赤ちゃんが泣いた日のことを思い出すと 人間社会パブリックの怪異を感じます
たとえば… それを解決しようとする人間の勇気の出し方 考えれば考えるほど迷走してしまいます 一体どうしたら正解なのか、、わからない その行動は、行動を起こしたら 失敗はどうしたって批判に晒されてしまいます 動機はたったひとつです
車内の空気をやわらかくしたい
これが、たったこれだけなのに、、 どんだけ難しいんだ!! こんにゃろう
じゃあ傍観者ならどうだ 赤ちゃんが泣いているのを 見えているのに見えていないものとする やり過ごそう、なのか うるさいなあ、なのか 面倒には関わらない、なのか そんな傍観者になったとしても、、 《希望》はないのか
誰か何とかしてくれないか
そうどこかで願っていたりしないのか 「誰か」に期待しているんじゃないのか ひとに 完全に無関心でないのなら。。 そんな一抹の何かこそが、、
《わたしたちの希望》の正体
もし。もしも車内の人みんなが思っているのなら! その思いは集合有意識じゃないのw 共有できる可能性がここにあるじゃないか! ですが、、その希望を実行していないのが現実です 誰かが実行したとしましょう その誰かが成功したら「おお、よかったよかった」 その誰かが失敗したら「何てことしてくれたんだ」 希望が完結してしまいました… その他大勢ってほんとうにこんなもんでしょうか 「大勢」で囲ってしまえるもんなんでしょうか 希望がただの希望じゃなかったら もし一歩踏み出す勇気がひとりひとりにあったら
世界が変わらないわけがない!!
この一歩がどんなに難しいか いつも考えてしまいます これまでもギリギリのところで攻めてきましたが、 ほとんどこうなりますw 「また やっちまったあああああ」 それはそれでしばらく反芻に苛まれます(爆) 周りにはバカにされてもいるかもしれません でも「やらなきゃいいじゃん」は、なしです 正直、世界を変えたいなんて思ってません ただ、空気は、空気だけは変えられるんじゃないか だってイメージにしっかりと掛かっているんです! 全員に一歩がないのが人類なのかもしれませんよね みんなが一斉に手を差し伸べてきたら怖いもんねw
でも、可能性は 可能性だけは《あり》です☆
だって「出来るかも」しれないじゃない! 全員に出来るかもしれないのが人類です。 幻想だとしてもイメージできますもん!! 赤ちゃんが井戸に落ちそうになったら、、 みんな猛ダッシュするでしょ!!(井戸って… 一斉に手を差し伸べたって決しておかしくないぞ! はーーー俺の、、希望そのものだわ☆ それにしても《誰も行動できない》というのは 寂しいもんです まったくこころが淋しい 失敗にしろ成功にしろ どこかで誰かが示していかなきゃ 示さなきゃ はーーー俺の、、ダンスそのものだわ☆
誰かの失敗が誰かの成功を生み出すはずです (俺はあんたみたいな失敗はしない) 誰かの成功が次の成功を生み出すはずです (私もあの人みたいになりたい)
ゼロから経験を、人生を、積み重ねていく限り 経験が満ちているところから始まらない限り これが、わたしたちの《生きている歴史》のはず!
◎誰かが常にそれを示していかなくては◎
失敗しようとも成功しようとも 何かする誰かがいて初めて可能性が顕現します どれだけ自分を傍観者だと思っていても、 魔が差して行動に移せるかもしれません☆ それは、きっと そんな誰かがいたからです! そして、なりたい自分がいるからです! いつどこでだれにその機会が訪れるかわかりません なりたい自分になれるときが来るだなんて ワクワクしてきませんか?
サッカー ペナルティキック PK ゴールを決めたい決めなきゃいけない場面です いつもいつでも自分が蹴らなきゃいけません 誰かに代わってもらえないのが人生です☆ 結果がどうあろうと― めいいっぱい蹴り込んでいきたいですね!!
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