多摩川沿いの必死こいてチャリを漕ぐ 蒲田駅にて「京急蒲田まで急いでください」というがそこんところは 東京事情、早く走れるわけがない、信号と二車線しかない街で それでも間に合ったのかどこかおかしい
「幸せってなんなのか、今の私にはわからないよ」
手術二回して、体を動かせるようにはおばあちゃんはなったけど 「明日医者から抗がん剤の話かもね」って 「抗鬱剤の点滴で腕がぼろぼろだ、」 姉、薬に頼って、薬のために活動ができて、薬のおかげでなんとかできて
じいちゃんを不慮の事故でいきいきなり無くして 今実の母の世話をできる母は幸せなのかもしれない 手術とか抗がん剤とかしてまで、生きようとすることは幸せなのか? ばぁちゃんは、どう思うのだろう? 姉は、薬があったとしてそれである程度改善できても、何かのおかげで成り立つ生活はそれは、幸せなのだろうか? もっと根本的なことがあるんじゃないだろうか?
「何が幸せなのか今の私にはわからない ただ言えることは、そういうことを悲観的に考えるわけじゃなく どうできるか、どう上手く対処していくか
泣いても喚いても解決にはならない よくわからない幸せを、もっと切に具体的になるように動くべきで 少しずつ、いろんなことに色んな選択肢に目を向けるべきだ
だってね、だって いつだって、泣きそうでありながら、悩みながらも 明るい私だから、そんなことはどうにでもなる」
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