『バガヴァッド・ギーター』 Bhagavadgita
聖典です。 戦いに出向いたアルジュナが これから始まろうとする “一族を滅ぼす” 戦いの 意味をとつぜん悩みだし、戦車の座席に座り込み、 弓と矢を投げ捨てて悲しみに―(略) そんなアルジュナに懇切丁寧に戦場のド真ん中で、 真理の講義をしてくれる神さまw 読めば読むほど、こんな気がしてきました
神さまが教えてくれるなんて こんなに楽なことはない
だって神さまですよ?? 従えばいいじゃない☆
真理を追求することって実際、 まるで楽じゃないとおもいます。 自分にとっての真理。 でもそんな真理をもっている人はとても毅然として いて、魅力があるのだとおもうのです。 だって その真理は “どうやって生きていたいか” そのものなんだものね! 舞台に立つ、人前に立つには ここをまったく避けられません。 自分自身がわかっていないものを 人様に提示なんてできやしないからです。 だからこそ苦労があるのは “あたりまえ” 。 なにしろ、それを提示できたとしても 受け取ってもらえない、なんていくらでもあります 全否定だってされるかもしれません そんな恐怖を常に背負っています 結局《勇気》しかない
「ダンスはその《心意気》よ」
そうおしえてくださった先生がいます あぁーーーほんとそうです、そのとおりッッ 自分にとって毎回その経過がもっともたいせつです どこをどうやってそれにたどりついたのか それを実感すること 実感だけは他人からおしえられるわけにいきません おしえられたところでまるで空虚です ◎出どころが別なものは自分からは出てこない◎ 実感することに立ち向かう勇気 誰かにおしえてもらわずに自分で歯軋りしながら すすもうとする勇気
響くものがあるのは自分が努力しているからです
そういうわけで、この聖典を読んでおもうのは、 “自分で考えないわけにはいかない” です。 誰かの言う通り、じゃなく 自分でかんがえて自分のものにすること。
アルジュナはたずねた。 「クリシュナよ、智慧が確立し、 三昧に住する人の特徴はいかなるものか。 叡知が確立した人は、どのように語り、 どのように坐し、どのように歩むのか」
聖バガヴァットは告げた。 「アルジュナよ、意にあるすべての欲望を捨て、 自ら自己においてのみ満足する時、 その人は智慧が確立したと言われる。 不幸において悩まず、幸福を切望することなく、 愛執、恐怖、怒りを離れた人は、 叡知が確立した聖者と言われる」
自分をつくっていくことはとてもたいへんな ことだとおもいます
さて、本書はそんな問答をずーーーーーーっと 戦場のド真ん中で繰り広げながら、 『バガヴァッド・ギーター』は終わります(爆) 第一章から第十八章、いつ戦いが始まるのか ドキドキしながら… 読んでたんですけど、、
始まりませんでした― 完
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