断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2023年12月21日(木) 「攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間」

2023年12月14日
劇場公開最終日。ギリギリ間に合った—


 『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』

 草薙素子たち公安9課は、難民集団「N」を
 率いるシマムラタカシと邂逅する。
 進化の特異点迫る廃墟・東京で、
 ポスト・ヒューマンレイドが始まる—

 2045年。
 全ての国家を震撼さえる経済災害
 「全世界同時デフォルト」の発生と、
 AIの爆発的な進化により、
 世界は計画的且つ持続可能な戦争
 “サスティナブル・ウォー”へと突入した。
 だが人々が、AIによる人類滅亡への危機を
 日常レベルで実感できるまでには
 衰退の進んでいない近未来—

 電脳社会に突如出現した新人類、
 ポスト・ヒューマンによる電脳犯罪を阻止すべく
 総理の密命により再び組織される公安9課。
 日本においてポスト・ヒューマンに
 覚醒したとされるシマムラタカシの捜索中に
 失踪したトグサを追い、
 脳以外全身義体のサイボーグ草薙素子率いる
 公安9課は、先の大戦で廃墟と化した東京へ。
 そこで素子たちを待ち受けていたのは、
 自らを「N」と名乗る難民集団と、
 介入するアメリカの特殊部隊だった。
 奪取された原子力潜水艦による核大戦の危機が
 迫るなか、
 公安9課、アメリカ、ポスト・ヒューマンによる
 三つ巴の戦闘が激化していく—


2024年8月20日。
そのNewsは突然でした
「草薙素子 CV田中敦子が… 亡くなった」
これまで同作品で輝いてきた声優。
自分にとっての素子は田中敦子以外にはない。
信じられなかった
もう、自分には『攻殻』避けられない
めちゃくちゃ文章にするの困難ですが、
完全に時が満ちてしまっています
攻殻機動隊の音源でおどったあの時でさえ
記憶が鮮明になるのを感じてしまう
攻殻機動隊は一筋縄では語れない作品
劇場版はもちろん神山監督は社会的問題作だし
なにしろ最新作が上記のイントロダクションです!
興味以前に「わからない」で終了案件でしょう
正直言ってこのblogでさえ、見てくれる人には
ただただ通り抜けてしまうだけかもしれません
それでも、『攻殻機動隊』を通ってきた自分が
感じたことを残せるのも、今をおいて他にない!!

さあ まずは劇場版を見終わって感じたのは—
「劇場版じゃ無理」
内容がありすぎて追うだけで終わってた
問題なのは最後まで追いつけなかったこと。
とにかく猛スピードで通り過ぎていく感じ
用語の理解が映像が全部まるで追いつかない!!
速すぎて全然入ってこない!!
時間がまったく足りていないんですよね…
Tvシリーズ版でじっくり見るべき、
最後は《ぶっこ抜くorぶっこ抜かない》に帰結、
というところでしょう(爆)
シリーズ見直すまで感想とかいえない。。

さすがにこれで終われないので
ダンサーとして舞台人として、
クリエイターの端くれとして、
視点観点がおそろしく勉強になったインタビューを
文字起こししました
インタビューなので読みづらいと思いますが、
自分のためにも満をGしてそのまま載せます!
ものつくりの最深部に迫れる、
攻殻機動隊 歴代監督インタビュー☆
自分もおどりで立ち向かっている以上
ここは映画鑑賞よりも、避けられませんでした
(おそろしく長いですが発見は大きいです)



『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』
 劇場公開記念 舞台挨拶より

ご覧になられてどうでしたか?

押井守
「1時間前に見終わったばかりなんですけどw
 とにかく情報量が多いんで
 話を追っかけるのでいっぱいいっぱいだった。
 率直な印象として
 時代っていうテーマを相変わらず
 追っかけてるんだな、ってね。
 僕がやってきたことっていうのは
 どちらかっていうとキャラクター寄りで
 素子とかバトーとか
 《登場するキャラクターの物語》として
 やってきたんだけど、
 たぶん神山って監督のやってることは
 攻殻って舞台を借りて
 《いまの世界で何が起こってるのか》
 何が起ころうとしているのか、っていう
 そっちの方に興味があるんだろうな、って。
 今どきこういうことやってる人間って
 まずいないから
 特にアニメでこれやる、って
 大変なことなんで
 本人も言ってたけど
 時代の方が先行し始めたんですよね。
 時代は確実に変わりつつあるんで
 それは映画、っていう視野の中で
 やってく、っていうのは相当勇気が要るよ!
 昔は時代に抜きつ抜かれつ、だったけど
 今は圧倒的に時代の方が速い。
 そういう意味でいうと
 映画のテーマが最近難しくなってきた」

二つの現実についてどう思われましたか?
虚構と現実という形で
よく扱われてきたと思われますが?

押井守
「散々言われてきたんだけど現実と虚構が
 どうたらこうたら、って
 そういうことでもないんだよね。
 映画をつくる上では
 あくまで現実と虚構を行ったり来たりとか
 二重構造を持ったりとか
 そういうことは映画の方便なんですよ。
 最終的には現実過程に置かれた人間を
 語りたいんだよ、っていうさ。
 ただ、その現実って言葉の中には
 人間は現実だけを生きてるわけじゃないんだよ
 っていうさ、根本的に。
 どっかしら自分の中の虚構を
 人生として生きるもんなんだ、
 ってことはね、それは信念として持ってるから
 でもそれ自体が映画のテーマになるわけじゃ
 ないんだよ実は。
 ダブルシンクっていうのは
 だから言葉変えればそういうことなんだけど
 今の時代を生きてる世界ではさ
 そりゃ現実しかあり得ないんだからさ
 お腹空いてる、って状態は
 現実しかあり得ないわけだから
 だけど、そうじゃない世界においてはね
 たぶん特に若い人の中にはね
 そういう思考があるのかもしれないな、って
 いうふうなことは思ってる。
 僕もやるけどゲームがそうだからね!
 そういう風なものを昔から人間は
 追っかけてきたわけで
 虚構なしに生きてる人間なんて
 誰もいないんですよ!
 どっかしら自分じゃないもう一つの自分って
 いうのをどっかで演じてるわけだから。
 ただ現実の中で
 それがなかなか通用しなかったりするから
 だから仕掛けが必要になるわけ
 映画とかゲームとかね。
 だからそれはそういうもんなんだって
 もともと。
 だからそれ自身がただちにテーマに
 なるわけではない実は。
 ただ今の時代にあって
 どんな第二の現実があり得るのか、って
 そっから先が映画の話になるわけ。
 今回の映画でいえば例の300万人の
 難民キャンプみたいなさ
 その難民たちの独立王国みたいな話に
 たぶん神山の場合はどうも
 そういうパターンになってくみたいですよ?
 今までつくったものも合わせて。
 自分の中にはそういうのあんまないんで
 現実の中に別次元の王国をつくりたいとか
 そっちにはいかない正直言って」

神山健治
「別次元の王国をつくりたい、
 わけではないんですよね。。
 おそらく今、現実外にもう行きたくない。
 現実の方が辛すぎるんで
 それをどうやって救うか、っていう
 ことなのかなと思いますね」

押井守
「あ〜ひとつだから
 答えはさあ
 自分が年取ったからわかるんだけど
 人間ってのは年取るんですよ
 年取っていくと
 ごく自然とそういうものがさ
 自分の中にできてくるわけ
 《現実と自分の落とし所が見えてくる》
 っていうかさ
 だから意外にそうするとね?
 現実は現実で悪くないな、っていうさ
 どっかしら 多くを望まなければ
 だけど、そうじゃない部分に関しては
 もっと第二の現実っていうか
 夢みたいな世界の方を否定する、
 っていうこともあったりする。
 それが具体的にさ
 パラダイスみたいなイメージじゃなくて
 言っちゃえばあっちですよ。
 あっちの世界が
 割とリアリティ持ってくるんですよ!
 それはあるんだ、と思う。
 さっき若い人が、って言ったのは
 そのことなんで
 若いとどうしてもそのことに気がつきにくいから
 だからよくしたいもんで、歳とるとだんだん
 みんなそっち行っちゃうんですよ
 それがたぶん人間の落とし所としてね
 昔からあったんだよ、っていうさ
 たぶん宗教なんていうのも
 そういうのなしには考えられないわけで
 だからさ そういうことじゃなくて
 現実に政治的な存在として
 新たに建国願望みたいなものが
 もしかしたらあんのかな?っていうさ
 チラチラなんか臭うんだよ」
 
神山健治
「ん〜 ないw
 あれがダメなんだ、
 っていうことなんですよね?」

押井守
「いや同時にそれがダメだよってことも
 わかってるわけじゃない?
 だからさ、思った以上にアメリカの反撃が
 すごかったろ、って話もあったけどさ
 現実原則ってのはそういうの
 許されないわけだから 基本的に。
 今の我々の世界にとって
 みんなそういう原理で動いてるわけでさ」

神山健治
「押井さん的には最後、素子はどう見たの?」

押井守
「あれさ、抜くか抜かないかって話に
 なってるけど、たぶん神山的には
 抜く抜かないの結論を
 出したくなかったんだと思う」

神山健治
「そう見ましたかw」

押井守
「そうそうw
 僕も結構そういうことやるんだけど
 最初の攻殻でも
 生まれ変わった素子が
 天使に見えるか悪魔に見えるか、
 って話もしたし
 イノセンスのときにもさ
 人間を選ぶのか犬を選ぶのか、っていうさ
 映画としては二択っていう話にやらないと
 着地しないわけだよね?
 でも本当言うとね…
 常にあるもうひとつの選択肢
 《第三の選択肢っていうのがね、実はある》
 それを探してほしいが故に
 あえて二択を結論として出す、
 っていうようなことあるんですよ
 僕は今回どっちでもかまわないと思ったんだけど
 どっちがいいか、っていうね
 お客さんにとってはたぶん個人的な願望がね
 結論になるだろうって実際。
 抜きたかったのか
 抜かないで夢見てた方がいいのかっていうのはさ
 実際問題そこまで単純な話に
 なりきらないと思うんだけど
 どちらが素子に相応しいか、ってことも含めて。
 僕はだから《絶対ぶっこ抜く派》なんですよw
 どう考えたって抜くだろ、実際。
 僕はさ、現実の悲惨さっていうものも
 ある種知ってるけどもさ
 そこにしか人間が生きる場がないんだ、
 ってことをね
 決してわるいことじゃないと思ってるからw」

神山健治
「押井さん、、変わったねw」

押井守
「だから歳とるとそういうことなんだよ
 人間の一生っていうのがさ、
 しあわせな幼年期もあったかもしれないけど
 逆に
 幼年期に地獄だったっていう人も当然いるんで
 一生通して考えると
 気持ちよかったりわるかったりさ
 楽しかったり苦しかったりって
 両方あって
 人生を生きたっていう実感に繋がるんでさ
 それがはじめて《自分が自分である》って
 ことの根拠になるっていうか
 要するにだから
 そういう言葉使うかどうかわからないけど
 《代替不能性ってやつなんだよね》
 誰にも代えられない自分ってさ
 代替不能性って言葉 最近使うんですよ☆
 それがたぶん自分が生きるってことの
 内実だろうと思うわけ!
 それに賭けて言うと、、
 やっぱね ぶっこ抜くって
 《自分が夢見ることは自由だけど、
  世の中に夢見ることは許されない実際》
 と、私は思った!
 だからたぶんスポーンと思いっきりさ!
 最後ハイスピードか何かでさ!
 素晴らしい絵じゃない?
 スパーンとぶっこ抜く実際
 でもやっぱフェードアウトしちゃったからさ
 ブラックアウトしちゃたから
 それはねたぶん監督的には
 一番肝っていうか…
 正念場だろうなと思ったから」

神山健治
「そうですね。
 SACの映画監督の夢っていう
 回があるんですよね。
 その回では素子は躊躇なく抜いてんですよ。
 で、俺も歳をとったんで
 映画監督の夢のときは躊躇なく抜いた。
 現実を生きろ!って。
 なんだけど〜
 まあ今回どうしようかなあってw
 やっぱりSACやって20年って時が経って
 僕自身もたぶん変わっただろうし
 世の中もだいぶ変わってきた中で
 僕の考え方も変わってきたのかなあとは
 思いますね。
 なのでね どういうふうに見てもらっても
 いいかなあってつくりにはしてるんですけど」



〜中略〜
どうですか? やはり映画監督の、、
というか押井守の頭の中がヤバい!!
完全に想像のずっと先だった…
「人間は現実だけを生きてるんじゃない」
「どっかしら自分の中の虚構を、
 人生として生きるもんなんだ」
「虚構なしに生きてる人間なんて
 誰もいないんですよ!
 どっかしら自分じゃないもう一つの自分って
 いうのをどっかで演じてるわけだから」
ここまで言い切れるって、凄い。
〜中略〜



攻殻機動隊はなぜこんなに長く続いているか

押井守
「新しい技術ってのはさ、願望で語られる。
 で、実際の新しい技術っていうのは
 まったく違う原理のところで発展するもんなので
 インターネットもAIもそうなんですよ。
 今語られてるAIなんかに関する、
 ある種の畏怖であるとか恐怖であるとか
 あるいは願望であるとか
 たぶんどれも関係ないな、とは思ってる。
 なぜかっつったら人工知能って本質的にさあ
 人間に似せるためにつくろうって
 誰も思ってないんですよ。
 人工知能であることを純粋に突き詰めていくと
 人間とどんどん離れていくのは
 当たり前なんですよ。
 実際に研究してる局面ではさ
 人間に似せることがテーマでも何でもないから
 世間的には人間が淘汰されるんじゃないかとか
 役者とか要らなくなるんじゃないかとかさ
 割とそれの方が語りやすい、っていうかさ
 それはあくまで願望なんですよ。
 ターミネーターみたいにさ
 人間が滅ぼされるんじゃないかとかね。
 そういう恐怖っていうのは
 願望の裏返しなわけだから。
 いずれにしてもね
 映画とか漫画もそうだし小説もそうだと思うけど
 その中で語られてる未来像とかね
 そういったものっていうのはね
 現実にはね 全然違う原理で動いてるんです
 あくまで願望にすぎないんで
 僕らの仕事っていうのは
 その願望である部分を下敷きにして
 どうやって新しい ある種の恐怖をつくりだすか
 とかさ 憧れをつくりだすのかとかさ
 そこんところの仕事なんだよね
 直接僕らの仕事とAIならAIの開発がさ
 シンクロしてるとかないわけで
 で、学者さんってさ基本的にアニメ大好きなわけ
 だいたいみんな『攻殻』大好きだったりするわけ
 でもさ 実際問題はね
 人間の願望とかかけ離れた別次元で必ず進化する
 今考えられてることの大半は吹っ飛んじゃって
 カタチになった段階で
 インターネットが正にそうなんでね
 今の技術で語られたけど なんのことはない
 《ただの炎上マシンになっただけ》でさ
 割とねつまんないところに着地する気はするの。
 僕らはさ、仕事の上で
 それを使ってどうやって今を語ろうか、
 っていう あくまで方便なんでさ
 現実の中にも多少興味あるんだけど
 よく言われるけど
 なぜああやっていつも悪役扱いされるのか
 今回も割とすごくあるんだけどさ
 AIの性がふたつあった試しがほとんどないんで
 マザーコンピューターの時代から
 実はマザーコンピューターもインターネットも
 AIも虚構の中では全部同じ■■■■としてるわけ
 (※どうしても聞き取れない!)
 自分が生み出すものに対する恐怖っていうさ
 要するにそれは
 人間が人間自身を恐れてるってことなんだよね
 だからそういう話に尽きると思ってるから
 あまり議論としては語る余地はないと思ってる。
 ましてや予言するために
 映画つくってるわけじゃないんで
 たまたまそうなっちゃう、っていうこと
 多々あるよそれは
 妄想を語ってれば
 妄想の何割かは必ず現実になるからw
 妄想ってなんの根拠もないところで
 つくってるわけじゃなくて
 日々生きてるさ
 自分が世界と関わってる中から
 関わりの中から妄想するわけだから
 いくばくかの根拠は必ずあったりするわけよ
 でもそれはね、あくまで目的ではないんですよ
 映画監督の仕事って割とね
 意外につまんないもんでねw
 つまんないもんだからこそさ、
 楽しもうとするわけww
 最終的にはさ素子をどんな女にしようかとかさ
 決定的にはどっちかっていったら
 自分にとってはそっちだよ
 だから攻殻がなぜこんなに続いたのか謎ですよ



インターネットが、
《ただの炎上マシンになっただけ》というのは
無茶苦茶 腑に落ちるッッツ☆
そう、、そうだよね。。
大したところに着地してないんだよ…
自分はあまりSNSを熱心にやらないように
活動報告くらいに心がけています
特に承認欲求に見えたりしたくないですし、
妙な一言が飛んできたりしますからね!
こんなわたしでさえ「■ね」とか「■■い」とか
「友だち」という出刃包丁で心を刺されてきました
世の中には、文字だけなら
滅茶苦茶言えちゃう人がいるんですよ!
実体がなければいくらでも自分を棚に上げられます
不思議ですよね…
とはいえ、一歩間違えれば自分だって同じです
自分もそうならないようにしたいので
極端な話や思いの丈は当blogだけにしています。

『攻殻機動隊』は自分にとっても偉大な作品です
正義がなんなのか、人間にとって何がいいのか
とても考えさせられてきた作品なんです
やっぱり考えることが平和への一歩
相手を知ることですよね?
孤独な隠遁生活を送らない限りは
人の間にいるからには無関心ではいられません
代替不可能な自分を謳歌したい!!
おどりを通すこと、通したいのは、
ひとりじゃ抱えきれないものがあるからです☆


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