断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2013年02月23日(土) 「横道世之介」

あんまり『アルケミスト』に意識もってかれて前に読んだ本のこと忘れてましたw

 『横道世之介』   吉田修一

 大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。
 愛すべき押しの弱さと隠された芯の強さで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。
 友の結婚に出産、学園祭のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い…
 誰の人生にも温かな光を灯す、青春小説の金字塔。
 第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。

そもそも映画化に先立って読み終えてるのに、blogにするのは上映終了後。
なんとも参考にならぬ更新ですw
えーっと、差込あんまりないなぁ…(爆

 「ところで祥子ちゃんとはうまくいってるの?」
 届けられたジントニックを世之介がちびちびと飲んでいると千春に聞かれた。
 「最近、会ってないです」
 「そうなの?」
 「あの、千春さんは祥子ちゃんのお兄さんと…」
 「勝彦さん? 私も最近ぜんぜん会ってない」
 千春がタバコに火をつける。
 「私って結局何やりたいんだろうね?
  …自分でもわからなくなるんだよね。 知り合い方が知り合い方だし、
  世之介くんに嘘ついても仕方ないから話しちゃうけど…」

何やりたいか、今では考えられないことです。
っていうか、たぶんそれ、考えることじゃない

 「私さ、東北の田舎で育ったんだよね。 ド田舎ってわけでもないけど、
  駅前のボウリング場が唯一の五階建てビルって感じの所。
  そこで高校卒業まで過ごして…」
 「モテたんでしょうね?」
 世之介は思わず口を挟んだ。 今ではさらさらの長い髪を掻き上げながら
 物憂げにタバコをくゆらせている千春も、数年前まではこの髪をおさげにして
 自転車で学校に通っていたかと思うと、それだけでそんな言葉が思わず漏れた。
 「どうだろう…。 でもきっとモテてたんだろうね。
  中学でも、高校でも、入学するとすぐに上級生の男の子たちが
  私の顔を見にきてたし」
 その辺の女が口にすれば聞いていられない自慢話だが、不思議と千春の口から
 出てくると実際迷惑だったんだろうなと思われる。
 「…でも、なんか違うなって思ってたんだよね。 なんて言えばいいのかな、
  狭い町の中で好きな人を見つけて、結婚して、幸せになって…、
  そうじゃなくて、私、元々闘争本能が強いんだと思う。
  何かが欲しいんじゃなくて何かを捨てたいんだと思うのよ」

何かを捨てたいって本当に難しいことです。。
人を目の前にしたら“よくおもわれたい”というやつが発動してしまいます!
いつも苛まれることのひとつだとおもいます。

この小説で唸った場所はふたあつあります。
まずは世之介に共通点を見出してしまったページより。

 「考えてみれば、俺、東京で初めてちゃんと話したの、京子さんだ」
 「そうよ。 私、世之介くんの東京での友達一号なんだから」
 「俺、少しは変わりました?」
 世之介の質問に京子が品定めをするよう世之介を見て「うん、変わった」と頷く。
 「そうっすか?」
 「だってもし今の世之介くんがここに越してきても、私、たぶん声かけないもん」
 「ええ!? なんで?」
 「…分かんない。 でも、今、ふとそう思っちゃった」
 「人相悪くなったってことっすか?」と世之介は尋ねた。
 京子が真剣な顔で考え込む。
 「…じゃないと思うんだけど」
 「じゃあ、なんすか?」
 「う〜んと…、上京したばっかりの頃より…」
 「頃より?」
 「…隙がなくなった?」
 「隙?」
 「そう、隙」
 「あの、自分で言うのもあれだけど、俺、みんなから
  “お前は隙だらけだ”って言われますよ」
 「いや、もちろんそうなのよ。 世之介くんと言えば隙だらけなんだけど。
  それでもだんだんそれが埋まってきたのかなぁ…」
 「なんか中途半端だなぁ」
 「これで中途半端じゃなくなったら、ほんとに世之介くんじゃなくなっちゃうって。
  そこはちゃんとキープしとかなきゃ」
 「どうやって中途半端ってキープするんすか? …あ、ちょっと待った。
  その前にそんなもんキープしたくないですって」

隙、隙です…  これには自分も同じものを感じる
昨日のblogを見ても 「いや〜 タイスケさんだからいいとおもって♪」
そんなこと言われることがそれをこっぴどく証明してますw
隙があるっていうのは中途半端とも言い換えることができそうです。
隙がないっていうのがプロだと言われることの反対ですね。
でも、隙がないことが一概に“いい”ってことでもありません。
隙がない人には話しかける余地はないものです。
たとえば街中で道をたずねるときはどうでしょう?
隙がない人にはたぶん尋ねません。
隙がないというのは余裕がないともとれます。
すなわちそれは目に見えない壁があることを意味します。
ただし、これにはデリケートな問題を有します。
まず、隙がありすぎるというのはかなりの危険性があります。
だって自分自身の芯、意志がないことになる。
“天然”のヒトなら特別に考えなくてもまわりはそう見てくれます。
が、そうじゃなかったら事態は深刻ですw

たぶんヒトは相手によってどのくらい隙がゆるされるか、無意識に決定してる

自分と相手との距離感ということでしょうか。
時と場合によって、もしくは対するヒトによって、選んでるんです。
バカを演じたほうがいいとき、バカ言っちゃいけないとき。
ここでバカ言えちゃうのが“天然”ですもんねw
いつでも正直に生きることを選べる“天然”が羨ましくてなりません!!
わたしはそうおもっています。
なまじ頭が回ることはかえって悩みを引き起こすものです。

生きていて敬意を払われることを望む
それは、わたしたちみんながおもっていることではないでしょうか
その人にどう見られたいのか、というのはおもいきり自分の振舞いに直結します

わたしは、敬意を払われることよりも、生きていて楽しいことを望んでいます
最後の最後で笑っているために。
だってほとんどが苦しいことと隣り合わせだものね

もしその両方を望むなら、どうすればいいんでしょうか
もっとも簡単な方法はこれじゃないかな…
“敬意を払われている人間がそれを手放すこと”
手放すことがどれほど困難か、ここで問われるでしょう。
もともとその容姿で千春があのような性格になっていったとしたら?
この場合は環境です。 なにもしなくても周囲が放っておかないんです。
なによりもわたしたちはその容姿を手放すことはできません
美人が本気でそれを捨てたいといってブサイクになる整形手術やりますか?
それでも美人には美人の苦しい部分があるはずです。
わたしたちはそれぞれが悩みや苦しみをもっています。
お金の力で手に入れることはしても手放すことはしたくないのです
手に入れるには努力することです。
じゃあ、手放すことは?  手放すことは努力じゃないかもしれませんね
手放すものにもよりますが、手放すことは努力の先のものなのかもしれません

隙がある人にはその“隙がある”役割があります
言葉は悪いですが中途半端だからこそできることがあるんです
尊厳をもって楽しむ、そんな崖っぷちを歩くのだって簡単にはできないのです

わたしは中途半端をバランスということばにできるとおもっています


 「その生き生きしてるあなたが娘には眩しく見えてるらしくて、
  高校からスイスの全寮制の学校に行きたいって言い出したのよ」
 「あら、いいじゃない」
 「簡単に言わないでよ。一人で留守番もできない子なのよ。そんな子が…」
 睦美が深刻な表情を見せるので思わず微笑み、
 「どうにかなるって、本人がやりたいようにやらせてあげれば?
  それにそんなこと言うんだったら、私はどうなるのよ。
  愛ちゃんなんかより何にもできなかったじゃない」
 しばらくこちらの顔をじっと見つめた睦美が納得したように笑い出す。
 睦美が一人娘の愛ちゃんを大切に育ててきたことは知っている。
 学校選びを含め、愛ちゃんの人生にとって“大切なもの”を与えてやろうと
 必死になっている。 もちろんとても素晴らしいことだと思う。
 しかしこの仕事を始めてからつくづく思うのだが、
 大切に育てるということは“大切なもの”を与えてやるのではなく、
 その“大切なもの”を失った時にどうやってそれを乗り越えられるか、
 その強さを教えてやることなのではないかと思う。


世之介は決して頭のよいタイプではありません。
どちらかといえば“天然”でしょう。 そんな本を読んで考えました。
考えることよりも行動することが人を生かすのかもしれません
たとえそれがいつか忘れ去られるものだとしても、生きかたは比較できない
自分自身が生きること、そのラストに不思議とそんなものを感じました


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