観能雑感
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2005年09月23日(金) 楽劇 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

2005年9月23日(金) 楽劇 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 新国立劇場 PM2:00〜

 口唇ヘルペスが出て体調悪し。発熱、リンパ節腫脹、全身倦怠感を伴うのはいつものことだが、今回殊更喉が痛い。長丁場なので諦めかけていたが、なんとか出かけることができた。
 休日のせいか、開場は9割方埋まっていたように思う。3階センター下手寄りに着席。
 この作品を契機に、オペラに興味を抱くようになった。勿論実際に劇場で観たわけではなく、公共放送を見て。今から20年近く前のことで、なかなか感慨深い。
 いろいろ書きたい事はあれでも、不調が続いているのでできるだけ簡単に(と言いつつ長くなった)。

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』



作曲・台本:リヒャルト・ワーグナー



指揮:シュテファン・アントン・レック
演出:ベルント・ヴァイクル
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:磯野 睦
舞台監督:大澤 裕
合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ハンス・ザックス:ペーター・ウェーバー
ファイト・ポーグナー:ハンス・チャマー
クンツ・フォーゲルゲザング:大野光彦
コンラート・ナハティガル:峰 茂樹
ジクストゥス・ベックメッサー:マーティン・ガントナー
フリッツ・コートナー:米谷毅彦
バルタザール・ツォルン:成田勝美
ウルリヒ・アイスリンガー:望月哲也
アウグスティン・モーザー:高橋 淳
ヘルマン・オルテル:長谷川 顯
ハンス・シュヴァルツ:晴 雅彦
ハンス・フォルツ:大澤 建
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:リチャード・ブルナー*
ダーヴィット:吉田浩之
エーファ:アニヤ・ハルテロス
マグダレーネ:小山由美
*トルステン・ケールが来日できなくなったため、代役。

 序曲は速めのテンポでレガートかつソステヌートで演奏された。もっと重厚な方がこの作品には相応しいのではないかと思う。
 第一幕、ヴァルターにダーヴィッドがマイスタージンガーの歌に求められる様々な形式について長々と説明する。残念ながら長時間のソロに耐えうる程の力量が歌手になく、少々辛かった。演技は悪くなかった。
 第二幕、逡巡しつつもエーファの態度から本心を読み取り、彼女への思いを諦めるザックス。ベックメッサーの歌が元で騒動が巻き起こる。
 第三幕、口ではエーファを罵りつつも、その実二人を応援する気持ちがあることを理解し、ザックスに感謝の気持ちを表すエーファ。ザックスにとっては、それがまた切ないのではないか。ヴァルターの歌はマイスター達に認められ、人々はザックスを讃える。
 衣装は19世紀末くらいをイメージしたものだろうか。マイスター達の正装はテールコートだった。

 熱っぽいところに眠気を催す薬を飲んでいるので一幕、二幕はところどころ半覚醒状態になってしまった。ザックス役のペーター・ウェーバーの歌は堅実で温かみがあり、また恐らく190cm近いのではないかと思われるくらいの長身で、確かな演技力とともに大変舞台映えした。エーファ役のアニヤ・ハルテロスも180cmくらいありそうな長身。立ち姿が美しく、歌も良かったと思う。ベックメッサーは悪役かつ物語を牽引する重要な役どころ。歌手の健闘が光った。

 前作の『トリスタンとイゾルデ』が疾走する若い魂の物語であるのに対し、こちらは成熟した大人の物語である。トリスタンとイゾルデは己の心の赴くままに行動し、それにより周囲に混乱と悲しみをもたらしただけではなく、自分たち自身も破滅する。一方ザックスは理性により諦観を受容し、周囲も、そして自分自身にも幸福を呼び込む。彼にとってエーファは娘のようであり、同時に女性として愛情を感じる存在でもある。己の年齢を意識し、若い二人を結びつける役を自ら選び取る。パンフレットに「ワーグナーの恋はいつも一目ぼれである」という一文があり、なるほどまさしくその通りだと思った。エーファとヴァルターは教会で出会った途端に惹かれあう。そこには相手の人間性の有様など介在する余地がなく、またはたから見るとヴァルターは気位の高い、領地を維持できなくなった零落した騎士としか映らない。人間としては、ザックスの方が遥かに魅力的だ。

 終演間際のザックスの演説は、この作品がナチス・ドイツに都合よく利用されてしまった過去を想起させる。今回初めて知ったのだが、この部分、当初ワーグナーの構想にはなく、コジマの強い要望で付け加えられたそう。ここだけ取り出すとドイツ人、ドイツ文化の称揚と他国排斥に聞こえるが、作品の舞台となった16世紀当時の事情を考慮すれば決してそうだとは言えない。全体からすると、蛇足であることは否めないが、それがこの作品の価値を損なうことには決してならない。他国排斥と自分を育んだ文化に誇りを持つことは、同じではない。忌まわしい過去を払拭するかのように、城壁から「芸術と自然」と書かれた幕がおろされ、全員がそれを敬意を持って見上げたところで、終了となった。

 オケに対しては不遜な物言いながら、だいたいこんなところだろうと思いつつ、簡素な中にも時代を感じさせるセット、大方の出演者の好演と、概ね満足した公演だった。

 開演前のロビーには「日本ワーグナー協会」がスペースを持っていた。活動内容はどんなものなのだろうか。気になる。
 


こぎつね丸