diary of radio pollution
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2010年10月21日(木) 徒歩

靴が壊れるまで。

忙しい時は無理だが、時間と体力に余裕がある場合、とりあえず歩く。もし、疲れたら途中で電車やバスに乗ればよい、と思いながらも、おそらく大抵は完歩している。まぁ、頑固な意地みたいなことも見え隠れしてはいるが・・・

歩いていると、たくさんの情報を得、同時に処理できることは魅力だろう。このスピード社会で見落としている類の単純な部分かもしれない。もちろん、速度を上げていくことで感じる部分もあるが、自身の詩を創造する上で、大事にしたい根幹がこの原始的な行動の先にあるので、やはり一歩づつ踏み出していくこの動作が必要なのだろう。

ここ最近で思い出深い徒歩は、メキシコ旅行中のことだろう。いつも旅行先では、毎日一人でよく歩く。予定を詰め込まない旅行スタイルも当然あるが、日本以外の場所は、より貴重な情報を発見できる。

方角、道は、もちろん気にしつつ、荷物に気を配り、周辺の雰囲気を感じ、トラブルに巻き込まれないようにあらゆる感覚を研ぎ澄ましながら進む。その状況だけで、すでにお腹いっぱいだが、それらを通し得られ感じる先には、砂金程のものかもしれないが大切な機会が潜む。人かもしれないし、物かもしれないし、環境かもしれないし、それ以外のことかもしれない。

旅も終わりに近づいたプエブラ滞在中のある日。チョルーラという郊外の町へ行ってみることにした。おおよその方角しか分からなかったので、とりあえず、往路はバスに乗車。車窓からの景色を眺めつつ揺られる。その後、目的地を堪能し、帰ろうと思うが復路用のバス停が分からず彷徨う。そうこうしている内に、大きな通りに出る。何となく見覚えがあるな、と思いつつ歩いていると、プエブラ方向の標識とバス停を見つける。とりあえず安心したのか、いつもの考えが頭をよぎる。これは、歩ける距離では?

炎天下の午後。高地の空気の悪い幹線道路沿いを、ひたすら歩く。鞄の中のすっかり温かくなったペットボトルの水を飲みながら、景色の記憶を頼りに歩き続けていると、足取りに変化が現れる。妙だと思い靴を見ると、ソールが大きく剥がれ始めていた。古い靴で、旅行中散々歩き倒したので無理もないが、疲れに暑さ、そしてまだ半分を過ぎた辺りであろう残りの距離を考えると、靴、髪形至上主義の国の路上で汗だくのボロボロな自分の姿に、独り何だか愉快な気持ちになった。

koji


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