 |
 |
■■■
■■
■ 日本語だけど意味不明
わずか数行の、書きっぱなしみたいなメモや日記なのに意味が分からない日本語ってけっこう多い。
この日記をレンタルしてるエンピツさんではいろんなジャンルの日記が時間の昇順で公開され(公開登録者のみ)ヒマなときはつらつら斜め読みしている。 どうということのない話題を言葉巧みに書き上げ、思わずフフフと笑ってしまうテクニックの高さを感じるところもあれば、最後まで読んでも結局何が言いたいのかさっぱり分からない場合もある。
心地よいリズム感を出すため常体・敬体を使い分けるのはよくある手だが、単なる気紛れで混合するのが個人的にいちばん疲れる。 文節が異様に長く修辞がみっつも重なると、人はそれを理解できない。
日本語を見直す動きが去年あたりから盛んになっているようで、それはそれで喜ばしいことだ。黙読でも音読でもじゃんじゃんやるがよかろう。 しかし読む作業は比較的容易だが書くとなるとなかなか難しく、段階を踏んだトレーニングが必要となる。
とある中学では自分の意見や考えを書く練習のため、ポストイットのような剥離自由な付箋を利用しているそうだ。原稿用紙のマス目はとっつきにくいが、付箋の小さな面積ならばとりあえず1行でも埋まる。一言書いて相手に渡したり、黒板に貼ったりする。 生徒諸君は授業内容や友達の発言に対し当初「面白かった」「まあまあかな」くらいの文字数だったが、徐々に複雑な修辞が併用され七夕の短冊くらいの分量が書けるようになった。現在はみんながポッケに付箋をもち、廊下に張り出された研究発表や絵画に細かく(且つ気軽に)批評や感想を寄せるまでになったという。
一般に文系大学出身者は文章が上手いと思われがちだが、案外独り善がりで小手先の技に溺れ読者の読解力に頼る甘えが見え隠れしやすい。美大卒が必ずしも絵が上手じゃないのと同様だ(笑)。 実はもっとも文章力を必要とするのは理系である。発想を現実のものとするために様々な実験や検証を重ね、その過程を織り込みながら誰もが納得する理論に組み立て分かりやすく表現する――他人に読んでもらえる文章を書こうとするなら、メーカーの商品案内や技術説明のパンフをお手本にするのが手っ取り早いかもしれない。
2004年11月16日(火)
|
|
 |