断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年08月03日(水) いつもたたかいです

『バガヴァッド・ギーター』
 Bhagavadgita

聖典です。 戦いに出向いたアルジュナが
これから始まろうとする “一族を滅ぼす” 戦いの
意味をとつぜん悩みだし、戦車の座席に座り込み、
弓と矢を投げ捨てて悲しみに―(略)
そんなアルジュナに懇切丁寧に戦場のド真ん中で、
真理の講義をしてくれる神さまw
読めば読むほど、こんな気がしてきました

神さまが教えてくれるなんて
こんなに楽なことはない

だって神さまですよ?? 従えばいいじゃない☆

真理を追求することって実際、
まるで楽じゃないとおもいます。
自分にとっての真理。
でもそんな真理をもっている人はとても毅然として
いて、魅力があるのだとおもうのです。
だって その真理は “どうやって生きていたいか”
そのものなんだものね!
舞台に立つ、人前に立つには
ここをまったく避けられません。
自分自身がわかっていないものを
人様に提示なんてできやしないからです。
だからこそ苦労があるのは “あたりまえ” 。
なにしろ、それを提示できたとしても
受け取ってもらえない、なんていくらでもあります
全否定だってされるかもしれません
そんな恐怖を常に背負っています
結局《勇気》しかない

「ダンスはその《心意気》よ」

そうおしえてくださった先生がいます
あぁーーーほんとそうです、そのとおりッッ
自分にとって毎回その経過がもっともたいせつです
どこをどうやってそれにたどりついたのか
それを実感すること
実感だけは他人からおしえられるわけにいきません
おしえられたところでまるで空虚です
◎出どころが別なものは自分からは出てこない◎
実感することに立ち向かう勇気
誰かにおしえてもらわずに自分で歯軋りしながら
すすもうとする勇気

響くものがあるのは自分が努力しているからです

そういうわけで、この聖典を読んでおもうのは、
“自分で考えないわけにはいかない” です。
誰かの言う通り、じゃなく
自分でかんがえて自分のものにすること。


アルジュナはたずねた。
「クリシュナよ、智慧が確立し、
 三昧に住する人の特徴はいかなるものか。
 叡知が確立した人は、どのように語り、
 どのように坐し、どのように歩むのか」

聖バガヴァットは告げた。
「アルジュナよ、意にあるすべての欲望を捨て、
 自ら自己においてのみ満足する時、
 その人は智慧が確立したと言われる。
 不幸において悩まず、幸福を切望することなく、
 愛執、恐怖、怒りを離れた人は、
 叡知が確立した聖者と言われる」


自分をつくっていくことはとてもたいへんな
ことだとおもいます

さて、本書はそんな問答をずーーーーーーっと
戦場のド真ん中で繰り広げながら、
『バガヴァッド・ギーター』は終わります(爆)
第一章から第十八章、いつ戦いが始まるのか
ドキドキしながら… 読んでたんですけど、、

始まりませんでした―  完


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Taisuke [HOMEPAGE]