月のシズク
mamico



 結末を忘れるということ

読書に適した場所。
私の場合、トイレとお風呂。

冬はカラダを温めるために自然と長湯になるので、何度も差し湯をしながら
湯船の中で本を読む。お風呂で読む本の傾向は決まっている。
どっしりとした長編小説か、スナック菓子のような軽めの短編集。
先週までは、渡辺淳一作品にどっぷりと浸っていた。

さておき、私は好きな本を何度も読み直すくせがある。
そろそろあの小説が読みたいわ、と本棚から出しお風呂に入ってページをめくる。
ああ、これこれ、この書き出し、と、たちまちなつかしい気持ちに満たされる。
だが、問題はそのあと。

それで、この物語はどうやって終わるんだっけ、と首をかしげる。
もう何度も読んだはずなのに、どうしても結末が思い出せないのだ。
それはひとつの作品に限ったことじゃなくて、どれもそうなのだ。
記憶力が悪いということでは片づけられないくらい、さっぱりと忘れてしまう。
クライマックスにさしかかっても、私は物語の進行と共に笑い、泣き、
そして結末を知らない。

うーん、もしかしたら、結末なんてどうでもよいのかもしれない。
私が心惹かれるのは、言葉が紡ぎ出す物語の世界、その風景、その感触、
その匂い、その懐かしさなのだ。ページをめくることでその「世界」の中に
入っていけることが嬉しくて楽しいのだ。物語は私のココロの中で生き続ける。
だから、結末なんてむしろそんなに重要じゃないみたいです。
って、これってやっぱり言い訳めいてるかしら。




2001年11月27日(火)
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