朝まで鈍痛で悩まされつづけましたが、 去年の鈍痛祭とはレベルがまったく違いました。 痛いものは痛いのですが、全然余裕あるッッ しかし、カラダにはいろいろ管がとおっているし とにかく動けません! 実は、《余裕がある》というのが今回の敵です―
去年は何よりも先に “激痛” でした だから、まるで他のこと考える余裕はなかった ところが今度はどうでしょう 乗り越えてきた “あのとき” からすれば、 ぜんぜん楽勝です そのぶんいろんなことに頭が巡りました 術後はいろんな機械がついており、 管もたくさんついています これが、、ほんとうに不快でした
みんな “手術が大変” とおもっているでしょうが、 現実は、手術よりも “術後が大変” です。 前回は冷や汗の中ひたすら耐える夜を送っていました 耐え抜く強化(麻酔)も自ら手放した経緯もあって、 管のことなんか考える余地はなかったのです。 乗り越えてきたことで、余裕がある今。 何よりも不快だったのは尿道に通されている管。 術後、目が覚めたら漠然とついてますからね。。 局地的問題ですから書かなくてもいいのですが、 最後だし本当のことなので書きますw 管は地味に。。地味に痛いのです! かといって取り去ってもらえてもトイレに自力では行 けません。 別の管や機械がいろいろありますから たいへんな不自由です けっこう耐えましたが、深夜に外してもらいました。 さすがに限界を味わいましたね。。 そして、気合いでトイレに行きましたともッッ 歯をくいしばりながら目指すトイレ。 それはまるでエベレスト登頂へのラストチャレンジw ◎一歩一歩が果てしなく重い◎ 寝たきりを経験すればわかることww 自力で行けるトイレは、圧倒的解脱感です!!
これもダンスになってしまうのでしょう
この日わかったのは― 前回の厳しさを乗り越えたからといって、 今日が楽にはならない事実です。 度合いは低くとも、今回は今回であたらしい気付きや 痛みとたたかわなくてはなりません! 手術や痛さで今日を特別な日だと勘違いしそうですが
これは、実は わたしたちの毎日のことです
手術は人生の中でも節目となるような極端な非日常。 こんな日だからこそ感傷が浮き彫りになってしまいま すが、実のところわたしたちの毎日とはそういったも のです。 毎日いろんな気付きがあり、人との不和や 協調、よろこびまで。 今日のような日に奮起するというよりも、毎日。 毎日の向き合い方が、人生を豊かにする秘訣なのだと おもうのです。
毎日をどうすごしてきたか 毎日をどうすごしたいのか
苦しいときこそ自分が現れます。 誰にもたすけてもらえないからこそ、 そのときまでの指針を通していっぺんに現れます。 知らなかった自分がでてきたりするんです! 知らない自分と向き合ったとき、 実はその自分を知っていたことに気付いたりします。 気付き。気付きこそが成長の第一歩だとおもいます。 自分のこと、知らなければ成長なんてできません! 嫌なことを自分の中に隠蔽したり、忘れてしまった ら、、チャンスを逃してしまいます!! なかったことにせず、踏まえて乗り越える。 向き合っている人は一目見ればわかるものです。 どう見たって大きい存在だからです。 向き合っていない人は一目見ればわかるものです。 どう見たって卑屈な存在だからです。
わたしたちは人生を踊っています
できるなら、できるかぎり、生きているかぎり、 明るいダンスを踊りたい。踊っていたい。 一生懸命に、一日一日をたのしくいさえすれば、 輝きがうまれない日なんてありえません!
◎この気持ちがいつも前を向かせてくれる光です◎
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