diary of radio pollution
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約三年振りになりますか。
まだまだ短い人生しか歩んでいないが、こう様々な人々に出会っていると、別れも当然のことのようにある。だけど、人々にとって平等に時間は与えられていて、その間も生きている限り、また会う機会がある限り、再会というのは、嬉しいものである。それが、望まれた再会ならば・・・
中学、高校と英語の時間は、暇で仕方なかった。どうせ英語なんて一生使うものか、と決め込んで、完全に勉学を放棄。それは他の教科にも通じるが・・・とにかく、日本人なので日本語だけ覚えれば十分だ、なんてエセ・ナショナリズムを盾に、姿、格好は、完全なる欧米被れ。音楽も洋楽インディーを漁る、何とも説得力もない、矛盾だらけの十代。
時間は進み二十歳。何を血迷ったか、エセ・ナショナリズムもすっかりどこかへ吹き飛び、やっぱりアメリカが大好きだ、と渡米。そして、一蹴。いや、あの大きなアメリカの大きな足で、ドシンと。立ち直れないぐらい、無力を味合う。完全に英語力がないだけに、会話もろくに成り立たず、話したいことの一線を越えられないもどかしさ。もちろん、無力だけを味わっただけではなく、それ以上に得るものが多すぎて、でも、そこでも躓くのは、やはり英語。何でも英語。英語、えいご、エイゴ・・・
帰国後、まぁ人が変わったように、今までの世界や視野が変わったように、自分の愚かさを反省しつつ生きる。その間も、英語を話したい欲求は募るばかり。来日中の国外のアーティストとも、勢いだけで話しかけるが、それ以上に会話は弾まない。さらに、懲りずに、また一年後に、渡米。やはり英語の壁に打ちのめされて帰国。
ちょうどその後、英語を習いたいけど良い教室ない?と人に尋ねたり、自分で探したり、と動き始めると、以外に早く見つかる。個人で英会話教室をしている人を紹介してもらうこと、となる。
初対面の日。お宅へ伺うと、先生が出てきて、ご挨拶。女性だと聞いていたが、見た感じ年もあまり変わらないぐらいだった。
初日は面接。何でも、やる気のある人以外は来て欲しくない、という理由から、話をして、なぜ英語を本気で学びたいのか?等を聞かせて欲しいと言われる。そこで、これまでの経緯、そして今自分がレーベルをしていて、英語が話せると仕事の幅が広がるし、何よりも英語圏の人々と会話したい等々のことを必死で話した。一通り話し終えると、都合の良い日は、何曜日ですか?と聞かる。そう、つまり、合格。
それから約二年間、週一回の英会話が始まる。幾度となく完全に打ちのめされたし、仕事上がりの頭にはまったく入ってこない日もあった。でも、先生と話すことは楽しかったし、似たような趣味もあったりで、話が脱線することもしばしば。だから、続いたのかもしれない。とにかく、先生は楽しく英語を教えてくれた。
そして、以前の日記にも書いたが、先生はフランス人の旦那さんの仕事の関係で渡仏、無理やりの卒業証書。そこからは、独学で現在に至る。
すっかり英語に恐れることなく振舞えるようになり、昔の自分が可愛く思えるようになった今、先生は、また日本へ帰ってきた。で、こちらが忙しかったので、ツアー後に久々の再会と行きますか?ということで、待ち合わせ。
やはり久々の再会だったので、一瞬懐かしくもあったけど、すぐに昔の感覚が蘇ってきて、お互いの三年間を話し込んだ。パリの生活のこと、フランス人の旦那さんのこと、国際結婚のこと、こちらは、レーベルのこと、音楽のこと、今の仕事のこと、そして英語のこと。珈琲もおかわりしながらの、あっという間の四時間だった。
振り返ってみた時に、あのタイミングで英語を学ばなかったら、今の自分を取り巻く環境は絶対にありえなかったし、先生でなかったら、ここまで本気で続かなかったかもしれない、と思う。
本当に感謝してもしきれないぐらい・・・今日、ようやく、心からのお礼を言えた。
tricot
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