| 2013年05月28日(火) |
ソロモンにふさわしい百合 |
連日6時間のクリエーションは明日まで続きます。 わたしたちは6チームくらいに分かれ、それぞれ小作品が課されることに。 誰と組むか思案していると、わたしの名が呼ばれました。
Cecilia「その手足の長さ、存分に生かしてちょうだい」
なんとソロが言い渡されたんです!! 〜ものすごいチャンスが来た〜 洋舞世界のド真ん中でソロが与えられるなんて実力なしには有り得ません。
これまでの、リハビリから始まる地道な毎日が花開いたのを感じました
わたしは、あたらしいカラダで誠実に一から立て直してきた者です。 人からは努力にも見えないようなことを真剣にやってきました。 どん底でわかったこと、そして、いろんな人たちを知ってわかったこと。
それは、何よりも“自分自身”でした
自分がどんな場所に立っているか、そこから何を為さねばならないのか 何のために踊るのか、人に対して踊る意味、自分が出来ること― わたしたちは“自分自身を知らなくちゃ人に向き合えない” 行き着く先は“本当にしたい生き方”そのものです
日本団長「もうOxfordに来れないくらいのつもりでやりなさい」
0か100か、そんな激励でした。 もうやるしかない!! 生かせなければ死んでもらう、そんなものすら感じとれましたw 本当にしたいのはソロじゃない、けれど、認めてもらえたことを信じよう
今は自分のすべてを自分自身に打ち込んでみよう
Ceciliaに訊ねられたのは「“橋”をどう考えているか、捉えているか」 わたしは「切ろうとしても切り離せない鎖のようなもの」と答えました。 実は雁字搦めになることをイメージしたネガティブ発言でした。 だけど、それこそが希望に他ならないことも知っています。 Ceciliaは頷きながら関節を指差して「カラダもそうだ」と言った。 わたしは“橋”を踊りにしていきました みんなが意見を出し合って振付が決まっていく他チーム。 わたしは自分自身と対話しながら見出していくしかありません。 それを神聖視するわけではありませんが、それしかないのが現実です。
少しでも間違えば価値を示したくなる
これが人と向き合うことを、踊りを、見失ってしまう元凶でした。 踊るうえで、この危険とは常に対峙しなくてはなりません。
ダンスは“凄いことができる”じゃない
久々に生みの苦しみが襲ってきました。。 それも、明日までにカタチにしなくては、明後日は本番初日です!! この世界は、出来なければ即座にチャンスを失うことになります。 わたしは自らのすべてでこれにあたりました
今の自分に出来る最高のダンスから、何を受け取ってほしいのか
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