観能雑感
INDEXpastwill


2005年12月22日(木) 第13回 粟谷能の会研究公演

第13回 粟谷能の会研究公演 宝生能楽堂 PM6:30〜 

 上演頻度の低い曲であり、シテは初役だと思われる。貴重な機会なので観に行く。
 見所は満席。中正面後列、柱の正面付近に着席。列の中央部が途切れている列の、その切れ目の席だったせいか、存外観やすかった。体調が万全とは言えず、α波を誘発する謡と囃子の只中に置かれ、半覚醒状態に陥り勝ちとなってしまった。無念だが抗いようもなく、仕方がないと諦める。よって、特に記憶に残っていることのみ簡単に記述。

能 『木賊』
シテ 友枝 昭世
子方 友枝 雄太郎
シテツレ 友枝 雄人、井上 真也、大島 輝久
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 善博、則久 英志
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 国川 純(高)
地頭 粟谷 能夫

 子方とワキの出に続き、一声でシテ、シテツレ登場。以前観た宝生流ではすぐに本舞台に出てきたが、喜多流ではその後も橋掛りに留まり、二人のツレは本舞台に入ることなく囃子方の後ろを通って退場。台詞のあるツレのみが短い時間だが地謡前に下居。シテの謡は不思議な力感に満ちており、子のいない悲しみよりは、平静を装いつつも、この尉の心情が不安定であることを意識させるものだった。一人残ったツレが退場後、後見座で物着。アシライはなし。子方用の花浅葱の長絹を水衣の上に付け、尉髪を下ろしたポニーテール状態のところに小結烏帽子をかける。やや錯乱気味であることを前もって告げられているとは言え、対峙した僧は内心さぞ驚いたことだろう。老人が子供用の装いで目の前に現れたのだから。しかし、修行を積んだ者はそのような心の動きを表出させることなく、ごく自然に会話を続ける。物着が終った後のシテの後ろ姿は、不気味さと妖しさが漂い、軽い戦慄を覚えた。序之舞は二段オロシのところでシオル方あり。子供との再会場面はひしと抱き寄せるような所作で、定型に流れ勝ちな場面を情感豊かなものにした。
 子方は曲の始まりとともに登場し、2時間に渡る曲の大部分を下居し続けなければならないが、だれることなく立派に勤めた。曲に直接関るところは少ないが、子方の存在そのものがいわば通奏低音になっているので、その存在が与える影響は大きい。一番を締まった印象にした立派な功労者である。
 研究公演を再開したのは地謡の大切さを再認識するためという狙いもあるそうで、中堅と若手で構成された地はその意識を感じる充実したものであったが、時に絶叫調なのが気になった。このあたりは流儀の主張と私の嗜好が相容れないせいかもしれない。
 囃子はベテラン、若手、中堅という組み合せだったが、この難曲を背後からしっかり支えていた。いつも感じることであるが、仙幸師の笛は、お若いころに比べると音量等落ちておられると推察するが、音そのものに弱いところが微塵もなく、繊細でありながらしっかりとした芯がある。


こぎつね丸