観能雑感
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国立能楽堂定例公演 PM6:30〜
『忠度』は未見であり、シテもぜひ観てみたい方だったので迷わずチケット購入。 補助席も出る盛況振り、中正面脇正面側の中央通路寄りに着席。
狂言 「仏師」(大蔵流) シテ 大蔵 吉次郎 アド 大蔵 弥太郎
仏堂を建立した田舎者が安置する仏像を求めて都にやって来る。すっぱは自分は仏師であると偽り自ら仏像の振りをして騙そうとするが、印相が気に入らないと何度も直されているうちに露見。 弥太郎師の田舎者がまず登場。もともと上ずり気味の声がさらに擦れ気味でやや聴き難い。やがてすっぱの吉次郎師が登場。しかし着席した直後から眠気に襲われていてその後ウトウトしてしまう。はっきり覚醒した時には印相を直させているところであった。一週間分の疲労が蓄積した金曜夜の公演の、厳しいところである。やり直させられる度に取るすっぱの格好が滑稽で、笑いを誘う。 自らが仏像に化けるのは、元手は掛らないがばれる可能性が高い。効率の良い詐欺とはとても思えず、そんなすっぱの間抜け振りも滑稽である。
能 「忠度」(観世流) シテ 梅若 万三郎 ワキ 殿田 謙吉 ワキツレ 則久 英志、御厨 誠吾 アイ 大蔵 千太郎 笛 寺井 宏明(森) 小鼓 観世 新九郎(観) 大鼓 柿原 崇志(高) 地頭 伊藤 嘉章
「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花ぞ今宵の主ならまし」という歌を主題に据え、薩摩守忠度の生と死を描く、詩情溢れた作品。世阿弥作。ワキの着きゼリフ、修羅能につき物のカケリがない。 ワキ、ワキツレの道行きがどことなく不揃いで情景が浮かんでこない。 一声でシテ登場。藍色熨斗目着流し、鳶色絓水衣、面は笑尉、背負った薪に花を差し、杖を突いている。橋掛りでしばらくシテ謡が続くのだが、声量がそもそもあまりないのか、言葉が不明瞭でほとんど聞き取れず、一向に世界が立ち上ってこない。立ち姿、所作は美しいが、身体に充満するものが感じられない。囃子が入らない時の謡はまだ聞き取れたが、アシライが入ると一気に聴き辛くなった。せっかくの美しい詞章も聞こえてこそである。世界が形成されないまま中入。 間語り、懸命さは覗われるが、じっくり耳を傾けたくなるほどの力はない。 後シテは、白地半切、紅葉柄厚板、紺地法被肩脱ぎと大変優美な色合わせ。詞章では錦の直垂を着用しているが、平家物語では紺とあり、その両方を上手く組合せている。装束合わせの良さに定評があるこの方らしい。面は中将。箙には短冊がのぞく。 後場で少しは持ち直す事を期待したが、世界は見えてこないまま。実際の舞台よりも詞章を読んでいた時の方が情景が浮かんで来たのはどういう訳か。面の表情は全く変化せず。未消化のまま終曲。 地謡は銕仙会から西村師が加わった他は万三郎家門下。例えて言えば楽譜通り間違えないで演奏できたという態で、場を形成する力を持たなかった。総合力では劣るとされる梅若系だが、なるほどと納得。 笛の宏明師は父上よりもずっと良い。派手さはないが堅実。予想していたよりもはるかに良い演奏だった。 万三郎師、批評によると波が激しいそうなので、今日は不調な日だったのだろうか。来月『砧』を観に行くのだが、その時は満足できる舞台を見せていただきたいものである。 舞台全体が物語りを形成する力を持たず、味のない食べ物のごとくであった。残念。
留めの「花は根に帰る」というところ、花=忠度、根=根の国で、再び死者の国に帰るという暗喩であろうか。忠度は清盛の末弟だが、母親の身分が低く、一族の中では陰に隠れた存在だったらしい。だからこそ、名を残す数少ない機会として歌道に没頭したのだろうか。
再び狂斎の「釣狐」を見に行ったが、衣は水色というよりは灰色であった。かように、記憶とは当てにならないものである。
本日の発見。檜書店のご店主は左利きである。
こぎつね丸
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