断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2017年01月12日(木) 聰子せんせいの葬儀

日付としてあとさきが逆なのですが、
やはり避けられないので書きます。
年末年始に、わたしのたいせつな先生
そのふたりめがこの世を去ってしまいました
2017年 1月 8日
高田聰子先生の葬儀に出席しました
聰子先生はわたしがまったくバレエを踊れないのに
初めてその舞台に立たせてくださったひとです
いま考えてもどこをどうみたって力量不足。
その上、先生の生徒たちの実力は伯仲。

 先生の娘 まりちゃんをはじめ
 その同世代の女の子たちがひしめく最高の時代

わたしはコンテンポラリーダンスを学ぶ真っ最中。
その最中でまりちゃんたちと出会ったのです。
きっとそのときにおもしろいとおもってくださった
のでしょう。
聰子先生の想像力は凄まじく、社会に向けて
ダンスとして発信するその熱意尋常じゃなかった。
SARSが中国を襲ったときもそれを作品にまでして
思いをぶつけていた方です。
思い返しても《けっして病気には負けない》そんな
誰もがもつ “人のチカラ” を作品にされていました

 そう、あの作品たちは、、
 クラシックバレエの枠を超えていた
 あれは “踊り” “ダンス” です
 クラシックバレエを基礎とした
 情熱そのもの

あんな作品を他につくっている人を
わたしは知りません
あれほど柔軟に踊りをつくっていた人を
わたしは知りません
聰子先生はそんな人でした

 踊りよりも大切なものがあった人

大切なもののために踊りがあった人だとおもいます
だってそのような作品しかないのです
人の秘める ことばにできないチカラ
生命力ともいうべきものかもしれません
そんな得体の知れない感性が踊りにあふれていた
時を経て、今だからこそわかることです

聰子せんせいはわたしが運ばれた救急救命病棟に
お見舞いに来てくださいました。
あのときのことを思い出さずにはおけません。
以前も残しているとはおもいます
聰子先生はわたしを見るなり
いきなりこう言いました

 「タイスケくん 死のうと思ったでしょ?」

ゾッとしました
第一声がそれだったのです
わたしはあのとき夜中、窓から飛び降りようと
本気でおもっていました
そして実行しようとしていたのでした
まったく動かない右上半身
見た目からはわからない 失った機能
これからどうやって生きて、、踊って、、、
なにもかもわからなくなっていました
わたしの顔を見て聰子先生はつづけます

 「その顔じゃ図星ねw
  でもね、タイスケくん。
  九大は窓 開かないから 笑笑」

聰子先生はこの病院の大先輩でしたw
窓が開かない理由まで知っているほどの大先輩w
過去、飛び降りようとした患者がおり、
看護師が止めに入るもふたりとも落ちてしまった
それ以降、窓は開かなくなったのです
わたしには知らされてもいませんでしたが、
聰子先生はもう相当前から糖尿を患っており、
それこそまりちゃんが生まれて、何年生きられるか
そういったものを抱えていらっしゃったのです
その後、わたしが病院生活をしていた際、
人工透析をしている人が、今日という日を元気に
いても明日なくなっているのを何人も目の当たりに
してきました
いのちの、いのちのありかたとはいったい何なのか
ほんとうにかんがえさせられたのです
あのとき聰子先生は最後にこうおっしゃいました

 「ダンスはね、
  何かを伝えようとする その心意気よ!!」

わたしはその台詞に身震いしたのをおぼえています
心意気、、心意気! 心意気!!
ダンスがどうとらえられようとも、
その心意気は決して間違えられないものです
うまいへたの問題ではないからです
相手に対して真剣に向き合えば不安がよぎります
突き詰めれば不安をかるく通り越して恐怖
だってわたしを、わたし自身を間違えられたくない
踊るならそれを超えていかなければなりません
誰になんといわれようとも自分をつらぬく意志
それを聰子先生に感じずにはいられないのです

未熟ながらも聰子先生のもとにいたあの時間は、
わたしのなかにたしかに生きています
記憶もぐちゃぐちゃになりはしましたが、
あの情熱は、けっして消えません

◎聰子せんせい ありがとうございました◎

 感謝しか、、感謝しか ありません




葬儀の後、はじめて話しかけてくれた人がいます
あおやぎりえちゃん
りえちゃんはバレエダンサーです
ルーマニア在住
世界で踊っているダンサー
幼少期、聰子せんせいのもとで学んでいたひと
わたしたちは同じ病院でリハビリしていました
この年末年始、同じ病院にかかっていたのです
お互いにからだの柔軟性が尋常ではないため、
横目でその存在は知っていた
しかし、知っているからといって
話しかける機会はまったくありませんでした
どんなに近くても遠いのがわたしたちの世界です
そんな2人とも聰子先生の葬儀に出席していた

これも聰子先生の残してくれた御縁かもしれません


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