観能雑感
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2005年10月01日(土) 平成17年度 第60回記念文化庁芸術祭オープニング ジゼル〜能とバレエによる〜

平成17年度 第60回記念文化庁芸術祭オープニング ジゼル〜能とバレエによる〜 新国立劇場 PM5:00〜

 当初は行く気がなくチケット購入はほぼ思いつき。すでに4階席最後列の両端数席しか残っていない状態だった。チケットの売行きは良かったと思われる(招待等もかなりあったのだろうが)。文化庁主催のためか、異常にチケット代が安かった(S席5000円)のも要因か。
 いろいろ不調。持病の具合も思わしくないが、他に所用もあったため出かける。普段オペラやバレエは観ない人たちよりも、能を観ない人たちの占める割合の方が多かったという感触。やはり場所柄であろう。4階席最後列下手に着席。舞台は若干見切れる。チケットは驚きの2000円。あろうことかメガネを忘れてしまい、オペラグラスを使用していないときの視覚は曖昧。

式次第

国家演奏

式辞 河合 隼雄

文化大臣挨拶

皇太子殿下お言葉

祝辞 森下 洋子、中村 鴈治郎


新作能 『ジゼル』
演出 梅若 六郎
脚本 水原 紫苑
狂言台本 山本 東次郎

ジゼル  友枝 昭世
アルブレヒト  梅若 晋矢
大樹の精  山本 東次郎
笛 松田 弘之、一噌 幸弘 小鼓 鵜澤 洋太郎 大鼓 亀井 広忠 太鼓 助川 治
地頭 観世 喜正(未確認)

 初演は平成11年。今回上演されるのは改作版。
 『ジゼル』という新作能の存在は知ってはいたものの、何故能として新作せねばならぬのか不思議だったが今回こうして観る機会を得た。
 メガネなしのため装束の色、種類はかなり曖昧。
 舞台上の流れは、大樹の精がこれまでのあらましを語り、やがてアルブレヒトがジゼルの墓を訪れる。ジゼルはアルブレヒトを死の舞へと誘うが、自ら死を受け入れようするアルブレヒトの姿に我に返り、一人昇天する、というもの。能の中のジゼルは自殺したことになっている。
 幕が上がると舞台上に白い四角の床がしつらえられている。目付柱はなし。大きさは能舞台程度か。後方に塚の作り物。ほぼ中央に大樹の精が腰掛けている。杖を持ち、頭には葉の冠のようなものを被っている。詳細不明。メガネなしは辛い。囃子方は舞台右手に斜めに鎮座。座り方は通常の舞台と同じ順序。床机は不使用。地謡は囃子方の後ろに2列に座していた。
 語り終わると大樹の精は四角い舞台から降りて囃子方の前に腰掛ける。舞台左手袖からアルブレヒト登場。白大口に紗水衣。十字架をかけ、首に白い布をストール状に巻いている。塚の中からジゼル登場。面の種類は不明。白大口に濃紫(黒?)の舞衣。天冠に揺簪。ジゼルに誘われて舞う舞は相舞。松田師の吹く中ノ舞。終わり近くに幸弘師が加わってフーガ状態。狂乱の態を表現したと思われる。ピッチは合わせてあったよう。この二人だからこそできること。アルブレヒトの姿に本来の自分を取り戻したジゼル。自ら水衣を脱いでその姿のまま塚に入り、物着。現れた時は白の長絹をまとい、全身純白の装い。幸弘師の吹く早舞(低音部として松田師も参加)にのって舞う。扇を持たずに両袖を翻していた。早舞は成仏した霊が舞う舞なので使用されたのだと思うが、どうも昇天というイメージからは遠いような気がした。舞の終わりとともに幕が下り、終曲。
 そもそもなぜ笛が二人なのかと思っていたが、効果音として使用される場面が多く、幸弘師は能管以外の笛も吹いていた。種類は不明。
 この新作能、『ジゼル』と言い切ってしまうのはどうなのだろう。バレエではミルタに代表される負の感情を黒のジゼルとして表現したとのことだが、そうなるとジゼルの存在意義そのものを否定することになりはしないか。ジゼルが体現するもの、それはどこまでもまっすぐでひたむきな愛情である。アルブレヒトが貴族であり、マチルダという婚約者がいることにショックを受け、ジゼルは落胆のあまり死んでしまう。しかし、彼女は決してアルブレヒトを責めない。死して後も、身を呈して彼を守り切る。原作の都合のいい設定だけを利用した創作という点で、同人誌的だと思った。同人誌はオリジナルを標榜しないのは自明であり、鉄則である。
 言葉そのものの力が弱く、心が動くことはなかった。静かに腰掛け、事態を見守る東次郎師の存在感に救われた。わざわざ上演するような作品だとは思えなかった。個々の演者の奮闘は喜んで認める。たとえ機会があっても、もう観ることはないだろう。
 
 能の囃子がオペラ劇場という空間の中でも空気を圧する力があることを実感できたのは嬉しかった。

バレエ 「ジゼル」 第2幕

振付 ジャン・コラリ/ジュール・ペロー/マリウス・プティパ
音楽 アドルフ・アダン
演出 牧 阿佐美(セルげーエフ版による)

ジゼル  西山 裕子
アルベルト  山本 隆之
ミルタ  厚木 三杏
ハンス  冨川 祐樹
ドゥ・ウィリ  真忠 久美子、寺島 ひろみ
ウィリたち

指揮 渡邊 一正
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

 主役二人がザハロワとウヴァーロフだったら、もっと気合を入れてチケットを取っていたと思う。
 ジゼルを実際の舞台で観るのは初めての経験。白いエレガント・チュチュはやはり美しい。群舞は今ひとつの出来。有名なウィリー達がアラベスクで舞台を横切って行く場面も、物足りなかった。ジゼルの西山裕子はこの中では健闘したと言える。山本隆之にはもっと頑張ってもらいたいと思った。見せ場のバリエーションがぱっとせず。
 細部を見ていけば不満はあれども、150年以上の時を経て洗練されてきた作品にはそれだけの魅力がある。新作能が太刀打ちできるわけもない。

 正直、オーケストラの演奏が聴こえてきた時にはほっとした。モノにはそれぞれに相応しい場所というものがある。水は低きに流れ、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返すのがいい。


こぎつね丸