コロナ禍を通して 自分のしたいことが「完全」に封じられてから、 できることをするに舵を切った わるいところを いたいところを なんとかする (なんとかしたい) ところが、カラダが 膝が なかなか好転できない どの状態を(ヨシ)と捉えればいいかさえ だんだんわからなくなってくる おどりをおどるには おどりになるためには 無理ができるところに居たい もちろん無理を通したいという考えは後 おどりが楽におどれたなら おどりがいつも誰かの心を打つのなら、、 そんなわけがない いつだって簡単にはいかなかった そこになんとか手を伸ばそうとして わたしたちはいつだって ヘトヘトになるまで練習している いつだってここだ ここに努力を使いたい ここを通ってはじめて(おどり)なんだから
出口は漠然と見えているようでいて どうしても抜けられない それでもどうにかしようとして 先月末 友だちにたよった
鍼灸師にたどりつく
そういえば針は、、十年以上していない あの時も本番直前だった (本気でどうしようもない時) (針は、、どうにかなる) そんな最後の手段だと自分では思っている だけど、通っている人にしてみると これがまったく異なる見解となる どんなことも(少しずつ)が真実 しかし針は即時効果が出る 体感としては即時にちかい これはもうなんとも言えない!!
依頼されるおどりがあるかぎり 一歩踏み出すしかない
選択肢はない
うまくいかないことに圧されると 周りのことに気が止められなくなる 何よりも(痛い)が余裕を奪い去る 人の悩み苦悩も推し量れない 何よりも思い通りにいくことがない 自分自身が苦しいんだから こんな時にいつも感じるのは
だからといって 本番ではあからさまにできない
どんな事情があろうと見てくださる人に (実はこうでした)なんて そんな口上は、たとえ死んだって「ない」 どんなに意味のないことか知っています なにしろそれを知ってほしくて おどっていません そういうのじゃない《何か》のために おどっているんだから いつも自分にできることはたったひとつ
ベストを尽くす
どうやらここにあるのかもしれない 土台のような ここからしか動けないような
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