2018年 12月14日 作品クリエーション(臨スペイン)の日。 水を買っていなかったのを思い出して、 通りかかったスーパーで買うことにしました。 水ペットボトル一本もってレジに並びます。 すると、前の女性がふっと後ろを振り返りました。
女性の買物量が多かったのと、 わたしの、水だけ持ってる姿を見て どうやら「先にどうぞ」と 言ってくれたのだと思います
しかし! しかしです!! わたしはワイヤレスイヤホンをつけていて 声が聞こえず、気づけませんでした― 女性も声をかけた後、 聞こえていないことに気づいたようでした。。 わたしがその場の状況を読み取るのが 遅れてしまったために、、 レジはそのままの並びで進行してしまいます…
厚意を無駄にしてしまった
見ず知らずの人に声をかけるというのは 存外 勇気が必要ですよね! そして、この《勇気》というのが 実は、、 世界をまるく、あたたかくしていく源泉です 少しでも《良くしよう》とする人の考慮。 誰かに、相手に、好きな人に、 そんな風にずうっと続いていく、そんなチカラです 何気ない一言に、わたしはこれまでたくさん たくさん救われてきました だからこそ、そのときの繋げなかった何かに 無性に腹が立ちました 自分の会計が済んだ後、その人にあらためて、 聞こえていなかったことを詫びました。 その女性にはすごく驚かれてしまいました
そのときの、あのときの、一言が通るか通らないか それはわたしたちにとてもとても大事なことです。 些細なことでも(通る)ことが、 その繋ぐチカラを紡いでいくからです。 通らないのが もしも続いたら、、 もう声をかけようなんて思いませんよね? 勇気と書くと大げさに聞こえるかもしれませんが、 きっと《勇気》は出さなくなっていくはずです。 誰だって嫌な気分は味わいたくない。 本来なら声をかけなくてもいい場面です。 みんなが並んでいてその順番通りで済むお話です。 だからこそここに人のあたたかさを感じるのです ◎だってその勇気には “限界がない” ◎ なんにせよ、その女性と話すのもきっと わたしの人生でたった一度きりのことです。 だからこそ、その時に、その一瞬に
できること、今できることをしたい!!
クリエーションメンバー同僚にその時のことを 話すと、「それは丁寧すぎですよ!ははは」って 笑われてしまいましたが、、 わたしにとって まるで笑い話じゃありません。 人が誰かに対してすることは 誰かに対してしたいことは わたしが踊りたいダンスそのものだからです
人の想いは消え入りそうなほど小さなものですが、 だからこそ人が人である尊さを感じます
わたしたちが伝えたいものは 下手をすると 受け取ってもらえないくらい小さくて大きい なにしろ目に見えないものなんだから
だったら 先ずは 自分が 自分自身がそれを大切にしなくては
その日の夜、国際報道を見ていると、 レディー・ガガが出てました。 ほんとうにたまたま見ていた映像でしたが、 その内容はガガの、トランプ大統領ツイッターに 対してのコメントです。 アメリカのとんでもない規模の山火事で、 トランプは 「もっと賢くなれ! そうすれば山火事は防げるはずだ」と投稿。 もしかすると、レディー・ガガの別荘も 焼けてしまったかもしれません。 ガガはトランプの発言に一矢投じます。 「もっと国民に寄り添いなさい」
痛みを共有、共感することが大事だ、と
そうインタビューで発言していました。 亡くなった人たちや家を失った人たち。 そんな人たちがまず先にいるのだ、と。 そして、 その時の一言がどれだけみんなに勇気を与えるか そして支援をつないでいくチカラになるか、と。 そしてインタビューではその行動の根源を語って います。
「私は髪の毛のことですごいイジメを受けました。 どうにもならなくて母に相談したところ、 母はこう言ってくれたのです」
「あなたみたいな歌に夢を抱いている人に そんなことをする人たちがいるの!? そんなのは、、 《優しさ》でやっつけちゃいなさい!!!」
ここを原点としてガガは精力的にLGBTなど 性的マイノリティの支援を行なっている、 ということでした。 「優しさでやっつけちゃいなさい!」って、、 スゴイぞガガのママ!! そんな優しさの用法フツーできるもんじゃないぞ☆ インタビューを聞いて、 ガガも《小さな勇気》そして《繋がるチカラ》の ことを知っているんだと思いました あまりにも物凄いパフォーマンスとその歌唱力に、 度肝しか頭になかったことを詫びよう(爆)
大げさに言ったところで始まりはしません ですが、わたしたちが持っているのは 実は大げさ以上の 《とんでもないチカラ》です 優しさでやっつけれるくらいなんです!! 人の優しさはどこにあるのか どこから取り出せるのか 意識的に優しさを取り出すと嫌味にも、 高圧的にも聞こえるかもしれません。 取り出すところを間違えるとベツモノになる、 きわめて繊細なものです わたしたちの可能性 誰にでも(通る)自然体 それはきっと無意識のうちにある気がします☆ そんな自然体にいつもいられたら、、 いや、きっと「いつも」はいられまい。。 人間社会には責任がつきまとうんだから。 もしそうなら、 おどりを踊るときだけはそうなりたい
意識を超えて無意識にいつもいけるなら そんな無為自然のダンスはどんなだろう ◎きっと すべてがありのままのダンス◎ 自分の中に、すべてをとおせる もしかしたら誰の体にも通れるかもしれない
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