| 2015年03月02日(月) |
「フランケンシュタイン」(2) |
つづきw 実は、容量OVERでエラー表示出たッッ(爆) やむをえずの二部化です。。涙涙 長いですが、是非(1)からお願いします☆
怪物はド・ラセー一家と親しくなりたいという思いを募らせていました。 しかし、かつて村で人間と遭遇したときに醜い姿ゆえに迫害された経験から受け入れてもらえないかもしれない、と悩んでいた― そこで怪物は、盲目の老人が一人きりの時を狙って家を訪ねます。 “通りすがりの旅人” と名乗る怪物を老人は招き入れてくれます。 怪物は孤独に悩んでいること、そして、心から愛する友だちに嫌われそうだ、という悩みを告白。 その友だちとは老人の家族のこと。
老人は言います。 「私は目が見えず、あなたの顔はわからないが、 あなたの言葉には、 何か誠実だと思わせるものがある。 私は貧乏で追放の身だが、 何かの形で人の役に立つことができれば、 こんなに嬉しいことはない」
「立派なお方! 寛大なお申し出を、ありがたくお受けします。 いまのあなたのお情けで、 これから会おうとしている友達とも、 きっとうまくゆくような気がしています」
「そのお友達の名前とお住まいを伺えますか?」
おれは黙った。 この一瞬で決まるのだ、と思った。 幸福が永遠に奪われるか、 それとも与えられるかが。 気力を奮い起こして返事をしようともがいたが、 その努力が、 残っていたなけなしの力を崩してしまった。 おれは椅子にくずおれ、声をあげて泣いた
その瞬間、若い庇護者たちの足音が聞こえた。 一刻の猶予もなかった。 おれは老人の手をつかんで叫んだ。
「いまです! ―私を助けて守ってください! あなたがた一家こそ、 私が求めている友達なのです。 この試練のときに、私を見捨てないで!」
「なんだって!?… あなたは誰なのですか?」
その瞬間、家の扉が開き、 フェリックスとサフィー、アガサが入って来た―
「あなたは誰なのですか?」 その問いに答えられない怪物
先生は言います 「名前が無いわけですから答えようがないわけですね。 名前もないし身分もないし身寄りもない。 名前が与えられないということは、 存在が認知されていないということですよね。 文学作品としてのフランケンシュタインで 忘れてならないのは、 この怪物が正に、人間としての苦しみを、 苦しみぬいたということですね。 存在に関わる苦しみですよね」
この老人との会話が、怪物が人間の共感に出会える最初で最後の場面でした
老人が盲目であったことは、怪物の醜さが人の目を偏見で曇らせる決定的な要因になっていることを皮肉な形で露呈した。 怪物が見られる存在である限り、他者の理解や共感を得るのは不可能だということを悟った。
創造主への怒り
希望を失った怪物に残されたのは、 ヴィクターへの強い怒りだけだった
呪われた創造主よ! おれはなぜ生き長らえたのか? 無数の人間が存在するのに、おれを哀れみ、 支えてくれる者は、そのなかにひとりもいない。 それなのに、 敵に対して優しい気持ちを持てというのか? いや、そうはいかない。 おれはその瞬間、人類と永遠に戦うことを決めたのだ とりわけおれを創って、 こんな耐えがたい不幸な目に合わせた人間と、 戦うのだ―
その後、怪物は自分を創ったヴィクターと会うことを決意。 ヴィクターの故郷へと旅立つ。 偶然、ヴィクターの弟(幼い子ども)と出会い、友達になろうとするも、「醜い」と罵られてしまいます。
小さい子供でも《醜い》といって 偏見をもつわけですよね
ヴィクターの弟はついフランケンシュタイン姓を名乗ってしまいます。 それを聞いた怪物の心に激しい復讐心が巻き起こり、殺してしまった。 (その殺意に至る直前、川で溺れていた女の子をたすけた怪物でしたが、その側にいた父親らしき男から銃で撃たれてしまいます。。 この怒りの衝動が殺意を助長していた可能性も否定できない)
これで中身まで《本物の怪物》になってしまった
先生談 「怪物がなぜ凶悪化したのかっていうのは そこへ行き着くまでの プロセスがあったということですよね? これは、あらためて考え直すべき 非常に重たい問題を含んでいるのではないか」
社会から疎外された者が邪悪な存在となる
しかも疎外された者が徹底的に疎外される話
ヴィクターの前についに怪物が現れます。 これまでの不遇とヴィクターへの恨みを語りだした怪物は、ある提案をもちかけた―
おれのために、女をつくるのだ。 いっしょに暮らし、おれが生きていくために 必要な共感を分かち合う相手を。 それはおまえにしかできないことだ。 もし誰か、おれに好意をもってくれる者が いたとすれば、おれは百倍、 二百倍にもして返すだろう。 ああ!創り主よ、おれをしあわせにしてくれ。 たったひとつでも恩恵を受けたと感謝させてくれ!
報復を恐れたヴィクターはしぶしぶ承諾。 女の怪物完成間近、窓の外を見ると怪物がいた―
そのときふと見上げると、月の光に照らされて、 窓のところにあの悪魔がいた。 ぞっとするような笑みを浮かべて口元を歪め、 私のほうをじっと見ていた。 自分が頼んだ仕事がいまや完成しようと しているところを、見張っていたのだ。
ヴィクターは衝動的に女の怪物を破壊。 絶望した怪物はこんどこそ復讐を誓います
人間にはみな、胸に抱く妻があり、 獣もみなつがいなのに、 おれにだけはひとりでいろというのか? おれがもっていた愛情の心は、 毛嫌いされ蔑まれただけだった。 おれが不幸のどん底で這いずり回っているとき、 おまえだけ幸せになるつもりか? ほかの感情は潰されても、 復讐心だけは残っているぞ。 復讐こそ、これからは光よりも食料よりも大切だ―
科学者側からだと《壊した》ですが、 怪物側からすると《殺された》になります。 ヴィクターは怪物の立場からは見ていない
先生は言いました 「作者メアリ・シェリーは運命を決める要因として《性格》が大きな役割を果たすということを考えていたはずです。 といいますのが、主要人物だけでなく全ての端役に至るまでその性格が丁寧に描かれている特徴があるからです」
性格が運命を決める
科学者として英雄になろうとしたヴィクターだが、早く業績を上げたいと焦るあまり近視眼的になりがちだった。 そんなヴィクターに怪物が言ったこと
創造主であるおまえが被造物のおれを嫌って 踏みつけにするのか? おれを殺そうというのだな。 どうしてそんなに命をもてあそぶことができるのだ? おれに対する義務を果たすがよい。
これは、子から親への痛烈な批判です。 ヴィクターが科学者としての責任に気づいたのは女の怪物の製作中でした。
三年前に、これと同じ仕事に取り組んで、 悪魔を創ってしまい、 そいつの並ぶもののない残虐さのせいで、 私の心は荒れ果て、永遠に苦い後悔の念で いっぱいになってしまったのだ。 私は今また、もうひとつの生き物を創ろうと していたが、それがどんな性質をもっているのかは 今度もやはりわからなかった。 彼らがヨーロッパを去って、新天地の荒野に 住んだとしても、あの悪魔が渇望する 共感なるものが得られたら、その結果、 子供が産まれてくるわけだ。 それがなれば悪魔の一族が地上にはびこり、 人間の存在そのものが、恐怖に満ちた危険な状態に なりかねない。 自分だけの利益のために、 後々の世代にまでこんな呪いを負わせる権利が、 私にあるのだろうか? いま初めて、自分のした約束が いかに不道徳なものだったかに、思い至った。 後の世の人々から、 私が災厄をふりまいた元凶とされ、 何のためらいもなく全人類を犠牲にしてまで、 自分の平穏を買い取るような利己的な人間として 呪われるのかと思うと、身震いした。
先生談 「科学によって作られたものが予期せぬ結果を招くSFの常道的筋書き。 生まれる側が負わされるものは、まさに怪物が味わった苦悩であるわけで、怪物っていうのは生まれる側の立場を予言的に代弁しているといえるかとおもいます」
ウォルトンに看取られながらヴィクターは船の上で息を引き取ります
さようなら、ウォルトン! 平穏のなかに幸せを見つけてください。 野心は捨てたほうがいい。 たとえそれが、 科学や発見によって名をあげるという 無邪気な野心にすぎなかったとしても。 しかし、なぜ私はこんなことを言っているのだろう? 自分はそれを望んで身を滅ぼしたとしても、 ほかの人は成功するかもしれないのに。。
そこへ怪物が現れます ヴィクターの亡骸を前に嘆き悲しむ怪物
おれに命を授けた男は、死んでしまった。 自分がいなくなれば、おれたち二人の記憶も、 たちまち消え去ってしまうだろう。 もう太陽や星を見ることも、 そよ風が頰に触れるのを感じることもない。 光も心も感覚も、消えてしまうのだ。 だが、そうなることを、 おれは幸せだと思わなければならない。 いまは死ぬことだけが、おれの慰めなのだ。 さらば! おれは行く―
正直、番組で涙するとはおもいませんでした
先生は言いました 「人間であると認可されていない者のほうが、かえって《人間とは何か?》とか《生きるとは何か?》ってことを真剣に考えるのではないか??」
瀬戸際に立たないと、人は ほんとうに真剣には考えないのかもしれない そんなことを感じます わたし自身、身を以て知ったことでしたが、 文章を読んであらためてそうおもった
《怪物》が一番ほしかったのは 《親》の愛情ではないか?
それが叶わなかったときに、 人はいかに歪んでいく可能性があるか。
ヴィクターは自分が生み出した怪物がどんなに人間的であったのか、気づかずに、見出だそうともせずに、死んでしまったことが最大の不幸だった 番組は最後に、あのシーンに戻ります
「私は目が見えず、 あなたの顔はわからないが、 あなたの言葉には、 何か誠実だと思わせるものがある。 あなたは誰なのですか?」
先生談 「他人に自分を認めてもらいたいと必死になっているときに「あなたは誰なのですか?」という言葉はいわば、絶壁に立たされたときに私たちが突きつけられる究極の問いでもありますよね? そういうのを、怪物は私たちよりも厳しい立場で《自分とは何か》という問題を真剣に考えたのではないか? そういうことを感じさせるシーンです」
自分自身を知ることがどれだけたいせつなことか そして、自分がうまれてきたことによろこびが あったことをしっていること これこそが怪物にならないための最大の力です わたしたちがうまれてきたことは決して 蔑まれるべきではありませんよね この世界は、誰もが生きていていい世界のはずです
舞台はそんな世界の縮図です 舞台に立つことは恐怖です 自分をさらけ出す行為ですし、 全否定されるかもしれない それでも踊ろうとするのはそこに何かがあるからです それを見つけるためには、 いつも自分のことを知ろうとしなければ。 その姿勢こそが、この老人の言葉を 現実にできる唯一のものじゃないでしょうか?
何か誠実だと思わせるものがある
その《何か》を、引き出すこと それは、この世で一番シンプルな《何か》です!! これはもう、毎日の生き方を磨き抜くしかない
自分がほんとうに自分らしく生きているか
それでも、どんなに “誠実に” 生きたとしても、 わたしの外見が一目でダメだという人もいるでしょう フランケンシュタインがそれを教えてくれています
だからこそ、“ダンス” が踊りたいのだとおもいます
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