生きているからには いのちを感じていたい
元をたどればそれだけかもしれません
そう思うのも、、身をもって いのちを感じてしまったからだとおもいます
自分が失われるかもしれなかったのを 自ら体験してしまった そして自分を救ってくれた美樹さんも ダンスをほんとうの意味で教えてくれた美香さんも この世を去ってしまった 自分をはじめいずれみんなすべて消えゆくものなら いつも感じていたい 感じていたいのは 自分自身 みんな すべてです
生きているのを!!
そのためにはどうすればいいか それを一所懸命に考えました 確実にできるのは自分のことだけです 人の《生きている》を見たいなんて、 何よりもまず自分が《生きてなきゃ》言えない 考えて考えてひとつずつ答えを精査しながら束ねて 重ね合わせた答えの一歩先を見出してきました 答えの一歩先は頭で考えるだけじゃダメです 自分の経験からじゃなきゃ見出せない そんな途方も無い連続からたどりついたのは、、
【自分を忘れるほどの時間をつくる】
自分を忘れるくらいです 自分の力ではこれ以上のことができない領域 ただし、相手があるなら諸刃の剣 なにしろこれ以上のことができません それを自らに掲げたが最後、、 いいこともわるいことも度を超えてきます いいこともわるいことも同じく(最高) これ以上ない振れ幅で来ます 実際にやってみるとわかります そこは後悔しない底力が常に問われる場所です なぜならこれ以上できることがないからです 「いまを一生懸命にいきていたい」 そんな言葉のものとは 文面とは違う 願いとか希望じゃない、実践 そしてその実践は、自身で確かめることができる
自分を忘れたかどうか
これはダンスを踊ってきたからわかったことです 人は自分が生きる意味をもとめてしまいますよね 掴んだ意味もふとしたときに見失ってしまいます その意味が永遠じゃないからでしょう 《意味》が《今》と並走しているものなら、 今を見つめ続けないと掴めないのが道理です ダンスが誰かの前で踊るものなら 相手がいるなら 自分勝手には踊れません そして、誰かがいる世界で その誰かに想いをつたえようとしても うけとってもらえないかもしれない現実 恐怖で身が竦んだとしても わたしたちには行動することしかできません 行動をしなくて人生終えるのもありですが それを(生きている)と思えません どちらにしても生きるには食べなきゃいけません 嫌々ながら食べるのと 食べたくて食べるの違いです どちらにしても生きるには呼吸しなきゃいけません ただ呼吸してるのか 自分で呼吸するのかの違いです たったそれだけで世界は変わります やってみたから言ってます
自分にしかない自発的な力は (いきいきと)どんな人にもそう見える根源です その力は、いつもいつでも自分で選べるものとして 自身の中に内在しています
与えられるものじゃない☆
とはいえ…自分を忘れるほどの自発的な力、なんて 日常で出来ちゃったら白昼夢ですw だから、自分にあるのは 《一挙手一投足すべて取り返しがつかない》 どんな人と話しても振舞っても最初で最後 すべて取り返しがつかないダンス もう二度と踊れないダンスを それを毎日いつも踊っています
相手がいるのなら いつだって恐怖を乗り越える小さな勇気の連続です
思っているだけじゃ伝わったりしません 思いを伝えるには、本物の何かが必要です
自分がつたえたいこと それがその人の勇気になれるのかわかりません 拒絶されてしまうことのほうが多いかもしれません それでも いずれ何もかも消え去ってしまうなら 自分が選んで決めたその行動は常に一筋の輝きです その行動は 生きているうちにしかできない、 《自身にしか引き出せない光》に他なりません
その時の自分がどんなに惨めな姿でも どんなに恥ずかしい思いに苛まれようとも それが いきている正体
◎生きてるうちは、胸が張れる◎
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