SM紀行
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彼の縛りは華麗ではない。繊細でもない。激しい縄である。
縄の基本は勿論、捉えている。捕縛縄、男縄、女縄、囚人縄も会得している。
これも昔(ああ、昔の話ばかりだ・・・)
彼が独立して、志摩ビデオを製作し始めた頃、事務所に電話した事がある。
と、言うのは町のレンタルビデオ屋には、置かれてなかったからだ。
確か、NO.1とNO.2は 淫虐 と 挑虐であったと思う。
その2本を購入する為に電話した次第である。
もしもし・・・温和で落ち着いた声が受話器から漏れてきた。
志摩先生ですか?思わず、口に出てしまった。
はい、そうですが・・・・
彼は、私と同じくキタンクラブにSMの熱情を傾けていたそうだ。
新聞記者をされ、それ以降、大共社でカメラとペンを走らせていた。
大共社、知る人ぞ知る・・・スペシャリーSMの出版元である。
この雑誌は、当時発売されていたセレクト・ファン・コレクターとは違い、
過激な写真主体のSMマニア雑誌であった。
この雑誌は、写真増刊号と共に、全冊持っている。(ちょい自慢)
併せて、SMビニ本も発売していた。(これも持ってる俺はコレクターか^^)
そして、SMビデオにも着手する。
マニアックな作品が多かった。
ほとんどの作品が、当時の私の嗜好を満たしてくれた。
確か、明智 伝鬼 氏も 雪中花という素晴らしい作品を出していたと思う。 (押入れにあるけれどね・・・)
当時、志摩 氏は、髪もあり、サングラスもせず、顎鬚もなかった。
でも、既に、今の形態は確立されていた。
以後、シネマジック、名を変えて日活SMビデオにも挑戦される。
11PMにも出演した。(藤本義一 氏と歓談されている)
この番組を収録したビデオも持っている。(何か、自慢ばかり;;)
何年か後、志摩ビデオのリストをエクセルで作成し、その95%は見続けてきた。
ストーリーは単調で、作品の出来、不出来はあるものの、今でも 彼の作品を
私は見続けている。
他に、辻村 隆 氏、濡木 痴夢男 氏、雪村 春樹 氏、明智 伝鬼 氏、千葉 曳三 氏
各氏がおられるが・・・メール交換、電話等 させてもらった。
(勿論、辻村 氏は除いてです、氏のカメラハント、徳川女刑罰史の緊縛指導は良かった)
各先生は、覚えてはおられないだろうけれど・・・
ああ、それと資料見ないで書いてます。誤記がありましたらご容赦を^^
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