おばあちゃんが12/3、亡くなりました いつもわたしのことを心配していた祖母。 最後まで心配させていたかもしれません 父、母、そして わたしは12/4のお通夜から 会場に泊まりがけで祖母の遺体のそばにいました
あわてて身支度をしたために靴下が色物だったの も忘れていたくらいです
その夜はたいへんな静けさでした
寝静まった頃、実は何度も祖母の顔を見ました ばあちゃんは方言がすごくて たぶん、全部聞き取れたことはほぼなかったw でも とにかくやさしかったのです それも、果てしなくやさしかった もうそんな言葉をかけてくれないのだと知ると いつも いつでも 涙がとまらなくなりました
わたしはおばあちゃんにダンスを一度も 見てもらったことがありません
復帰公演をしたときには、 祖母の身体はもうおおおよそ悪かった 何度も何度も入院していました 困難はいつだってどんなときもあります 導き出せるのはただひとつです
やってない
やろうと思えばどこでも踊れたはずです でもいろんな困難のために踊らなかった お客さんが、とか、公演で、とかでなければ 本気で踊れない なんてことはありません ただただ “やってない” 見てもらうチャンスなんていつでも “つくれた” 困難をつくっていたのは自分自身です そうおもったら、、、自分の未熟さに 情けなくてたまらなくなりました
ダンスはいつだって全力で踊れるもののはずです
“しなければならない” ことじゃないからです
わたしが前十字靭帯断裂から再建手術、 そしてリハビリ中の今、最も学んだことは、
どんなことも、どれだけでも 《大切にできる》ということです
たいせつにできるというのは際限がないのです それは、わたしたちのこころ次第だからです!! 時間をつかうのも、人と会うのも、 そこにどれだけ意識を傾けられるか。 意識を傾け “よう” とすればいくらでもできる!! これがこの一年でいちばん悟ったことでした
わかったところでつかえなければ宝の持ち腐れ
この日 それを痛感したのです
葬儀会場のすぐ近くには遊園地があり、点滅しな がら回る観覧車をしばらく呆然と眺めました わたしたちは確実にしにます
そのときまで、できることを精一杯やりたい
骨になった祖母に誓ったのです
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