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「何か足りない」とよく思う。 それが何なのか、多分答えは出ている。
でも大事なのは、 それを解決することよりも、 それを受け入れることなんじゃないかと思う。
人間がまず自己に対する問いかけから世界を理解しようとするのは、 ハンナ・アレントが「世界疎外」と表現した近代人の懐疑の表れなのではないだろうか。 アレントによれば、世界の意味づけを知ることをあきらめた近代人は自己だけは確実な存在であると信じて、 自分とは何かという問い、すなわちアイデンティティの探求を通じて確実な世界を取り戻そうとする。 しかしそれは、結局はむなしい試みでしかない。 自己の内側をいくら探っても、結局は確実なものは存在しないからである。 我々がアイデンティティと考えるものは、本来は他者との関係性によって自覚されるのである。 人間は親という他者と接して初めて自己を認識するし、 異性を意識して初めて自分の性を意識するし、 異文化と接して初めて自らの属する文化体系を意識する。 アイデンティティは始めから実在する不変のものではなくて、 世界の中に住む自分が他者と出会い、交わることで、新たに創造され、変化する。 アイデンティティとは出発点ではなく、世界との交わりの終着点なのである。 (中西寛『国際政治とは何か』)
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