SM紀行
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2002年02月03日(日) 志摩 紫光 氏

彼の縛りは華麗ではない。繊細でもない。激しい縄である。

縄の基本は勿論、捉えている。捕縛縄、男縄、女縄、囚人縄も会得している。

これも昔(ああ、昔の話ばかりだ・・・)

彼が独立して、志摩ビデオを製作し始めた頃、事務所に電話した事がある。

と、言うのは町のレンタルビデオ屋には、置かれてなかったからだ。

確か、NO.1とNO.2は 淫虐 と 挑虐であったと思う。

その2本を購入する為に電話した次第である。

もしもし・・・温和で落ち着いた声が受話器から漏れてきた。

志摩先生ですか?思わず、口に出てしまった。

はい、そうですが・・・・


彼は、私と同じくキタンクラブにSMの熱情を傾けていたそうだ。

新聞記者をされ、それ以降、大共社でカメラとペンを走らせていた。

大共社、知る人ぞ知る・・・スペシャリーSMの出版元である。

この雑誌は、当時発売されていたセレクト・ファン・コレクターとは違い、

過激な写真主体のSMマニア雑誌であった。

この雑誌は、写真増刊号と共に、全冊持っている。(ちょい自慢)

併せて、SMビニ本も発売していた。(これも持ってる俺はコレクターか^^)

そして、SMビデオにも着手する。

マニアックな作品が多かった。

ほとんどの作品が、当時の私の嗜好を満たしてくれた。

確か、明智 伝鬼 氏も 雪中花という素晴らしい作品を出していたと思う。
(押入れにあるけれどね・・・)

当時、志摩 氏は、髪もあり、サングラスもせず、顎鬚もなかった。

でも、既に、今の形態は確立されていた。

以後、シネマジック、名を変えて日活SMビデオにも挑戦される。

11PMにも出演した。(藤本義一 氏と歓談されている)

この番組を収録したビデオも持っている。(何か、自慢ばかり;;)

何年か後、志摩ビデオのリストをエクセルで作成し、その95%は見続けてきた。

ストーリーは単調で、作品の出来、不出来はあるものの、今でも 彼の作品を

私は見続けている。


他に、辻村 隆 氏、濡木 痴夢男 氏、雪村 春樹 氏、明智 伝鬼 氏、千葉 曳三 氏

各氏がおられるが・・・メール交換、電話等 させてもらった。

(勿論、辻村 氏は除いてです、氏のカメラハント、徳川女刑罰史の緊縛指導は良かった)


各先生は、覚えてはおられないだろうけれど・・・

ああ、それと資料見ないで書いてます。誤記がありましたらご容赦を^^





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