断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年02月22日(木) 「豆の上で眠る」

まず何よりもはじめにこの本を課して下さった方に
感謝を記したいと存じます!


 『豆の上で眠る』  渚かなえ

 小学校一年生の時、
 結衣子の二歳上の姉・万佑子が失踪した。
 スーパーに残された帽子、
 不審な白い車の目撃者、
 そして変質者の噂。
 必死に捜す結衣子たちの前に、二年後、
 姉を名乗る見知らぬ少女が帰ってきた。
 喜ぶ家族の中で、しかし自分だけが、大学生に
 なった今も微かな違和感を抱き続けている。
 ―お姉ちゃん、あなたは本物なの?
 辿り着いた真実に、、
 足元から頽れる衝撃の姉妹ミステリー


この話は、、ひどかった。。
完全なバッドエンドに思えます。
主人公に同情心を重ねてしまいました。。
とにかく辿り着いた真実が、、ひどい
心がえぐられる感じでなんとも気分がわるい
キャッチコピーの「足元からくずおれる」が
そのまま当てはまっている感じです
ただ、物語を超えて胸に突き刺さったこと
バッドエンドだからこそ突き刺さったこと
それを 人生で初めて疑った気がします

《本物》って一体なんなのか

この疑問がかなり長い時間つきまといました。
不快な気持ちがだいぶ続いたと思います。
わたし自身が全力で挑んできたものが

《本物になりたい》

だったからです
本物のダンスを踊ったら、、
本物のダンスを踊ることさえできたら、、
どんな人にも通じないわけがない!!
そう思ってがむしゃらに踊ってきました
それを疑ったら、、何もできない!

 ―パパが早く帰ってくると、
 野球を見ないといけないから、つまんないよね。
 野球シーズンになると、
 万佑子ちゃんが私の耳元でささやいていたのは、
 いくつのときからだっただろう。
 あの声は、今でもテレビに野球が映ると、
 頭の中に蘇ってくる。 そんな私が、
 二時間以上も生で見ていられるはずがない。
  チャンネルを替えると、ドラマをやっていた。
 二時間ドラマの終盤のようで、難病に苦しむ
 女子高生がいよいよというときを迎えて、
 取り囲む人たちがそれぞれに彼女との思い出を
 回想している場面だ。 親子をターゲットに
 しているのか、夏休みになると、毎年一つは
 こういう内容のドラマが放送されているような
 気がする。 ドラマの中の母親は娘が初めて
 立った日のことを思い出していた。
 こういう物語は好きではない。
  大切な人を失うドラマを楽しめるのは、
 大切な人を失ったことのない人たちだけだ。
  テレビを消した。

中盤の一節ですが、これがかなり痛かった
本物の経験を感覚してしまうと
嘘や上辺のこと虚構が簡単に見抜けてしまいます
本物を “知っている” からです


わたしにとってダンスは、
ダンスというのは、
《その人がその人だということ》
これはダンスのひとつのこたえと考えています
今までめいいっぱいにかんがえてきた、
そのひとつのこたえ。
小説に、こんな一文がありました

 一般的に、人を識別する際、
 主にどこで判断するのだろう

わたしは すべて
そのすべてだと感じています

結衣子は帰ってきた姉・万佑子を疑っていた。
きっと猜疑心でいつも苦しかったんじゃないかな。
失踪する前のことを並べ立てて確かめようとします
その何とも言えない気持ちが積み上がって、、
結衣子は自分を見失ってしまいました
その気持ちに共感せざるを得ない展開のために、
どう鑑みてもヤバイ!
読者のみんなならきっとこう思うはずです

《教えてやればよかっただろ》

ところが家族の全員が教えないことを選びます。
教えないことを結衣子にとって良いことにした。
結衣子は “本当” を知りたかった。
そのすれ違いが不幸を生んでしまった原因です。
このすれ違いの不幸、というものは
常にわたしたちにも当てはまっています
いつも、いつでも、日常で起こり得ます
すれ違いが大きいほど人間関係に摩擦きます。
ちょっとしたことが積み重なっても同じです。
人間の生活は、本当のことを言わないことで
だいたい成り立っています
日本は特にそんな気がします
直接言及しないことを美徳としているくに
美徳というよりもそもそも直接言えないくに
そんなこと考えているうちに
(わからなくなってしまいます)

ここで踏ん張らねば!!

おそらく。わたしたちは《本物》《本当》を
受け取ることを 本能的に怖れている気がします
たとえば、自分が死ぬことを知りたくない、とか。
知ってしまう苦しさを想像できないからです。
想像できないものは考えないようにしています。
考えても仕方がない、というのも事実ですが、
想像したくない、が本音な気がするのです。
そういうわけで、誰かのこと・人のことを思うと
その人が(本当)に耐えられるのか、もしくは
(本物)を受け取ることができるのか、
わたしたちには判断がつきません。
いつもここでぐらついてしまいます。
どう伝えたらいいのか
自分のこと嫌われたりしないか
知らなくていいことじゃないのか

これまで生きてきて感じるのは
受け入れて乗り越えてきた人たちのつよさ
受け入れて乗り越えようとする人たちのつよさです

わたしにとっての初めては美穂さんにあたります
自分の命を削るような脳の手術を受けてなお
その手術を受けたら半年後には命を落とすかもと
宣告されてなお《生きようと》した人
あの方の姿が今なお燦然と輝いています

映画やドラマ、物語ではあるあるだとは思います。
思いますが、結局ここに至ってしまいます

(その困難に打ち克てる人であってくれ!)
(あなたのことを信じている!)

祈りのような、言葉にすると突然 薄くなるやつ☆
本当を、本物を受け取れるかどうか。
その人にしかできないこと。
誰にも手助けできないこと。
ここを通ると結衣子に同情しないわけにいかない!
この家族は… なんてさびしいんだろう


『豆の上で眠る』を読んで考えたのは、
《本物》は自分の主観判断だということです。
その人が《本物》と思うものが《本物》。

《本当》にそうであるかどうか、じゃない

ここはもう小説読んでくれ!としか言えませんが、
思い込みというのは良い方にも悪い方にも傾きます
相手があることであればそれを導くことができない
《本物》は育てるものだとおもいました
自分が見るそれと 他者から見えるそれは別物


まずは自分が自分であることを
つたえようとすることからしかはじまらない!
ダンスは ダンスというのは
そんなものじゃないかと思います

その人の《本物》がたしかめられる・感じられる
そんなダンスを目の当たりにすると
なんてすばらしいんだろう、って
いつも涙がでてしまうのです

いいとかわるい、ではない
本当のこと。 それを伝えられたら
そしてそれがそのまま受け取ってもらえたら
そんな瞬間を想像しないわけにいかないのです


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]