女の世紀を旅する
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2003年12月12日(金) 映画「たそがれ清兵衛」は面白い


山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は時代劇の傑作であり,日本映画史に残る金字塔だろうと思う。懐かしさが感じられる日本人必見の時代劇である。







●<ベルリン映画祭>「たそがれ清兵衛」にドイツでも喝采の嵐

 世界3大映画祭の1つ、第53回ベルリン国際映画祭で山田洋次監督作品「たそがれ清兵衛」が2001年Berlinale Palast(ベルリナル・パラスト)にて公式上映された。1200席ある会場は、ほぼ満員の盛況で、エンド・クレジットが出始めたところでまず拍手が起こり、最後にもう一度盛大な拍手が起こり、会場は拍手と歓声に包まれた。

 終了後、舞台にたった山田監督は「国も時代も異なる方々に観ていただくということで、理解していただけるのかどうか、途中で席を立つ人がいるのではないかと不安な気持でしたが、最後まで観てくださり、また温かい拍手をいただき本当にありがとうございました」と挨拶し、声は感動に震えているようでした。

 また、同じく挨拶をした余吾善右衛門役の田中泯さんは「演技も時代劇も、このような場で上映されることも、何もかも初めての経験で、この映画は一生忘れられないものになりました」とコメントしました。

※田中泯さんは暗黒舞踏派のダンサーで,映画では鬼気迫る異様な演技で観客を釘付けにした。

 また、公式上映に先立って行われた公式記者会見では、制限時間ぎりぎりまで質疑応答が繰り返され、質問の内容も映画のみならず、社会観、倫理観にまで踏み込んだ密度の濃いものでした。記者の中からは、「是非この映画が金熊を獲るべきだ」という意見も飛び出していました。

<ベルリン国際映画祭>「たそがれ清兵衛」公式上映記者会見


地元プレスのインタビューに答える山田洋次監督
Q:山田監督はこれまで77本の映画を監督していらっしゃいますが、この『たそがれ清兵衛』は初めての時代劇だとお聞きしました。なぜ時代劇を撮られたのですか?また、原作のどのようなところに興味を持たれたのですか?
山田監督:この原作は英雄や権力者ではなく、下級武士が主人公であり、それは不況が続いている現在の日本のサラリーマンに共通する部分があるのではないかと思いました。また、時代劇においては、対決の場面で刀を抜いて命のやりとりをするところにポイントがあると思うのですが、この原作にその要素も含まれていたのも興味を持ったところです。

Q:日本では時代劇が多く作られているのでしょうか。また、時代劇を作るのは簡単なのでしょうか?
山田監督:時代劇は今の日本ではそれほど多くはありません。確かにテレビでは時代劇が放映されていますが、その多くは低予算で作られており、時代劇と呼べるほどのものではありません。時代劇を作るのは簡単ではありません。まず、製作費が高くつきますし、時代劇を作るのに必要な様々な技術が伝承されていないということもあります。『七人の侍』が作られた頃には優れた職人が多くいましたが、今ではそのような人が少なくなってしまいました。

Q:田中さんに質問です。俳優として時代劇に出られてみてどうでしたか?
田中 泯:私は映画に出演するのも刀を持つのも初めてだったので、最初はいろいろと困難なこともありました。しかし、自分の今までの生き方を考えると、むしろ自分は現代劇よりも、むしろ時代劇の方に向いているのではないかと思います。

Q:現在のサラリーマンを直接描くのではなく、時代劇として描かれたのはなぜですか?
山田監督:現代の社会はあまりに複雑で、様々な問題の原因を簡単に表現するのは難しいと思います。この映画では主人公が藩主の命令で人を斬らなければならない、ということが実に明快に描かれています。サラリーマンの世界でも、上からの命令で部下をクビにしなければならない、というようなことがしばしばあり、実際、それが苦痛で自殺してしまう人さえいます。しかし、時代劇の方がそのようなことをよりシンプルに表現できるし、しかも、それが刀と刀が斬り合うというドラマチックな形で表現できると思ったからです。

Q:田中さんは舞踏の世界で活躍されてきました。踊りと殺陣との関係についてお聞きしたいのですが。
田中 泯:それは根本的に違います。踊りは目前に目的がなく、抽象的なものです。一方、殺陣はある目的に向かって動くものですから、私としては本来苦手な運動です。私は刀を持つのも初めてだったので、最初は苦労しましたが、動きを覚えてからは楽になりました。ただし、撮影中には覚えたことを忘れなければならないというのが難しかったところです。

Q:侍の倫理観と現代の倫理観の差についてお聞きしたいのですが。
山田監督:清兵衛の人生感は、つつましく、無欲です。彼は貧しさに多少の不満はあるでしょうが、人生に対して不満は持っていません。この姿に、多くの日本人は憧れのようなものを抱くのではないかと思います。清兵衛のように生きるのは難しいことです。この映画を見て多くの中年の男性が涙を流したそうですが、それは清兵衛のように生きて来なかった自分に対する後悔と同時に、清兵衛に共感できる部分が自分の中にまだ残っているという安心感から来る涙ではないかと思います。

Q:この映画には今の日本と大きく異なる過去の日本が描かれています。これを見ていると、監督は世界が余りに大きく変わってしまったことを表現したかったのではないか、と思ったのですが。
山田監督:そう意識していたわけではないのですが、撮影中にそのように感じたことはあります。清兵衛の生きていた時代は日本は鎖国状態にあり、長い間社会は変わっていませんでした。そこには進歩や発展はなく、また進歩や発展が良いことだという考え方すらなかったと思います。そのような停滞した状況をどう考えるべきか。私は、決して停滞がいいというわけではありませんが、その停滞の淀みの中から文化が生まれることもあるのではないか、と思います。現代の状況は、まるで激流の中にいるようなものです。


街頭ビジョンで上映される会見の模様
Q:宮沢りえさんの役のその後を岸恵子さんが演じており、映画は岸さんのモノローグで終わります。なぜ最後をこのような形で終わらせたのでしょうか?
山田監督:岸恵子さんの存在は、一種の額縁のようなものだと思います。ラストシーンの岸さんは、1920年代終り頃、つまり清兵衛の時代と現在との中間の地点にいます。彼女は成長の過程で日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦、更に大恐慌を経験し、これから起こるであろう更なる戦争を予感しつつ、父の墓に手を合わせていると言えます。実際、岸さんにも、そのように説明して演じてもらいました。

Q:宮沢りえさんをこの役に起用した理由は?
山田監督:宮沢さんには賢い女性だというイメージを持っていました。彼女は自分を客観的に語る言葉を持っています。彼女が演じたヒロインは当時としては進んだ考えを持った女性ながら、その考えをつつましく内におさめているという役柄です。宮沢さんならその役を演じてもらえると思ったのです。

Q:この映画は社会的、政治的な映画で、日本の伝統的な映画に立ち帰ったものであるように思いました。この映画で描かれる家族像は日本映画の中でも理想的な家族像だと思いますが。
山田監督:この時代の家族が全てこのようであったとは思いません。一般的には父権的な社会でしたから。ただ、日本には、憧れのようなものとして、囲炉裏を囲むという形の家族像があります。この家族は、貧しいがゆえに、家族全員が何らかの形で労働を行っています。つまり、家族が消費の場ではなく、生産の場であるのです。このような家庭を持ち得ない現在の日本人は、そのような点に感動を覚えるのではないでしょうか。

Q:日本ではこの映画はヒットしたと聞いていますが、若い人々はどう反応しましたか?
山田監督:ハリウッド映画にはかないませんが、日本映画の中では健闘しているといったところです。最初は大人や老人が多く見に来ていたのですが、年配者が若い人々にすすめたことにより、次第に若い人々も見に来るようになったと聞いています。

Q:この映画では現代の複雑さに対して過去の簡素さを描こうとしたのでしょうか?
山田監督:これで現在の複雑な問題が解決するとは思いませんが、少し前に戻って、自分たちが確信をもって生きていた時代を見つけたい、という考えはあります。接ぎ木の元の木を探し、その元の木からもう一度新しい社会を作ってゆきたい、ということです。

Q:時代劇をこれからも作りたいとおもいますか?それとも、これこそが山田監督の時代劇であり、もう作らないと思われますか?
山田監督:これまで多くの映画を作ってきましたが、この映画を撮ったことで新しい鉱脈にたどりついたような気がします。そういう意味では、その鉱脈を更に掘り下げ、2本目の時代劇を作りたいと思います。

Q:田中さんに質問です。俳優としてどのようなプロセスをとられたのでしょうか。
田中 泯:私にとってこれは初めての演技であり、演技と踊りの違いを考えました。役に入るということがどういうことなのか、その人に成りきることなのか、ある一定の距離を置くべきなのか、いまだにわかりません。ただ、そのままの自分で本番までもっていけたような気がします。

Q:私はニューヨークの批評家です。清兵衛がヒロインに対して恋心を抱きながら、積極的に行動しない理由は何でしょうか?また、ハリウッド映画とアジア映画の違いをどう考えますか?
山田監督:私には、ハリウッド映画は常に主人公が何かを獲得するべく行動する映画という印象があります。清兵衛にはそれがありません。恋心を抱いてもそれを実現しようとはせず、出世したいという野心を抱くこともない欲のない人間です。我々には欲のない人間への憧れがあります。小津の作品を見るとよくわかるでしょう。小津映画の主人公たちは、自分たちの生きている状態を大きく変えようという野心は持っていません。そこに我々は憧れを抱きます。私は野心的な人間に興味がないわけではありませんが、この映画にはささやかな充足への憧れが存在しています。もしかしたら、それがハリウッドとアジアの違いかもしれません。人生観の違いと言ってもいいでしょう。

田中 泯:私は余呉を演じていながら、清兵衛の役に対して共感を持ちました。最後に、余呉は清兵衛に何かを託したのだと思いますが、それは何だったのか。新しくやってくる時代を託したのか、あるいは、今の生活をそのまま守ってほしい、ということなのか。何を幸せだと感じるか、ということは、今非常に重要なことだと思います。
山田監督:余呉は野心を持っていた男だと思います。あるいは、清兵衛に対して、お前の生き方の方が正しかったのだ、と言い残したかったのかもしれませんね。




●ストーリー

時は幕末、庄内地方の小さな海坂藩の下級武士・井口清兵衛(真田広之)は、妻を労咳で亡くし,2人の幼い娘と老母の世話をするため、勤めが終わるとすぐに帰宅することから「たそがれ清兵衛」と同僚たちからあだ名される冴えない男とみなされていた。しかし、幼なじみ朋江(宮沢りえ)の危機を救ったことから、実は剣の達人であることが世間に知れてしまい、ついには藩命で上意討ちの討ち手に選ばれてしまうのだが…。

時代小説の大家・藤沢周平の短編『たそがれ清兵衛』と『竹光始末』『祝い人助八』をベースに、これが時代劇初演出となる巨匠・山田洋次が監督。当時の時代考証を綿密に行いつつ、ささやかな家族愛や忍ぶ恋心、そしてダイナミックな殺陣シーンなどを見事に具現化している。人間本来の美しい心のありようを、決して押し付けがましくではなく、優しくささやかに問いかけてくれる、日本映画でしかなしえない必見の秀作。真田の素朴さと宮沢の清楚な美、両者の好演がみものである。

●スタッフ

監督・・・山田洋次
原作・・・藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」(新潮文庫)
脚本・・・山田洋次
     朝間義隆


○キャスト

井口清兵衛・・・真田広之
飯沼朋江・・・宮沢りえ
余吾善右衛門・・・田中泯
飯沼倫之丞・・・吹越満
甲田豊太郎・・・大杉漣
晩年の以登・・・岸惠子
井口藤左衛門・・・丹波哲郎
久坂長兵衛・・・小林稔侍
堀将監・・・嵐圭史
寺内権兵衛・・・中村梅雀
藩主・・・中村信二郎
直太・・・神戸浩

●2002年度.第26回日本アカデミー賞最優秀賞と特別賞●

作品賞 「たそがれ清兵衛」(松竹)
監督賞 山田洋次
主演男優賞 真田広之 「たそがれ清兵衛」
主演女優賞 宮沢りえ 「たそがれ清兵衛」
助演男優賞 田中泯 「たそがれ清兵衛」
助演女優賞 北林谷栄 「阿弥陀堂だより」
脚本賞 山田洋次
朝間義隆 「たそがれ清兵衛」
美術賞 西岡善信
出川三男 「たそがれ清兵衛」
撮影賞 長沼六男 「たそがれ清兵衛」
照明賞 中岡源権 「たそがれ清兵衛」
録音賞 岸田和美 「たそがれ清兵衛」
編集賞 石井巌 「たそがれ清兵衛」
音楽賞 冨田勲 「たそがれ清兵衛」
外国作品賞 「チョコレート」(ギャガ・コミュニケーションズ)
会長特別賞 故蔵原惟繕監督
故深作欣二監督
協会栄誉賞 新藤兼人監督





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