断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2015年04月18日(土) 「運命を拓く」(2)

6年前、入院中に学んだ「楽勝ッスよ」
なんと天風哲学からすると理に完全に適ってますw
わたしが編み出した技の数々もね!
意外にもちょこちょこ実践していたww
例えばそう、右腕がまったく上げられなかった季節。
お見舞いにきてくれた人が尋ねます。
「調子はどう??」
わたしはいきなり左腕をぶんぶん回して、
「ほら!このとおり!!」
お見舞いにきてくれた人たちは目を丸くして言った。
「すごいじゃないの〜〜」
まあ、大抵こんな感じでした 笑笑
誰もどちらの腕かどうかなんて本気で気にしませんw
あくまでも自分自身のたたかいなんです

さあ以上を踏まえて2nd感想いってみよーう☆
この本はこれで終わりにします。
いつでも短く終わらせようとしていますが、
どうしても避けられない内容があるんです(爆)
それに…
なんたって中身を実践しないと何の意味もない!!
だがしかし! 心に刻むにはアウトプットも重要。
実践しさえすれば、確実に《運命が拓きます》
是非やってみてくださいッッ
わたし自身も実践中なうです☆
もういい加減、運命拓きたいしッッ 笑笑


【言葉と人生】
今日は、普通の人が、心の態度とか、ひいては人生や
生命に大きな影響を与えることはないだろうと思って
さほど大きな注意を払わない事柄に大して注意を促し
たい。 何でもないと、自分が思っていて、それが直
接的には自分の心の態度を、そして結果において自分
の人生や生命に大きな影響を与えるものとは何か??
それは《言葉》というものである。
私はこの “言葉” というものを、そんなにも重大な影
響を持っているものとは少しも知らなかった。
ヒマラヤの麓で私は、
「毎朝、朝の挨拶のあと、俺はお前に
  “How do you do, today?” と聞くと、必ずお前は
  “I am not quite well.” と言うなあ。
 それを言ってそのとき楽しいかい??」
と言われた。
「いや、楽しくはありませんけれど、真実こういう病
 を持っていますから、朝目が覚めますけれども快い
 気持ちでは覚めません。 やっぱり何となく、こう
 熱があるように感じ、体の全体がけだるく感じまし
 て、頭は重いし、つまり快適な気分を感じません」

「そういうことを言ってお前は気持ちがいいか?」

「気持ちは良くありませんが真実そうですから」

「そうかねえ、お前は相当アメリカやヨーロッパで
 学問をしてきた人間だと聞いていたが、そういう
 方面に対する知識はゼロだなあ」

「それはどういう意味ですか?」

「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ち
 が駄目にされたり、あるいは非情に鼓舞奨励された
 りする直接的な事実を少しも考えていないなあ…

 造物主によって便利な言葉を我々人間だけに与えら
 れているが、言葉というものが、積極的に表現され
 たときと、消極的に表現されたときとでは、その
 実在意識が受ける影響は非情に大きな相違がある。
 先ほどのように、今日は不愉快ですとか、頭が痛い
 とか、熱がありますとか、気分が良くない、とか
 言ってるときには、愉快を感じないだろう?
 今日は嬉しいです、楽しいです、ありがたいです、
 という言葉を言ったときには、なんともいえない
 快さを、その気持ちの上に感じるだろう?
 その感じるということは何が感じるか、
 お前はわかるか??
 実在意識が感じているんじゃないか!
 そして実在意識が感じたものが、直ちに潜在意識に
 直接的に影響して、そして潜在意識が実在意識と同
 じような気持ちになると同時に、神経系統の生活機
 能も同じように良くも悪くもなるのだ!!
 そうすると、結局、お前の生きる力が、
 その言葉の良し悪しによって、
 やはり良くも悪くもなるじゃないか!!」

私は言った。
「しかし本当に具合が悪いとき、
 具合が悪いと言っちゃいけないんですか?」

「具合が悪いとき、具合が悪いと言って治るか?」

「いや、治りはしませんけど
 やはり痛いときは痛いと言います!」

「いや、痛いとき痛いと言うのがいけないんじゃない
 んだ。 痛いときは痛い、痒いときは痒いと言う、
 それは当たり前のこと。 だから言ってもいい。
 だが重要なのはそういったときに、
 それから後を自分が考えなければよい」

「それはどういう意味ですか―」

「お前は今日はどうも頭が痛いとか、どうも熱があり
 ますとか、言っている言葉の後に、愉快だとは思わ
 ない、実に不愉快だ、たとえ言葉に出さなくても
 心の中で思っているだろう。
 何ともいえないイヤな気持ちだなあ…と。
 そして普段と違って、よくない状態が体に現れてく
 れば、それを元にして痛いとか痒いとか言いながら
 それが元でもっと悪くなりはしないだろうか、死に
 やしないだろうか、というふうに、
 現実よりも過大に神経を使いはしてないか?
 それがいけないのだ。
 寒いとか暑いとか痛いとか痒いとかいうことは
 構わない。 それは現実に対する表現だから。
 それに対してお前は付け加えなくてもよいことを
 しょっちゅう、つけ加えているじゃないか」

「いやしかし、それは普通の人間は皆そうでしょう」

そう返事をするとこう言われた。

「普通の人間のことをいってるんじゃない!!
 俺のところに来てこういうふうに毎日毎日真理を
 探求している以上は普通の人間じゃないんだ!!
 まだ自分は普通の人間だと思っているのかお前は!
 普通の人間はお前のように毎日毎日真理と取り組ん
 で貴重な時間を過ごしちゃいない。
 毎日毎日くだらない人事、世事にせわしく働き、
 やたらとその言葉を汚し、実に、自分ならびに他人
 をも悪くするような言葉のみを終始使っているのだ
 それは凡人のいうことだ。
 真理を探求している人間がそういう考え方を持つこ
 とは、非常に恥ずかしいことで、結局、極端に自己
 を侮辱していることになるじゃないか!
 もう少し俺はお前を賢明だと思ったが、
 あんまり賢明でないなあ…」


この章を読んで、これまで使ってきた言葉が
とんでもなくおそろしくなりました
わたし自身も実のところ痛くて苦しい毎日です。
そんな毎日をわざわざ苦しい方に向けていた日が
なかったか。 そしてそれが人に嫌な影響を与えてし
まうこともわかった。
何気ない一言でも、潜在意識に訴えてしまうこと。
そうしたら潜在意識が実在意識に同化してくる!
《そう、これは、逆をすればいいんだッッ》
そうすればすべてがいい循環を導いてくれるはず。
自分にも、そして相手にも。
わたしはこの本を読んでからは、「痛い」と言っても
言ったとしても、最後は絶対に「でも大丈夫」と
言うようにした。
悪いままで終わらせない努力です
悪い言葉は悪い循環を促します。
良い言葉は良い循環を促すんです!!
これに気付けたことはたいへんな宝物じゃないか
そしてそれは歳を重ねるほどに現れるはずです。
ダンスでもきっと同じでしょう。
ダンスを踊るカラダに同化している何か、が問題です
そうおもいます!

さあそんなこと “おもって” いてもしょうがない!
すべての問題は、わかっていても実行できるかw
もう理屈じゃあないッッ
どう生きたいのか、です!! 笑笑


【人間の生命の本来の面目】
我々の生命は、常に伸びよう伸びようとしているのだ
これを忘れてはいけない。
創造的なものなのだから。
その証拠に、知らないことを一所懸命復習していれば
だんだんわかってくるようになる。
そしてわかってくれば、どんどんと、熟練してくるじ
ゃないか! それは、伸びよう伸びようとする自然傾
向があるからである。
だから、自己向上の意欲の薄くなった人は、どうして
も老衰を早める。 そうなる理由は、造物主から与え
られる、生命を支える活力を受け入れる口をわざわざ
自分で塞いでいるからだ。
どんな時代が来ようと、どんなに歳をとろうと、我々
は進化向上の自然法則の中で活きている。
特に、現在、病のある人、あるいは運命のよくない人
も、決して、その病や、運命に、心をこだわらせない
ことだ。
こだわればこだわるほど、病も癒りが遅いし、運命だ
って、挽回するときが遅いのだ。
人間というものは、浮き沈み、波の高低のあるところ
に活きている。
晴天の日もあれば、雨の日もあれば風の日もある。
そのたびに、自分の心を苦しめていたらどうなるか。
病のときに、病にこだわれば、病に負けてしまう。
運命のよくないとき、運命にこだわれば、
運命に負けてしまうではないか。 だから、
病でも運命でも、消極的な気持ちにしないこと。
いいか! ズバリ一言いおう。

 人間は、健康でも、運命でも、
 心が、それを、断然乗り超えていくところに、
 生命の価値があるのだ!!


これは… もうほんとうに、そのとおりだとおもった
“価値” という言葉が嫌いなわたしですのでw
“輝き” に変換します!

困難や悲しみを乗り越えて人間は進化してきたはず。
そう考えたら乗り越えることが、
生きてる意味なのかもしれません!!

これまで “なんとなく” かんがえていたことが、
これほど文章になっている本はありませんでした
曖昧なところから一気にリアルになった瞬間です!
まだまだあまかったとはいえ、
曲げようがない真理となってかえってきてしまったw
あとは自分次第…か ww

◎この本に出会えたことに感謝◎


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