| 2014年10月30日(木) |
「ファーブル昆虫記」 |
100分de名著。 今回は―
『ファーブル昆虫記』 わずか数センチの小さな虫たちが 必死で生きる姿を描いた昆虫記。
南フランスの自然の中で昆虫を観察し続け、 その生態を詩情あふれる文章で生き生きと描写。 ジャン=アンリ・ファーブルが、 30年の歳月をかけて書き上げた書籍です!! 原題:Souvenirs Entomologiques 直訳:昆虫学的回想録 55歳で第一巻を出版。 30年かけて全十巻を執筆。
すごッッ
30年って― 俺のblogでさえまだ― ん?割といってるなw 番組最初に登場した昆虫は《スカラベ》。 別名:ふんころがし
って今、食事中なんだけどッッ(爆)
何この無差別テロ番組!? 即時停戦。 吐くわけにはいかない いや、もうマジで無理だからこれッッ わたしはカラダをつくっていかねばならんのだ!! まずは食べよう。 録画でよかった 笑笑 再開戦。
「でも、何でスカラベは糞を転がすんですか?」
突然、そこに切り込んだ女史w もっとも原始的な質問です 笑笑 先生は答えます。
「誰もいないところまで運んで、 一人で食べたいんですよ」
わたしはそれを聞いておもった。 なんだかそれって《煩悩》じゃね?? そしておもった。 スカラベも太陽礼拝したほうがいいね!
煩悩を滅するためにッッ
古代エジプトの伝説では、スカラベって、 太陽を転がす神さまの化身なんですけどね 笑笑 太陽を転がす神さまの化身にも煩悩があるのだ!! なんということでしょう 笑笑
106回 太陽礼拝しろや!!
番組ではファーブルの幼少期が紹介されました。 ファーブルは、3歳の時に弟が生まれると、 牧場を営む祖父母の家に預けられます。 ファーブルは幼い頃から利発で、疑問に思ったことは 自分で確かめてみないと気がすまない子供でした。 6歳の頃のある日のことが記述されているそうです。
幼い私は両手を後ろに組み、 太陽に向かってさっきから考え込んでいた。 私がこの燦々とした輝きを受けているのは、 口でなのか? それとも目でなのか? これが芽生え始めた私の科学的好奇心から 出された問題なのであった。
ファーブルは自分の目で太陽を見るということを はっきり知ります。 話を折りますが、この《確かめる》というのは、 自身を大きく成長させる条件ではないでしょうか? 人間の、とても大事な才能だとおもいます。 昆虫記を続けます。
この発見を話したところ、みんなに笑われて しまいます。 しかし、祖母だけは耳を傾け、 やさしく微笑んでくれました。
それはファーブルにとって大きな支えになった。 幼い頃に培った生き物への関心。 そして飽くなき探究心を認めてくれた祖母が、 ファーブルの昆虫への情熱を育てたのでしょう―
ここで伊集院光は叫びます。 「これを55歳以上になって “憶えている” のが凄い」 わたしも、ほんとうにそう思った。 伊集院光は更に叫びます。 「そのときにおばあちゃんみたいな人が、 “微笑めるかどうか” が大切」 先生も頷きます。 「やっぱり子供でも大人でも絶対的な味方って いうのは必要ですよね」
唸りました ここでおばあちゃんが微笑んでくれなかったら、 もしかしたら昆虫記はなかったかもしれません!! 後に取り上げられる『フランケンシュタイン』では、 怪物の告白はすべて失敗。 人類を《敵》として定めてしまいます!!
《その人》を《認める》ことが、 この世界でどれほどたいせつなことか
だとしたら、可能性の芽を摘むのは、 摘んでいるのは、《大人》なんですよ― ファーブル昆虫記からいきなりこんなことを 学んでしまうとは思いもしませんでした…
貧しいなか、教師になったファーブルは、 ひと月分の給料で一冊の本を購入。 『節足動物誌』 その月は奇跡的な節約で生きながらえたそうなw
その本を私は文字通りむさぼり読んだ。 その本の中で私は初めて昆虫の生態について 詳しく学んだのである。(中略) そうして本を百度も開いてみたころ、 内なる声が私に囁きかけてくるようであった。 〜汝もまた、虫の生活史を記す者となるであろう〜
その後もファーブルの鋭い視点が紹介されました。
《見えないものを見ようとする努力》
《疑問を持つことの大切さ》
番組後半戦の切り口。 ファーブルは、 昆虫は特に《本能》に支配される生き物と考えた。 どうしてこんなに不思議な行動をするんだろう、 そう考えていくと《本能》に集約せざるを得ない。 狩り蜂は、獲物となる虫の運動神経を針で刺し、 麻痺させてから巣に運びます。 しかし驚くべき能力はその狩りの方法だけではない。 獲物を巣に運んだ狩り蜂は卵を産み付けます。 獲物は幼虫のエサ。 親蜂は幼虫が新鮮なまま食べられるように、 殺さず、麻痺させているんです! 幼虫は産み付けられた場所から獲物を食べ始め、 およそ1週間でフル完食。 ファーブルは観察で、幼虫は獲物の体液や内蔵を包む 脂肪層、次に筋肉と、命に関わらない部分から食べて いき、最後に神経、呼吸器官に進むのを確認。 ファーブルは幼虫が最後まで獲物を殺さずに食べる ことに驚き、こう記した―
我々が誇りとしている生理学は、その誇りも もっともなほど立派なものだが、一口一口と 幼虫が食べていくこの順序を 間違いなくたどることができるであろうか? みすぼらしい蛆虫のような幼虫がどうやって 我々人間の科学も知らぬことを憶えたのであろう?
親蜂が産み付けた卵の位置をずらす実験では、 幼虫は育ちませんでした。 すべてがつながっているんです―
◎本能の賢さと愚かさ◎
ファーブルの実験には度肝を抜かれました 麻痺させたバッタを狩り蜂は埋めにかかります。 そのとき、ファーブルはその蜂の前で、 埋められたバッタを掘り返します。 そのとき蜂がとった行動は―
穴を埋める
目の前に麻痺バッタがいるのに、ですッッ!! バッタほったらかしで穴を埋めるだけなんですよ!! マジで信じられませんでした。。 《本能のプログラム》に後戻りは “ない” これには本当に驚きました… わたしたち人間にもこんなことがあるんでしょうか? おそろしい、おそろしいですよね??
先生が言いました。 「どうしても人間って本能から出られない、 僕はそう思いますね。 それが結果的に 非常な愚かなことである場合もあり、 非常に優れたことである場合もありますけども、 生活都市化というかね、これが 人間の本能をどんどん鈍磨させてるんじゃないか 本能が壊れていってるんじゃないかと思うんです “なんかおかしい” 論理的にはうまくいってるはずなのに、 居心地が悪いなあと思うこと、 我々にもあるんだと思いますね…」
唸りました だってわかる気がしますよねッッ?? 自然にいたほうが生きてるのを実感しませんか?? 《人間の本能》って何だ!?
番組最終章。 生とは何か?死とは何か? ファーブルは考えます。
同種族のものばかりが殺し合うのは、 人間だけじゃないか?
他の動物は、同種同士がそんなに殺し合わない。
《死》に対する《恐れ》を持っているのは 人間だけじゃないか?
先生は言いました。 「やっぱり自殺するのは《卑怯》だって考えてる んですね、ファーブルは。 他の動物は自殺しない。 だからこそ、人間てのは死ぬ意味を 丁寧に考えていく必要があるだろう、と」
更に先生は言います。 「人間はやっぱり戦いに関しては《愚か》ですね。 力量が互角の場合、 戦うってのは全く愚かなこと」
ファーブルはサソリについても実験しています。 同じかごの中に大ムカデを入れるとどうなったか。 サソリは【戦わない】んですよッッ 自分の獲物でないものには見向きもしないんです!
◎命は《循環》するから◎
伊集院光 「だとしたら、人間がもし出過ぎたところまで 生きてたら―」
先生はここでめちゃくちゃ面白い発言を放ちます! 「人間の、その出過ぎたところっていうのは、 まあ ある意味では、 《生物としてのルール違反》ってことですよね。 一種類の生き物だけ、人間みたいな生き物だけが 繁栄するってことは《ありえない》んだと 思いますね。 人間が天敵を滅ぼした結果、出てきた天敵は 人間自身だったわけでしょ? だから、 なるべく貪欲な人間の生き方ってのは否定して、 分をわきまえて慎ましく、 高貴な生き方をしてほしい、と。 そうしようではないか! そして精一杯生きようではないか! この世のもの、面白いこといっぱいに満ちてると 美しいものもいっぱいあるわけですよね?? それが野原にあふれているんだから、 それを知らずに終わりたくないなあって いうことですよね?」
ファーブル昆虫記、ほんとに興味深かった… いったい《人間の本能》が何なのか なぜわたしたちは生きているのか いろんなことがわからないことだらけです しかし、この世界は、わたしたちすべての人が 生きていていい世界です 生きているものたちは誰一人否定されていない世界。 だから、ほんとうは争わなくていいんじゃないか。 生きている限りは食べなきゃならないけど、 それは争うこととは違うんじゃないのか。 この世は《わたしは》でおさまらない世界なんです 争うことよりも分かち合うことや、 理解しようとすることが自然なんじゃないでしょうか
この世界は、《循環》が途絶えた瞬間に、 すべてが失われるのだとおもうのです
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