| 2015年11月08日(日) |
「風の海 迷宮の岸」 |
◎入院中にお見舞いでいただいた本 読了の段2◎
『風の海 迷宮の岸』十二国記 小野不由美 幼き麒麟に迫り来る決断の時―
神獣である麒麟が王を選び玉座に据える 十二国。 その一つ戴国麒麟の泰麒は、 天地を揺るがす《蝕》で蓬莱に流され、 人の子として育った。 十年の時を経て 故国へと戻されるも、役割を理解できぬ 麒麟の葛藤が始まる。 我こそはと名乗り を挙げる者たちを前に、この国の命運を 担うべき《王》を泰麒は選ぶことができ るのだろうか!?
役割。この小説は自身の役割を自分で理解して 受け容れられるか、そんな内容な気がします。 十二国では生まれた時点でその役割が決められて いるため、悩む必要は基本的にはないはずですが 物語ですのでそれを思いっきり苦悩に苦難を重ね ながら受け容れるお話です(爆) なんと、その主人公の置かれた境遇は意外にも わたしたちにも当てはまってしまいます! 仕事につけば嫌が王でも役割をさせられるものです し、仕事である以上しなければならないし、 その仕事の現実に等しく苦悩が生まれますよね? 突然 突き付けられる役割。
心が揺れて当たり前の状況
やらされる現実と本当にそれを自分でやれるのか やれるかやれないかというよりしなきゃならない。 そんなリアルに圧し潰されるお話です!
「転変できない麒麟はおりません」
「ぼくはできないんです。。 …やり方が分からなくて…」
景麒は泰麒を見た。 その眼は鮮やかな紫をしている。
「手を上げるのに、やり方を訊きますか? 歩く方法を習いますか?」
「いえ…」
「それと同じです。 転変の方法を訊かれても答えられないし、 答えたところでお分かりになるとは思えない」
転変。この物語では変身のこと。 この会話にはおそろしい真実があります。 わたしたちが “当たり前” とおもっているものは、 “教えられない” というものです!
“できる” ものは “できる”
フツーに出来ることが出来なくなったとき。 術後は、意外にも泰麒と同じ気分でした―
やり方が分からない
これは甚だおそろしいことです 自分でもどうしてだかわからないからです 思い出すとか、そんな話じゃあない!!
小説を読んでいて、全然他人事じゃなかった
泰麒は麒麟の先輩・景麒に教えを乞います。 もうね、泰麒はほとんど出来ない子ですからねw
「それが言葉にするのが難しい。 私にもよく分からないのです、実を言うと。 ただ、“気迫” なのだと思う。 この妖魔を自分の支配かに置くのだという 強い意志の力。 ただそれは、ひたすら強く願えばいいという ものではない」
景麒が言うと、泰麒は困り果てた表情をした。
「こう考えるのがよろしかろう。 麒麟は《力》を持っているのだと。 力の大きさは麒麟によって異なる。 しかしながら、どの麒麟も確実に 持っているものです」
「その力が、麒麟を転変させる?」
「はい。それは力だから、 願いとはあまり関係がない。 どれほど強く願っても、 持っている力が小さければ いくらの足しにもなりはしない。 そういうことです」
この会話、言い換えたら “自分を信じろ” ですw 自分に力があるのだと信じること。 その土台がなければ はじまらない めちゃくちゃ当たり前のことですが、 失ったものだと《当たり前》になりません。
自分のことがわからなくなっているからです
泰麒の場合だとそんな力を持っているとも思って もいない、知らなかったことなので、 理解のしようがありません! でもこの会話で思い出しました。 できるようにするために手術したこと
できるようにならないはずがない これを信じないと前へすすめない
そんな毎日でした。
いよいよ王選びがはじまります。 そんな中での台詞。
「そうそう。 顔に品格が出るということだろう。 王になるべきお方は、 見かけも王に足る品格があるもんだ」
顔。表情ってどうしてその人が透けて見えるのか! おだやかな人はおだやかな顔。 神経質な人は神経質な顔をしています! その性格が確実に見えているのです。 これはダンスでも同じ。 その人の踊りにはその性格が確実に現れます。 偽りのないものを踊りたいとおもっているなら 結果として “自分が自分である” を実践して、 そんな間違いのない毎日を送らなくてはなりません
一日一日の積み重ね。 これしかないッッ
物語後半。 泰麒に訪れる絶体絶命のピンチ。 ピンチを切り抜けた泰麒はついに実感を得ます。
人ではなかった己の実感
その実感はとんでもない妖魔を従えたときでした。 “突然 出来た” これがまた意外にも自分に通じるものでした―
リハビリを続けて筋力が整ってくると これまで出来なかったことが “突然 出来る”
不思議。不思議な気分です いきなりわかる実感 その実感を得るところまでいかなければ、 ずっと。ずーっと悩みっぱなしかもしれません!! この実感こそが、 自分を自分だと思えるものではないでしょうか
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