観能雑感
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2005年02月09日(水) 国立能楽堂普及公演 

国立能楽堂普及公演  PM1:00〜

 遠い曲に豪華出演者。この時期は閑居中であるのが事前に解っていたため、躊躇なくチケット取得。珍しいことに売出し開始直後にかけた最初の電話が繋がるも、中正面は僅か数席しか残っていなかった。国立主催公演のチケットは取りにくくなるばかりである。
 前日に何故かほとんど眠れず。嫌な予感。
 満席。やはり補助席は出さないものと思われる。中正面前列脇正面寄りに着席。隣席の方は肘掛を占領、と言うより完全に越境状態。邪魔。ご高齢で思うように体も動かないのであろうと考え、敢えて何も申さなかったがストレスはかかる。普通に落ち着いて観ることは、斯様に困難。嗚呼。

狂言『横座』(和泉流)
シテ 野村 万之介
アド 野村 万作
小アド 高野 和憲

 自分の牛が知人に飼われているのを知り、取り戻そうとするが、三度呼びかける間に返事をしたら返すと条件を付けられ、さらに返事をしなかったら譜代になる約束までさせられる牛主。二度失敗し、惟喬・惟光親王の皇位継承争いの際行われた祈祷の様子を語った後、ついに牛は鳴く。

 まず某の万作師が牛を伴い登場。上半身が全くぶれないハコビはさすが。牛は茶の着ぐるみに黒頭、面は賢徳か。万作師、喉の調子が良くない様子。
 本作はシテの語りの比重が大きい。決して力まず、淡々と、それでいて聴く者の注意を逸らさないこの方の芸は、昨今得難いもの。牛の誕生と横座という名前の由来を語るところでは、惜しみない愛情が伝わってきて温かい気持ちになる。一変して祈祷の描写は鬼気迫るものがあった。ついに返事をした牛の声を聴いたときの、確信と喜びが合わさった控えめな笑みに、こちらも嬉しくなる。
 結局、装具ごと牛を連れて帰って終曲。すっきりした幕切れと自然に耳に入ってくる言葉に満足した時間となった。ところで、牛の姿はあまり可愛くない。

能『高野物狂』(喜多流)
シテ 友枝 昭世
子方 狩野 祐一
ワキ 宝生 閑
アイ 石田 幸雄
笛 松田 弘之(森) 小鼓 横山 貴俊(幸) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
地頭 香川 靖嗣

 珍しい男物狂の現行曲。常陸の国、平松殿に仕える高師四郎は、突然出家した主君の遺児、春満を探すため物狂いとなって高野山に登り、偶然再会を果たす。世阿弥作。クリ、サシ、クセは信光作とのこと。
 直面、直垂姿でシテ登場。今更言うまでもないが、よくこれ程と思うくらい完璧に制御されたハコビ。亡き主君の命日に寺に参詣しようとしている折に、家人が春満の手紙を持って現れる。この手紙を読み上げるのが聴かせどころ。落ち着きつつも、出家という衝撃的な内容に一瞬はっとする息遣いが秀逸。行方を捜しに出ることを暗示させつつ中入。
 次第でワキ、子方が登場。高野の僧は弟子となった春満を空海ゆかりの三鈷の松を見に連れて行く。一声でシテ登場。大口、絓水衣、侍烏帽子、手には手紙を結わえた松を持つ。カケリの後、故郷の風景と重ね合わせつつ、若君を想いながら高野の山道を登って行く場面の詞章が美しい。僧に見咎められ、仏道に関する問答になる。静かだが緊張感のあるやり取り。松を扇に持ち替え、クリ、サシ、クセで三鈷の松の謂や高野の地の仏性の在り方を説く。続いて男舞へ。流儀によっては中之舞だが、曲趣には男舞が相応しいように思う。私は他流より、森田流の男舞を好む。舞そのものは文句の付けようもなく、目が離せないが、あまりに端正で、歌舞音曲禁制の場で心の昂ぶりから思わず舞ってしまった、という勢いを伴った熱感が感じられなかった。舞の後、お決まりの子方からの名乗りがあり、めでたく主従再会。高師も出家し、終曲。
 詞章も美しく面白い曲だが、上演頻度が低いのは、面白く見せるには高度な技量が必要とされるからだろうか。主君の遺児を追って自分も出家するという熱さより、霊場の持つ静謐な空気に包まれた舞台だった。地謡、よくまとまり力みすぎず、曲趣を盛り上げた。個人的に、地頭香川師、副地頭粟谷能夫師の組合せの際、満足度が高い。
 以前から感じていたけれど、こうして直面のシテで拝見すると、友枝師は透明感のある色白だとつくづく思う。そして唇だけぽてっと紅い。御歳より遥かに若く見える。

 今回は睡眠不足から否応なしに眠気に襲われ何とも残念。自分も舞台も環境も良い状態というのは、なかなか実現が難しい。


こぎつね丸