| 2024年01月23日(火) |
「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」 |
青ブタシリーズと称される劇場版を見に行きました 青ブタはこれまですべて見てきています☆ ですが、本番を重ねてるうちに公開終了寸前ッ!? あぶなかった… とにかく行けるような時間がなかったもんな それでもギリギリセーフ行くことができました ギリギリセーフっていいですよねw
『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』 青ブタ《高校生編》完結の物語
三月に入り、三学期も残り1ヶ月。 恋人の桜島麻衣の卒業式を迎えた梓川咲太。 七里ヶ浜の海岸で麻衣を待っていると、 彼の目の前に子役時代の麻衣にそっくりな 小学生が現れた— 「おじさん、だぁれ?」 これは夢か幻か、不可思議な体験を 思い返していた咲太のところに 父親から電話がかかってくる。 「母さんのことなんだが、 花楓に会いたいと言っててな」 それは、花楓に起きた出来事を受け止めきれず 長い間入院生活している母親から届いた、 《会いたい》という願いだった。 母の願いに応え、花楓と共に母親と会うことを 決めるも、久しぶりの対面に緊張を隠せない。 そんな咲太の体に見慣れた傷痕が浮かび上がる これは新しい思春期症候群の前触れなのか—
母親には、咲太の姿が見えていなかった
《思春期症候群》という、世界が捻じ曲がる症状に 苛まれつづけてきた主人公 咲太。 母親が娘の複雑な事情を抱えきれず倒れてしまい、 父親は母親の看病で両親と離れて暮らすことになり 思春期症候群によって記憶を失い、そのショックで 人との交流ができなくなってしまった妹と 兄妹で生活していた。 咲太は高校生だが、家事すべてを担うほどの男だ。 物語ではあるものの、これができているだけで 実のところフツーじゃない。 兄ひとりで妹の面倒を見ながら生活しているのだ。 どこをどう見たってヤングケアラーです。 そんな咲太が抱えてきた問題を扱ったのが今作。 劇場版でした— これまでは誰かの思春期症候群によって 物語が動いてきたけれど、今回は咲太自身のもの。 これまで《あたりまえ》にやってきた、 咲太本人の無意識下の心模様に迫った内容です。 いろいろと物申したいところはあるものの、、 ほんとうによくできていたと感心する
なにしろ2度ないてしまった
映画館に見にこれてほんとうによかった TV画面じゃ、、 こんな気持ちにはならなかったかもしれない あらためて映画館は偉大だとおもう 《自分自身》を忘れさせてくれる空間は、 人類史最高の発明とおもっています おどりでも常に目指すところですからね 青ブタシリーズでは、 特に心の機微がよく描かれています この切り口は自分のおどりにもちかい 第三者の目からすれば、 「〜すればいいだけじゃん」と 簡単に言えるものかもしれないけれど、 当の本人にはそうはいかない強い葛藤があります。 簡単にいかない葛藤は「絶対」にもちかい。 そんな誰にでも相当する話を扱っていると思う。 それを《思春期症候群》というものを担いで、 たいへんわかりやすく描いてきているのを感じる。 このあたりが、ファンタジーなのに とても丁寧なのにうなってしまう 特に感じたのは時間の使い方だろうか 今回の作品では時間を充分に使えています ダンスでもこの「間」こそがキモだと思う 咲太本人の心象を描き切るには この丁寧さが絶対不可欠だった 《思春期症候群》の症状は、とにかく極端だけど そのぶん誰からも見えなくなるのは 強烈に恐怖をかんじた もし自分におきたら耐えられない だからこそ桜島麻衣だった これは泣いた ファンタジー ファンタジーだとおもう そうおもってしまっても それでもないてしまった だってそうあってほしいからだ 純粋に純愛へのあこがれだろうか わらわれるかもしれないけれど 自分のうしなってきたものが、桜島麻衣にはある
長く生きていれば誰しも閉ざしたものをもつ そして、閉ざさないとやっていけない時期がある 自分自身が寝たきりから解放されたとき 一切のネガティブを排除した そんな自分自身が、誰よりもネガティブだったから それでも前にすすもうと決めたとき すこしでもチカラを奪われるような ひと、もの、こうどう、ひょうじょう、 そのすべてに目を向けないようにしたときがある 自分がいまもてる小さな全力を 前に向けること それでしかその日をクリアできなかった
《自分を救えるのは 自分しかいない》
あの地獄を切り抜けてきた自分には、 桜島麻衣は完全に幻想だとおもう 他人じゃない 恋人の幻想 もしあのときに すべてを理解してくれる他人がいたなら、、 そんなの誰だって、誰だって、、
いてほしいに決まってる
咲太の家族への想いも考えさせられた これまで《あたりまえ》のように 咲太の生活を受け入れてしまっていたけれど よくよくかんがえれば《完全に異常》だ 生活。 生活できるか?だ 物語の都合上、金銭のことは語られていないけど 単純に生活しているだけでとんでもない。 この作品は、その咲太自身の毎日のひずみによる 咲太の無意識下をえぐる物語だった これはリアル思春期の話だともおもった 自分にも語れないくらいの深い闇があった もうあのときの心の葛藤は思い出したくない それに本当に思い出せない 思い出せないけど、、 おそらく似たような感じだったのを… 思い出した どうにもならない束縛感 咲太のそれは、この物語では解決した 咲太がその本物の原因と向き合うことで解決した これは、物語ではあるけれど、 幻想かもしれないけれど、 すごくいい作品だと思っています
ほんとうの解決にとてもちかしい解決を 物語でエンターテイメントとして こうやって映画になっていること これは、、正直言ってとんでもないとおもう 自分自身が壊れてしまうようなリアルを 青ブタは掠っているとおもう だって本当の闇を通り抜けないと、 なりたい自分自身に解き放てたりしない 向かっていけたり、、しない
わたしには、たとえエゴだとしても 自分が後悔しないためにぶちまける覚悟があります それができるだけでも奇跡的だと思えますが、 これまでそれができたのは、 そのエゴを問いただす人生の先輩がいるからです それはおかしい、って。 わたしは、そんな人たちにたすけられてきました 育ててもらったとも言えます 今ではエゴとわかっていて使うときがあります それは相手がこのあとどう出るか見極めるために。 曖昧にしている人には決して返せません
|