 |
 |
■■■
■■
■ 高校野球と汚い自分の露呈
高校野球が基本的に嫌いだった。 でも、今は好きだ。 ブラウン管の向こうの高校球児たちを 今、素直に尊敬の眼差しで見つめていられる事を嬉しく思う。
高校野球が嫌いだった。 同世代の誰かの活躍を見るのが悔しかった。 本当は、自分もそこへ行きたかったんだ。 努力して、諦めかけて、歯を食いしばって、悔しがって。 誰かに厳しく鍛えて欲しかった。 自分の中に眠ってる才能を伸ばして欲しかった。 何もかも捨てて一心に打ち込めるものが欲しかった。 輝ける場所が欲しかった。
高校生になれば何でもできるのだと思っていた。 大きくなれば何でもできるのだと思っていた。 輝ける場所を与えられている誰かが羨ましくて まだ与えられていない自分が苛立たしくて 同世代の誰かの栄光を見るのが悔しかった。 頑張っている人を見て自分も頑張ろうと素直に思えなかったのは 本当のところは、ただ自分に自信がなかったんだろう。
今、17歳、高校三年生になろうとしてる 昭和62年に生まれた少年たちがエースとしてマウンドに立ってる。 そうなってみてやっと気がついたんだ。 同じ場所から同じ瞬間に歩き始めて 今、それぞれの立ち位置がこんなにもかけ離れている事に。 小さな頃、高校生になれば何でもできるのだと思っていた。 大きくなれば、自分はなりたい自分になれるのだと思っていた。 とんでもない。 大きくなったって、自分は自分のまま何も変わらない。 ただ生きているだけじゃ、欲しいものは何も手に入らない。 ただ待っているだけで与えられるものなんて、ほとんどない。
私は、幼い手を高く上げて、与えられる日をただ待っていた。 自分勝手な甘い期待に溺れて、その通りにならない現実に癇癪を起こして。 彼らは、自分の足で歩いた、誰かが与えてくれるのを待ったりしなかった。 私が愚痴をこぼしながら俯いて歩いた道を、彼らはどんなふうに歩いたんだろう。 始まりは同じだったこの道の、どこで彼らは分かれたんだろう、そこはどんな道なんだろう。 彼らが一球投げるごとに、打ち返すたびに、同じ時間を共有しながら全く違う場所に辿り着いたその道程を思う。 同年代である事を誇りに思う。 もしかしたら同じ教室で机を並べていたかもしれない奇跡に泣きそうになる。 栄光は与えられるものじゃない、私はそれすらわかっていなかった。 同じだけ与えられた時間の中で、高みへと登り詰めたその努力に敬服する。 自分も頑張らなくてはと心から思う。
高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても 私は私のままで、どこかから何かが与えられるなんてことはない 私が私の人生をどうにかしなきゃいけない
それを知らなかった私は高校野球が嫌いだった。 それがわかった私は高校野球を好きになった。
甘ったれの駄文でした。
2005年04月05日(火)
|
|
 |