二ノ宮啓吉の区政日記
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2010年09月06日(月) 辺野古の海を見て

   自民党目黒区議団 沖縄県 視察報告       平成22年9月6日
                            二ノ宮啓吉
 戦後65年目を迎え沖縄県に於ける基地のあり方、と平和問題・健康福祉問題(うつ病と自殺について)
調査目的を設定し平成22年8月25日・26日27日の3日間とした。
特に私は沖縄における基地問題について現地担当者を交え、県民の声も聞かせて頂き今後の問題提起として報告いたします。
「辺野古に始まり辺野古に戻る」
現状と今後の基地問題について視察調査をいたしました。
日本の平和を語るのに昭和26年9月サンフランシスコ講和条約と同時に米軍の日本駐留を定めた「日米安保条約」が締結され、1960年昭和35年に米軍の軍事行動に関する事前協議制度を盛り込んだ新安保条約が署名され、その期限を10年とし1970年昭和45年も引き続き効力を有している。またその折、日米地位協定を定め日本が米軍に施設を提供する具体的な方法を定めた。
 沖縄県の75%を在日米軍基地として戦後より65年、安保以来50年間占領され、1995年には少女暴行事件が発生し、2003年には普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学にヘリが墜落を契機に沖縄県の基地負担軽減に
日米間で協議が進められて1996年モンデール駐日大使と橋本竜太郎間で7年以内に普天間飛行場を返還する合意ができたが、それ以来進展が見られず今日まで至っている。
「嘉手納飛行場」 
 沖縄防衛局 総務部 報道室補佐の 児玉達也氏に説明を聞く。
 約19.95k平方メートルの面積を有し1市2町にまたがる太平洋陸軍航空機隊で6ケ月交代で対潜水艦哨戒航空部隊、平成18年にはミサイル防御を任務とする陸軍防空高射砲大隊が配置されている。沖縄県地主は約8千人、基地従業員は3千人「思いやり予算」より年間254億7千6百万円(21年度)が年間賃借料として支払いが行われている。
 軍人・軍属約7千7百人。家族9千人と一つの市を形成しその他、嘉手納弾薬庫・陸軍貯油施設が町面積に占める米軍基地の割合は82.9%に及んでいる。また基地内には米国の6つの大学機関があり昭和61年より県民の基地内での就学が認められ62年より35−70名の県民が就学している。
 当日もF15戦闘機が何回も上空を旋回し、奥には航空空中空輸機KC135機が見え、PCA-3ミサイル防御が設置され、日本の安全を担ってくれているものと信じております。 
「普天間基地」
 引き続き沖縄防衛局の方に  嘉数高地より説明をうける。
 宜野湾市の中心に居座り、市の面積の26%を占有する海兵隊基地でヘリコプターを中心とする海兵隊の空軍部隊で、空中空輸機を含め約80機が常駐している。
兵員は330人、早朝より夜11までヘリコプターの騒音に悩まされ、近くには小学校・病院等沖縄県民の悲願であり、宜野湾市の中央部を占領し、市の発展の最大障害要因となっている。
 先にも述べたが、1996年日米首脳歓談で2007年までに前面返還が合意されたが、「海上ヘリポート」建設をめぐって予定地の名護市では反対運動が起こって返還見通しは全く立っていない状態。7.700人プラス1.100人従業員と9.000人の地主がおり土地代として一年間に約年間2百万円(沖縄県民の平均所得)の支払いを受けており、基地移転に対して、移転後の問題も生じており、複雑さを物語っている。
 「辺野古の海」 
私の後ろに見えるのが辺野古の海岸であります。
 平成8年に日米首脳会談で合意した県内移転条件となった「海上ヘリポート」建設は環境評価�機Ν兇鬚┐匿覆瓩蕕譴討い燭�、幾多の反対運動で�靴鮹綣蠅任�ず妨害と反対運動が大きくなり中断せざるを得なくなった。
 1997年比嘉鉄也名護市長が基地受け入れて、辞任表明。その後名護市長選で基地容認派の岸本建男が当選。大田県知事が県外移転などで訪米した。
 その後稲嶺恵一氏が大田昌一を破り当選、15年使用制限付軍民共用で県内移転を容認した。1999年小渕恵三首相はG8サミット沖縄開催を発表し、名護市辺野古地区住民がキヤンプ・シュワブ沿岸への移設への県に要請した。
 沖縄県議会は「普天間飛行場の早期県内移転に関する要請決議」を可決し岸本市長も移転受け入れを正式に表明した。それを受けて時の政府が移転場所を県の決定通りに閣議決定した経過がある。が政権交代で鳩山由紀夫総理大臣は「普天間基地の国外・最低でも県外移設」発言し沖縄県民を喜ばして、先の衆議院議員選挙では、すべての県内で民主党が勝利した。もう一つの誤算は「トラスト・ミー」であろう最後には
「沖縄の負担軽減が、日米同盟の維持的発展に必要だ」と述べ普天間基地問題の移転で総理の迷走ぶりが批判された。そしてオバマ大統領は首相を「ルーピー」IOOPYと見下している。
                                  
「島袋吉和前名護市長との懇談」 
昭和21年7月生まれの64歳、平成2年より名護市市議会議員として4期歴任、平成18年名護市長に当選、北部広域市町村振興・観光政策に尽力、
「普天間」が焦点となった市長選挙で17.950票の前教育長の稲峰 進氏と16.362票で1.588票差で敗北、お会いして初めに、沖縄県退職教員の沖教組
と「琉球新報」・「沖縄タイムス゛」の基地反対運動にやられた、と漏らしていた、議長時代に「苦渋の選択」をし辺野古移転により、北部振興を策定し、その上に「防衛施設周辺の生活環境等に関する法律施行令」の活用により北部方面の環境整備・観光開発を目指していたが、約9億円が市長交代で基地反対との矛盾を生み活用できなくなってしまった。我々が13−4年掛けて築いてきた、北部振興策が消えてしまい、9回の協議会で振興策を合意に近づき、7名の大臣・官房長官が作り上げた、普天間基地とその周辺の安心安全が遠のいてしまったことは、今後の解決に大きな問題を残してしまった。最後に「国の安全・国防政策には民主も自民もない、共に協力し合う事が必要である」と締めくくった。

「沖縄県副知事との会見」上原良幸氏
 沖縄県知事選挙が近いとのことで副知事が対応していただきました。
「県民は苦渋の選択」をしてくれた、基地は無いほうが良いのは皆、同じである」
中国の経済・軍備の脅威論、北朝鮮の挑発等東アジアにおける緊張はこの沖縄でなければ感じられない、基地反対に対して地元地主への対応と今後の進め方について話し合いました。「普天間返還が実現した後は地主にも従業員も共に生活できる、総合施策を色々と企画しており、基地に頼らない経済基盤の構築に全力で対応してまいるとの発言があり、現政権党も反対ばかりでは解決しない、との発言がありました。

「沖縄県人との懇談」
私の沖縄県の友人をお約束してあり、沖縄県柔道連盟の理事長でもと消防署の所長を歴任された西浜良光氏と現沖縄看護協会事務局長の古波蔵保成氏と小橋川氏との懇談をさせて頂ました。
「県民は苦渋の選択をした」「基地など無いほうが良いのは当たり前」との事、沖縄の基地負担軽減に向けて安全保障についても論議を深めていただきたい。特に「自民党政権時代は野中広務幹事長や梶山静六官房長官が何回も沖縄に参られ、橋本総理も海上基地建設について講演をされ、小渕恵三総理はG8サミットを沖縄で開催し世界に沖縄の実情を訴えてくれたと」話された。
 8月31日の日米両政府は普天間飛行場移転で名護市 辺野古周辺に建設する代替施設の工法について専門家の検討作業を終了した。「滑走路を2本配置するV字案と日本側が提案している滑走路1本に減らす案が併記された」
日米共同声明では、最終結論は外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会で決めるとしているが、開催のめどはたっていない、日本側は11月28日の沖縄県知事選挙以降に先送りされている。

「まとめ」
 1945年3月史上まれに見る戦火が90日にもおよび沖縄戦で20数万人の尊い命が失われた、沖縄は日本における唯一の県民を総動員した地上戦であり、太平洋戦争での最大激戦地あつた、何よりも軍人より一般市民の戦死者がはるかに大きく、その数は10万人におよぶと言われております。そのような中で占領政策と沖縄の基地負担軽減に向けて日本政府が沖縄県民や米国政府と協議を重ね、沖縄の基地負担軽減につながる良きアイデアを持って、話し合いを重ね、自民・民主との垣根を超えて解決策を模索すべきであります。


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