2015年10月。 それは、手記の日付です… 唸りを上げたページだったんでしょう。 だって、、今見ても 唸ってしまう!! そして投稿を避けられなくなるのでした― 一体何年前じゃーーーーい(爆)
推論には、理論と正確な論理が用いられる。 推論の有効性は、知性の質によって決まる。
『ヨーガ・スートラ』より
◎誤った認識とは、対象への誤った像(イメージ) を投影することである。 誤った認識とは、私たちが対象を知覚した後、 心が感覚の入力したものと過去に集めたデータを 対比し、対象を誤って認定することである。 多くの場合、状況に関して最初に下した判断に 満足してしまうが、それは似たような状況で起こ った過去の経験に基づく先入観であることが多い
《知性の質》どうやってこの言葉になったのか ほんとうにこれは研究の成果でしょうね すごい言葉です そんなもの考えたことなかったよ 知性に「質」があるとは!!
はぁ… いつも思いがとびますが、 この手のお題はついていけない人がどれだけ多いか という、とてつもなく大きな壁。 話が一瞬で終わるあの言葉が…つきまとう! 「それが何なの?」 ええ、ええ、わかります わかりますよw でもね、これを考えられるのは人間しかいません。 正直、これはダンスでも同じ文言でます。 だからこそ。 あらゆる創造性創造力は、そのこころの壁に 立ち向かう人たちの永遠の課題なのです。
こころを豊かにする
わたしたちのような誰かの前に立つ、 人前に立つ仕事をしていれば、 その《こころ》を研究しないわけにはいきません 今の自分が何を考えているのか 何を伝えたいのか 何よりもこれが土台だからです 目の前にあるもの 見えるものだけしか見えない、 というのはとてもさみしいです だってそんなものを踊っていないからです そういうわけであの文言来ます! 「それが何なの?」 これを打破するのは課せられた使命でしょう
【この言葉がいらっしゃる = 実力不足】
がんばろう自分
さあ、話を戻そう! 笑笑
これまですごくたくさんの人たちと関わりながら ダンスを、踊りを、踊ってきました。 そしていろんな人の顔をその踊りを知りました。 そうして「あの人のこの感じ」っていうのが 印象として残っていたりします。 それで、人と会った瞬間に 笑顔に 行動に 立ち振る舞いに その印象が 想起されることが意外にも多いのです! あの人の感じにすごく似てるなあ〜 性格もきっと似ているんだろうなあ〜 みんなありますよね?ね?? ここで最初の真理がぶっ刺さります☆
推論には、理論と正確な論理が用いられる。
似てる、は “同じ” じゃない! わたしはもしかしなくてもカテゴリー分類を 無意識にしていたのかもしれません。 そらおそろしいことです
推論の有効性は、知性の質によって決まる。
大事なのは《誤った先入観》にしない努力!! きちんと話す機会をちゃんとつくる!! 一見しただけで絶対に決めつけない!! そう思い出させてくれる強烈なスートラでした
似てると思う根拠 それはおそらく、、《距離感》かもしれない その人にどこまで踏み込めるのか 意外にも壁はすぐに肌で感じます それ以上踏み込めないアレです 考えれば考えるほど不思議になります なぜならその人の雰囲気やその周りの空気で、、 壁の在り処が《わかっちゃう》んだもんねw
その人のことを知ろうとわかろうとする これって本気で勇気がいることです だって踏み込まなきゃいけないからです いつ拒絶されてもおかしくありません この辺りでしょうね、、 「嫌われる勇気」とかそういうやつ この言葉が適切なのかどうか いや、どう考えても足りませんよね 断固。嫌われるための勇気じゃないからです 振り絞っているのはその勇気じゃないからです ここはもう臆病者にならない一択 正直言っていつでもギリギリのたたかいです 相手のこと知ろうとするわかりたいそんな力は。 ダンスはさらけ出すよりも引き出すこと 自分のことじゃなく相手のこころを
一方からだけでは足りない
考えれば考えるほど不思議になります 相手のこころを開いてもらうために 自分のこころを、、 同じくらい開かなきゃいけないなんてw ここは踊っていて心底苦しくて厳しいところです きっと苦しくて厳しいと思うのは まだまだな証拠でしょう(爆) 自分に出来る最大限の勇気 それは、相手のこころまでの 最大限の一方通行かもしれませんね
一刻も早く気分よくこころを解き放ちたいです☆
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