| 2015年05月07日(木) |
「月の影 影の海」(上) |
お見舞いにいただいた【十二国記】に着手! シリーズ本編となる衝撃の第一作です。 おっそッッッ ほんとうに遅くてすいませんw この場をかりてあやまっとこう!!
『月の影 影の海』(上) 小野不由美
「お捜し申し上げました」 女子高生の陽子の許に、ケイキと名乗る男が現れ、 跪く。 そして海を潜り抜け、地図にない異界へと 連れ去った。 男とはぐれて一人彷徨う陽子は、 出会う者に裏切られ、異形の獣に襲われる。 なぜ異邦へ来たのか、戦わねばならないのか。 怒濤のごとく押し寄せる苦難を前に、 故国へ帰還を誓う少女の “生” への執着が迸る。 「わたしは、必ず、生きて帰る」 流れ着いた巧国で、容赦なく襲い来る妖魔を相手 に戦い続ける陽子。 度重なる裏切りで傷ついた心を救ってくれたのは、 《半獣》楽俊との出会いだった。 陽子が故国へ戻る手がかりを求めて、雁国の王を訪 ねた二人に、過酷な運命を担う真相が明かされる。 全ては途轍もない決断への幕開けに過ぎなかった―
手に取った遅さは今日の日のためでした。 ファンタジー、、もう全然読んでなかったもんねw ◎あっという間に読み終わってしまいました◎ もう読める読める進む進む 笑笑
おもしろかったッッ
正直、ファンタジーとおもってなめてました。 が、これは読める。 現実にも力になる そんなものを感じました。
だって陽子の道中があまりにもひどい過酷さだもの
いきなり知らない世界に放り出された上に、 誰もたすけてくれる人はなく、 一人で生きなきゃならないリアル。 もちろんお金ももってません。 その世界でどうすればいいのかもわからない。 人間、ほんとうにそんな境地に立たなければ、 世界の本性などわかりはしないでしょう。 考えたらゾッとしますよね!? 主人公・陽子は終始そんな状況ですw もうぜーんぜん笑えない
日本を出国?するときに陽子にはケイキの仕業で、 護身のために刀を渡されます。 その刀は水禺刀と呼ばれる妖刀。 気を抜けば心を読まれて陽子を惑わしてきた。 幾度となく執拗に陽子のこころをゆさぶってきた。
「帰って、それでどうなるんだい、えェ? 戻ればそれで、大団円になるのかい?」 「…黙れ」 分かっている。 戻ったからといって、陽子はこの 国を悪夢だと忘れてしまうことはできないだろう。 何もかもなかったふりで、以前の通りに生きていく ことなどできるはずがない。 ましてや、戻ったか らといってこの姿が元に戻るという保証があるのか そうでなければ《中嶋陽子》のいた場所に戻ること はできないのだ。 「浅ましいこったなァ。 呆れた莫迦者だよ、お前はナァ」 きゃらきゃらと遠ざかっていく哄笑を聞きながら、 陽子はもう一度身を起こした。 どうしてなのか自分でも分からない。 莫迦だと思うし浅ましいとも思う。 それでもここで諦めるぐらいなら、もっと前に諦め てしまえば良かったのだ。 陽子は自分の身体を思い出す。 怪我だらけで血と泥に汚れたままで。 ボロ布のよ うな有様になりつつある服からは、身動きするたび に嫌な臭気がする。 それでもこうしてなりふり構 わず守ってきた命だから、簡単に手放す気にはなれ なかった。 死んでいたほうがましだったというの なら、そもそもの最初、学校の屋上で蠱雕に襲われ たときに死んでいれば良かったのだ。
死にたくないのでは、きっとない。 生きたいわけでも多分ない。 ただ陽子は諦めたくないのだ。
帰る。 必ずあの懐かしい場所に帰る。 そこで何が待っているか、それはそのときに考えれ ばいいことだ。 帰るためには生きていることが必要だから、守る。 こんなところで死にたくない。
人間は状況に襲われると簡単に自分を見失います。 事故や病気がわかりやすいでしょう。 生きているものすべてに襲ってくる現実です。 それが大きなものであればあるほど、それまでを疑う はずです。
なによりも先ず《なぜこうなったのか》 意識的になろうとしてなるものでないのなら、 絶対に疑うはずです そして、相手がいる場合はその相手を恨むはずです アイツさえいなければ。。 ここで完結している人もいるでしょう。
未来永劫、誰かを呪って生きる生き方の完成です
これは遠慮なくありふれたお話です。 この世には、 誰かを呪わずにいられない人がいるのです。 わたしたちですら、明日は分かりません。 家族や大切な人を奪われたりしたら、どうなるか… そのときにならなければわからないことです。
しかしどんなことでも同じことがあります。 それは、その後も生きていかなくてはならないこと
物語では猿みたいなまぼろしが問いかけてきますが、 これはまったく自分自身の分身と同じものです。 いつだってわたしたちにはこれと同じ者がおり、 いつもわたしたちに邪念をふっかけてくる。 あきらめればいいじゃんw 俺じゃない、あいつがわるいんだw わたしたちの心にはいつもいつだってそんな自分が います。 そして、それを打ち払えるのも受け入れて しまえるのも自分しかいません。 自分をどうするか、知らないうちに決めてたりす―
問題はその《決め方》です
なりゆき状況に流されてしまうと、光を失くしてしま いかねません。 流されることは囚われるのと似ています。 誰かを悪者にするのは簡単ですが、 その分、自分自身に光を見出だせなくなってしまう。 いい方向。 明るい方へいこうとするには、これでは 踏み出せないのです。 そこで陽子ですw 上の文章にはおそろしいほど見惚れてしまいました! こういうの、味わったことありますか?? “こういうの” とは “筋道をたてること” です。 今の自分がたどりつけるだけの奥底まで深く潜ること たぶんこれこそがすべてです 何かとんでもないことが起こらないとここまで深く、 自分の中を探ることなどしないでしょう。 ◎そこは、想像では決して到達できない地点です◎ わたし自身まだまだ弱い存在ではありますが、 これまでどん底から這い上がるまでにしてきたことは、 まさにこれです
自分の人生にとっての《優先順位》 それは、自分自身でありつづけること
それをするまでまったく自分を決定できませんでした いつも自分を疑っていました ぜんぜん “生きよう” となんておもえなかった
どんな場所にも堂々とした人、かっこいい人がいるの ではないでしょうか。 そんな人たちに共通しているのは、 《自分自身が定まっていること》です。 わたしは入院していたとき、病気と向き合っているあ るお母さんと出会ってその強さを知りました。 いろんなことをできる人が考えもしないような あたりまえ、《生きるということ》です 生きることが困難だからこそ 全力で生きようとするんです
生きることが困難だからといって 生きることをやめようとする人はいませんでした
進むためには自分と対決せざるを得ません。 自分自身を決定しないと前へ進む気持ちなんて 湧いてきやしないんです
つづく。
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