観能雑感
INDEXpastwill


2002年10月11日(金) 銕仙会定期公演 

銕仙会定期公演 PM6:00〜  宝生能楽堂

出かける時少々気が重かった。某狂言方出勤の会なので、チケットが異常に早くほぼ売り切れ状態になっており、見所の雰囲気が気になったからである。隣に座った若い女性二人組はとても分り易く件の狂言方のファン。お調べが始まってもおしゃべりを止めないのに閉口したが、特に実害なし。前列のすぐ正面の人が身を乗り出す事もなく(その隣の人は乗り出していたので危ない所だった)、周囲に悩まされることなく比較的気持ち良く観賞出来た。

能 「梅枝」
シテ 浅見 真州
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 大日方 寛、則久 英志
アイ 石田 幸雄
笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 安福 健雄(高)

ワキの名ノリと道行に続いてシテ登場。作り物の萩藁屋の被いがはずされ下居姿のシテが表われる。面は曲見。若さを出したかったのか。浅見師の声、好き嫌いが別れるところかもしれない。私は好きである。雨が降ってきたので一夜の宿を貸してくれと頼む僧に、粗末な家だからと一旦は断るが、重ねて乞われ承諾する。沈みがちだったシテが上歌の「東南に来る雨の脚、早くも吹き晴れて月にならん嬉しや」のところで葦葺きの屋根の隙間から月を眺めるがごとく、ごく僅かに照らし、ここで初めて笑顔を見せたかのような、絶妙の効果を見せた。今まで気付かなかったのだが、閑師の謡、声が消えるその瞬間が自然に空気に溶け込むようで、大変心地よい。舞衣と太鼓の由来を問われ、殺された夫の物であり、休むことなくそれを打ち続けた自分も儚くなってしまった。夫を思う執心開放して下さいと頼んで消えて行く。
中入後太鼓の作り物が出され、アイ語の後、鳥兜に舞衣姿のシテが誦読の声に導かれて登場。淡い紫の舞衣にぺバーミントグリーン(ああ、日本の色彩の勉強をせねば)の縫箔と、浅見師の装束はいつも大変趣味が良い。夫への執心からの開放を再度願い、懺悔の舞(詞章にそうある)を見せるが、ここに至るまで雅楽の曲名をいくつか引いて、本曲が雅楽がらみである事を印象付ける。地の「梅が枝にこそ鶯ハ巣をくへ。風吹かば如何せん花に宿る鶯」の部分は越天楽今様の節と一致すると横道萬里雄氏の研究で明かになったとか。
シテが舞うのは楽であるが、これまで楽というと楽しげなイメージがあったのだが、ここでは「懺悔の舞」であるため、ひどく哀しげである。同じ旋律なのにこうも印象が違うのかと思う。段が変わってテンポがアップすると沈んでいたシテの執心が一気に強まり、舞の終了と共に静まったかのように見えた。この方の舞はいつ観ても優美かつ雄弁で目が離せない。シテが幕入りし、正中でワキが留め終了。
消え入る瞬間まで己の執心を恥じるシテだが、それは恨みではなく夫への恋慕である。とにかく何に対しても執着しては成仏の妨げになるという仏教の教え、納得できるが当事者にはさぞかし辛いだろうと思う。
あまり好きではない安福師だが今日は良かった。浅見師の声とのバランスが良いのであろうか。師の舞台は観た後に清涼感が残る。満足した一番。

狂言 「柑子」
シテ 野村 萬斎
アド 野村 万之助
主人の柑子(当時は高級品だったそうだ)を食べてしまった太郎冠者が言い訳をする話。
件の狂言方が何をしても見所が笑う。気持ち悪い。こういう見所で役者は育たないと思うのだが。大げさに表情を作ったりするところがどうしても気になる。10分程で終了。これだけ観に来た人は、お疲れ様である。

能 「国栖」 白頭 天地之声
シテ 浅井 文義
前ツレ 長山 桂三
後ツレ 谷本 健吾
子方 鈴木 清子
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 喜博、梅村 昌功
アイ 深田 博治、高野 和憲
笛 一噌 庸二(噌) 小鼓 亀井 俊一(幸) 大鼓 亀井 実(葛) 太鼓 金春 國和(金)
 
不覚ながら、小書付きだったのをこれを書いている今になってやっと気付いた。詞章が異なったのもこのためだったのだろうか。
脇能だが準切能でもある。見どころが多くて面白い能だと改めて実感。
尉は後シテの事を考慮して若干抑え目か。ツレは心持ち高い?観る側としてツレの位を把握出来ていないので、何とも言えないのが歯がゆい。清見原天皇(大海人皇子)を舟に隠して後を追ってきた武士と問答するところは痛快。権力も膂力もない老人が機転だけで危機を脱するのだ。本曲では大友皇子が大海人皇子の「伯父」ということになっているが、音で聴くと「大友の伯父」が「おおとものおうじ」で「大友皇子」と重なる。こんなところで勘違いが生じたのか。
楽に乗せて後ツレの天女登場。天女の舞を見せるのだがこれが哀しげなのだ。クモラセ気味だからだろうか。天皇の無聊を慰める舞なのだから、晴れやかに舞わなくてはいけないと思うのだが、どうだろう。続いて後シテが豪快に登場。颯爽と動き回る。こういう所も能の魅力のひとつ。ただ静かなだけではなのだ。白頭に面は不動。粟谷家から拝借したそう。そういえば粟谷明生師もこの面で「国栖」を勤めたはず。蔵王権現の「強さ」を表現したかったのだろうか。黒がかった緑が特徴的。清見原天皇の御代を寿いで終了。

いつも気になるのだが、途中入場があまりにも多い。開始後数分ならまだ分るが、30分以上経っての入場は、周囲の迷惑ではないだろうか。モニターが外にあるので中入の時とか、比較的邪魔になりにくい時間帯を見計らって席に付くくらいの配慮があっても良いのではないかと思う。自分さえ良ければいいのか。社会的なモラルが低下すれば、当然見所のモラルも低下するという事か。


付記: 「かさねの色目」という本で調べたところ、「梅枝」の後シテが付けていた装束の色は舞衣が「薄色」、縫箔が「淡萌黄」のようである。この本、何年も前に購入しておきながら、ほとんど目を通すことなく放置されていた。そのうち出版元である京都書院が倒産。処分する気にはなれなくて手元に置いていたが、こうして役に立ってくれる。良かった良かった。


こぎつね丸