ムッキーの初老日記
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2006年11月30日(木) 見えない恐怖

■元情報員、放射性物質持ち歩く?=容器壊れ被ばく(ロシア紙報道)
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=int_30&k=2006112901177



こういうニュースを見ると思い出すのは
1999年9月の「茨城県東海村の臨界事故」です。

もうみんなあまり覚えてないかも知れないけど
県民でさえ忘れてるかも知れないけど
それはもう恐ろしい思いをしたんですよ。

私の実家は東海村にあります。
事故現場から5kmしか離れていません。

私は水戸ですが、この日は仕事で、事故が起きた時間
現場からほんの3kmの場所にいました。
そしてこの事件を知ったのは、夕方のニュースです。

震え上がりました。


「事故現場から半径350m以内の住民約40世帯への避難要請
 500m以内の住民への避難勧告、10km以内の住民への屋内退避
 および換気装置停止呼びかけ、現場周辺の県道、国道の閉鎖
 JR東日本の常磐線水戸 - 日立間の運転見合わせ
 常磐自動車道東海パーキングエリアの閉鎖」




どうです?読んでるだけで怖いでしょう。
画像は映画じゃないですよ。6年前実際の写真です。

うちは15km以上離れていたけど、全然安心できる距離じゃない。
この暑がりの私が、換気扇もエアコンもつけない
蒸風呂のような家の中で我慢しましたよ。

実家の母の事が心配で心配でたまらなかったし
それに「事故現場の側にいた」っていう事実で
もう吐き気がするんですよ。思い込みってやつでしょうけど。
「目に見えない恐怖」っていうのは、厄介ですね。

この事故では臨界が続いているのに気付くのが遅くて
有効な手が打たれないまま約20時間継続。
そのため多量の中性子線とガンマ線、核分裂で生れた放射能の放出が続き
東海村の各所に設置された放射線モニターは、通常の20倍を記録したそうです。

私は翌日、会社からすぐに病院に検査に行くように言われ
次の日に病院に。そこで医者に

「もし被爆していても、そんなすぐには数字に出ませんよ」

と言われ、「被爆」という具体的な言葉を聞き、また気持ちが悪くなったのを覚えています。
私や母が無事だったのは、本当にたまたまって気がします。
一歩間違っていたら・・・


あんな恐ろしい思いはもうしたくないですが
東海村の核施設は今日も動いていますよ。

東海村だけじゃなく、日本各地の核施設が、動いてますよ。

動いている限り、いつまたこういう事故が
もっと大規模な事故が、起こる可能性があるという事です。


なんと危ういところに、私たちは暮らしているのかなあと思います。


そんな恐ろしいものを持ち歩き?変死しちゃったスパイ氏。
本当だとしたら、自業自得ですけどね。
知らずに放射能を浴びていたかも知れない周囲の人が気の毒です。



わかりやすく書いてある「東海村臨界事故」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kokokoko/HTM/s1.htm





+・+・+ 夜に口笛を吹いて蛇を呼ぶ会会長オッサン君 +・+・+

11/30 あ、また昨日より少し面白くなってる。

11/29 電化製品を叩いて直し出したら初老。

11/28 具がおかかでも梅干しでも、五個あればいいじゃん。

11/27 男性はそれほど眉毛に注目していないよ。

11/26 口直しに一膳。

11/25 執事の四割は『セバスチャン』

11/24 歯の詰め物が取れ出したら初老。

11/23 やってみたかった…チェッカーズカット。

11/22 春恒例の桜って歌をボチボチ作り出した奴が居るはず。

11/21 「僕は毎日楽しく元気です!」って文科省に手紙出そうかな。

11/20 醤油でもソースでも美味しいと思った方でいいじゃん。


ムッキー

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