公ウージェニーの父であるグランデ爺さんの守銭奴ぶりを描く)を読まれるとよい。


フランスの文学者ラ=ブリュイエール(17世紀.『人さまざま』)は次のように書いている。
「老人は、いつか入用になるだろうと思って金をためこむのではない。なぜなら、そんな心配はまずないと思えるほど蓄えをすでに持っている老守銭奴もいるからである。この悪徳は、むしろ老人という年齢と気質にその原因がある。実際老人たちは、青春時代に恋の快楽を追い求めていたように、また壮年期に野望を追いかけていたように、いまはごく自然に吝嗇にふけっているではないか。守銭奴になるためには、力も、若さも、健康も必要ではない。ただ財産を金庫の中にしまって、一切を断てばそれでいいのだ。だからこれは老人向きの情熱である。老人とても人間であるからには、何かの情熱が必要なのだ。」



そして最後に、精神の欠点が、容姿の欠点と同様、非常にしばしば年とともに大きくなる。新しい思想はもうそれを咀嚼する力もないから、受け入れようとはせず、頑固に意地を張って老人の先入観にしがみつく。自分は経験があり、偉いのだと思っているものだから、どんな問題にも自分の考え通りに行くと確信する。反駁されたりすると、長上に対する礼を欠いたといって、まっかになって怒る。ところが実は、自分が若いときにちょうど同じことを、祖父からいわれたのは忘れてしまっているのだ。


いま目の前に起きていることには興味が持てず、ゆえに新しい考え方を持つことなどできないものだから、話すことといったらいつも同じだ。なるほど、それは彼の青春の楽しい逸話でもあろうが、何度も繰り返して話すものだから、彼のあとに続く人々の青春をうんざりさせてしまっている。寄りつかなくなってしまう。すると、孤独という、老いの病の最たるものが始まる。人生の友を、ひとりまたひとりと、ついにはみな失ってしまう。老人のまわりには、しだいに砂漠が広がる。しかし、死は彼のすぐ近くで何とも言えず彼を脅かしているものだから、やはりそれも怖いのだ。



老いの危険を要約しておこう。それは、われわれを衰えさせること。次々と快楽を奪い上げること。肉体と同時に心をもひからびさせること。冒険と友情をもう遠いものにすること。そして最後に、死のことを考えて世の中が暗くなることである。
それゆえ,年をとる技術とは、以上のような苦しみや病いと闘う技術であり、また、そういった苦しみや病いにもかかわらず、われわれの人生の終わりを、幸福な時期として過ごすことにある。



人間の文明と経験は、老いそのものに対してではないにしても、少なくも老いの現われに対して闘う技術を教えている。装身具の主な役割は、まさにそこにある。年をとった女性は、多くの場合若い女性たちよりも、衣服やアクセサリーを重要視するものだが、これはごく当然のことである。きらきら輝く宝石は、人の目をそれに引きつけ、容姿の欠点が目にとまらないようにする。指輪の輝きはしわだった手をかくし、腕輪は手首の衰えをかくす。


若者と老人の違いに目につかないしようとすることは、すべて文明的な営為である。洗練された世紀である17世紀は、かつらを考案した。白粉や口紅は、若い女性とその祖母を近づけ、病人を健康人に似せる。洋装店や美容院が一発あてようと思ったら、年とった女たちに何らかの希望を与えるような流行を生み出すに限る。どんな服を着ようかということは、どんな風にして自分の醜さをかくそうかとすることにひとしい。そしてそれも文明の一形式なのである。


人間の年齢は、生年月日によってではなく、動脈や関節の年齢によって決まる、としばしば言われる。50歳の人が70歳の人より老いこんでいるということが、実際にありうるのだ。したがって細胞を生理的により若い状態に戻せば、全身を若返らせることも出来るはずだ。単純な生物、たとえば大西洋に棲息する被嚢類をとってきて、少量の海水の中に閉じ込めると、自分自身の排泄物で中毒をおこし、急速に老化する。ところが毎日、水を入れ替えてやると、老化は停止するのである。われわれの細胞の老化も、おそらく排泄物の蓄積によるもので、しかるべき間隔でそれを洗い流せば、われわれの寿命はもっと長くなるかもしれないのだ。




カルメンチャキ |MAIL

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