いぬの日記

目次


2007年06月09日(土) しっかり!

今週木曜日に突然アレルギー症状が発症し、水のような鼻水が止まらなくなりました。
ティッシュで拭いてらんないので、大判のハンカチを二枚持っていってデスクでグスグスやっていました。
ハンカチで鼻かむと、鼻が痛くならないしあまり赤くならないのです。
触った感じはティッシュより固いけど、紙の繊維と布の繊維だったら布の方が柔らかいし、油もすわないんだろうな。
見た目は多分きたないけどね・・・いいさ自分の快適さが大事だよ。


金曜日は鼻水は収まってきたものの顔全体腫れぼったい感じで頭も痛く、ついでに生理も始まって、何だか全体的に弱りまくっていました。
ぐはー。
食べれなくなったら動物はますます弱る!と思い、なんとか夕飯をもそもそ口に入れてすぐ寝ました。
母と弟はそれぞれ飲み会で深夜に帰ってきて、翌朝二人とも二日酔いでぐったりしており、二重苦で弱った私とともに不景気な顔で朝食を食べていましたが、まー同情の余地はないです。
二日酔いになるまでアルコールを飲むことができないので、なったことない。辛さが分からないのですが、あれはわりと辛いらしいですね。
金曜日は、痛み止めの力で乗り切りました。
わりと薬が利きやすい方なのか、痛み止めは怖いぐらいてきめんに効果発します。
でも、慣れたらききにくくなると聞いたことがあるので、いざって時効き目がなくならなると困るわと思い、なるべく飲まないようにしています。
普段頑丈な分、たまに痛かったりだるかったりすると激しく弱るのです。
今日も午前はぐったりしてましたが、だるい時に引きこもって(ていうかいつもこもってるけど)ダラダラ本読んだり寝っころがったりできるって、幸せだなーと実感してました。


天気が良かったので、日中ベランダにハンモックぶらさげて本読んでみました。
青々と茂った桜の葉が、風に吹かれて波のようにうねってるのを見ながらゆらゆらとハンモックに揺られる。
なかなか良い。でもちょっと酔った。体調悪い時に乗るもんじゃないのかも。


久しぶりにパソコンつけたのですが、やっぱり不安定です。こわいなー。
タキツバを聞きながらネットしてたらブツンと落ちました。ひー。
音楽聴きながらネットしてたらオーバーヒートですか?そうなの?ちょっと君か弱すぎない?あいちゅーんじゃなくてメディアプレイヤーだよ?


日曜日に伊万里さんと行く予定のカラオケのためにタキツバを練習したいのですが、歌詞を見ながら歌おうとすると笑いの発作に襲われて声が出なくなります。
一番楽しかった歌詞はあれです、せれなーで!
発音が「せれねぃど」だって知ってぶほっとマジ噴き出しました。たまらん。
彼らの歌自体はどうということもないので、ヘビロテして聞くのは正直辛いのですが、これらの歌詞やPVを思い出すと元気付けられます。
一時は、歌詞のあまりの意味のなさに「こんな空虚な歌うたってて本人達は疑問に思わないのかしら」と素朴な疑問を感じてしまったのですが、考えてみたら、彼らは何千何万というお嬢さんたちに夢と希望をときめきと楽しみを与えているのですよね。
それってすごい価値のある仕事だし、会社に何の利益も生まない私が口を挟むようなことではないわ。と我に返りました。
失礼なこと考えてごめん。
でもきっと、本人たちも新曲の歌詞や衣装に大ウケして爆笑していると思うんだ。
してたらむしろ和むな。





最近読んだ本や雑誌の記録をつけたいと思って試しにやってみているのですが、携帯でちまちま打つのめんどいなー。
さんざんおたくだってことは知られているとはいえ、全部書き出すと引かれるだろうな・・・という気がするのですが、あとから読み返すと面白いんじゃないかなーという自己満足の誘惑にかられて始めました。
が、すでに脱落気味です。
立ち読みが主なので、やっぱり後ろめたく、面白かったことだけ基本的に書いています。
金を払ったなら批判したり文句言う権利はあると思うけど、そうじゃなかったら、まさに盗人猛々しいという感じですよね・・・。
まー単行本にも結構お金落としているので許してと心の中で思っている。
迷いながら文章打つので、量が多いとかなり時間がかかる上に、誤字脱字や意味不明な文脈が非常に多く、携帯で文章打つのは大変だなーと実感しています。
携帯で小説打ってる人とか、すごいなあ!


巷でブームのケイタイ小説には興味がないのですが、携帯で小説を読むという手法事態はバカにできないと思います。
あの、数文字×数行の画面で文章を読むと、すごく集中できるしリズミカルに読めて、本やパソコンの画面で読むよりも文字がぐんと迫ってくるので、文章が1.2倍ぐらい面白く読めます。
あと多分、周辺視野が狭くても、ぱっと見ただけで全ての文字を目に入れることができるから、すごく読みやすいと思う。
文章を読むってことは、実は一文字一文字をなぞっていくのではなく、視野を広げて上下左右の全体を感じ取りながら読んでいくってことは、誰でも感覚的に分かっていることだと思いますが、読むのが早いということは、この時に認識できる文字の量が多いということだと思う。
今までどんな媒体で読んでも文章は同じ、と思ってたけど、そうでもないようです。
やっぱり、どんな皿で、どんな盛り付けで食べるかによって、味は変わってきます。


私は多くの人が評価しているものには何かしらの価値があるだろう、と普通に考えるので(それが私に理解できるかどうかは別として)、ケイタイ小説もちらっと読んでみたのですが、まーその感想は置いといて多分二度と手を出さないでしょう。そんな感じでした。
でも、どうしてそんなにヒットしたかという理由の一つに、「ケイタイで小説を読む」という様式があるのではないかと思います。
小説家を自認する人も、まともな出版社を自認する会社も、ケイタイ小説に対してあまり脅威を感じていないかもしれない。
でも、けっこー侮れない文化となりつつある気がします。
だって実際売れてる市場だし。


あれ、全然関係ない話に。
私には理解できない本がめちゃめちゃ売れてる現象が不思議で、どうしてかなーと考えて「携帯で読む」という形について考えるに至りました。


なぜなら、最近大ファンの同人サイトの小説を携帯で毎日毎日読む日々が続いていたので、自分の使用している媒体について嫌でも考えさせられたので。
最近ようやく日参とまで行かなくなりましたが、まじであの神サイトには生活リズムを崩すほどのめりこみました。
だから私の分も可能だったら配布本もらってくださいりー。さん・・・。
一人一冊なのかな・・・いやWeb公開してくれるの待ってもいいんだけどさ・・・。
最近は通販が始まるのが待ち遠しくて再び日参の日々です。
神サイトの管理人様がぷりきゅあはココナッツじゃなくてナッツココのようなことをおっしゃっていたので、すぐさま「そう言われるならそれでもいいです!大丈夫!」と受け入れ態勢になりました。
20年後でも大丈夫!三十路と三十路の妖精(?)でも大丈夫!だから何か書いてくれたらいいのにナ!
自分でもこの雑食ぶりと、作者惚れの性質にはたまに呆れます。
おかげで世界が広がって楽しいことこの上ない。
というわけで、そんな私の足をこの穴に引っ掛けた(ずっぽり)りー。さんは、せめて無料配布本をもらってきてくれたらいいと思うんだ・・・本は通販するからさー・・・ぐずぐず。
(次に会うまで新刊待ちきれないしどのみち通販はしてしまう)


目次



My追加