断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2013年01月21日(月) 「日々の泡」

Boris Vian(1920-1959) パリ郊外に生れる。
ジャズ・トランペット奏者、シャンソンの作詞作曲をする傍ら、小説、戯曲を書く。
死後、コクトー、サルトルらに評価されて若者たちの爆発的支持を得る。

 『日々の泡』   ボリス・ヴィアン
 愛を語り、友情を交わし、人生の夢を追う、三組の恋人たち―
 純情無垢のコランと彼の繊細な恋人のクロエ。
 愛するシックを魅了し狂わせる思想家の殺害をもくろむ情熱の女アリーズ。
 料理アーティストのニコラと彼のキュートな恋人のイジス。
 人生の不条理への怒りと自由奔放な幻想を結晶させた永遠の青春小説。
 「20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評される最高傑作。

1/1のblog通り、2013年は海外作家の小説から始めることにしました。
そもそも『日々の泡』はある人から薦められたものです。
その人はこの日本で最高の学歴をおさめたsちえさん!
まったく悪気はないのですが、やはりそんな知人はなかなかいない現実。
sちえさんと合わせてわたしの身近で東京大学へすすんだ人は3人。
まず最初は、なんと初恋のひとの弟w
そんでもって今のところ最後はわたしの家の真向かいの家の息子。 近ッッ
ちなみに、わたしの初恋は幼稚園時代です(爆)
さてそんな人たちの思考力がどれほどのものかは計り知れません!!
どう考えてもわたしとは段違いの何かがあるはずです!!
そうです、今こそ計り知るときがきましたw

 「新刊では高村薫の『冷血』がよかったですよ。
  まあ、でもタイスケさんぽいのは、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか」

書店で探した『冷血』は、まだ文庫本になっていない新刊上下でしたから回避w
茶碗とお箸以外に重たいものもったことないですから。
気軽な重さじゃないと日々のレッスン着が重くて持ち歩きたくありませんw
さぁここでひっかかります。

 “まあ、でもタイスケさんぽいのは、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか”

んんん??? “タイスケさんぽい”???
書店で『日々の泡』を手に取ったとき、ある疑惑がわきおこりました。
なにせ日々の泡は―

 “20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説”…ですよ??

ううう… くっ苦しい。。 もしかしてそこまで人間を読まれていたのでしょうか!?
考えれば考えるほど冷や汗がとまりません。。
おそるべしsちえさん、おそるべし最高学歴!!
しかし、読んでいくと納得の内容でした。
ボリス・ヴィアンはフランス人ですから、いわゆるフランス映画です。
あの独特の描き方、それは、最もおそるべきは、その文章だったんです―
その世界観は読めば読むほど唸りをあげました
たぶん“読まれていた”のはこっちだと確信に至りますw
さすがsちえさん!! マジでおそれいりましたよ!!

 「空気中には恋が流れてる」と彼は断言した。 「熱が来てるんだ」

これが最初に活目した文章ですw
カッコイイ… こんな台詞、一度くらい口にしてみたいもんです☆
ところがその直後、奈落に落とされますw

 とある玄関口では恋人どうしがキッスをしていた。
 「ぼくは見たくなし… ぼくはなし、くさくささせられるの見たくなし…」
 コランは通りを渡り切った。 恋人どうしはキッスを玄関口でしていた。
 彼は眼をとじて駆けだした…。 が、すぐにまた眼をひらいた。
 まぶたの中に、大勢の娘たちが見え、それが彼に道を迷わせそうだったからだ。
 すると、彼の前面に娘さんが一人いた。 彼女はおなじ方向へ行くところだった。
 白羊皮のブーツをはいたきれいな脚、艶消しのパンダ革のマントー、
 ぴったり似合ったトック帽だった。 トック帽に隠れた赤毛の髪。
 マントーは肩を広く見せて彼女のまわりに揺れうごいていた。
 「あの子を追い越したし… その顔を見たし…」
 彼は追い抜いた、そして泣きだしたのだ。
 その女性は少なくとも五十九歳にはなっていた。
 彼は歩道の端に腰をおろしてもう一度泣いた。 それが彼をぐっと慰めるのだ。
 涙はかすかな響きを立てて凍てつき、
 歩道のなめらかな花崗岩に当って砕けるのだった。
 五分たって、彼はイジス・ポントザメの家の前に立っている自分に気づいた。
 二人の少女が彼の傍を通りすぎて、この建物の表玄関へはいっていった。
 コランの心臓は途方もなくふくらみ、軽くなり、彼を地面から持ち上げていき、
 少女たちのあとに続いて彼は入りこんだ。

奈落からすぐに這い上がってくるあたり、コランの若さを感じますねw
物語はおおよそ曖昧で奇妙な文章で突き進んでいきました。
しかしその中には“はっ”と度肝を抜かれる文章がちりばめられています。

 「この処方箋を作ってほしいんだが…」とコランが口を切った。
 薬剤師はその紙を受取ると、二つに折りたたんでから、
 それをぐっと巻きこんで細長い巻物にし、小さな卓上裁断機に挿し入れた。
 「さあ、これでよしじゃ」と、赤いボタンを押しながら言った。
 裁断機の刃が落ちて、処方箋はぐったりとし、やがておとなしくなった。

うわー、これ、うわー!!! た、たまらんわーーーwww

 ニコラが油いっぱいのフライパンを持ってもどってきたが、
 フライパンの中では真黒なソーセージが三本じたばたしているのだった。
 「こんなものはどうかね」とニコラは言った。
 「ぼくにはどうにもケリがつけられない。 異常なくらい抵抗するんだ。
  だから硝酸を入れてやったんで真黒けのけになったが、
  それでもどうにもなりゃしない」
 コランはうまくフォークでソーセージの一つを突き刺すことに成功し、
 ソーセージは断末魔の痙攣にのたうちまわった。

うわー、これ、うわー!!! 完敗ですwww
今まで読んできたものとは明らかに次元が違う!!

 “こんな文章、読んだことがない”

ショック、ショックでしたね。。
あまりのショックに“自分もこんな物書きがしたい”そうおもいましたw
なぜって、これは、文章でしか伝わらない種類のものだからです
だって会話になんてしてもまったく世のため人のためになりそうにありません
ただ勘違いされるだけじゃないでしょうかw
これこそは“文章のたのしさ”だからです
文字にするからこそおもしろいのです
映画が映画でしか味わえない感動のように。
ダンスがダンスでしか感じられない空気のように。

 文章には、文章でしかできないことがある

文学、文学って凄い。
物語後半、おどろくべき急展開をみせます。
このblogではわざとstoryについて触れていませんが、
空間がひずんでいくその世界は悲痛としかいいようがない
主人公たちが純粋であるからこその、たまらない悲痛さです

巻末、訳者の解説にはこのように記されていました。
 その悲痛と真実と優しさにみちた自己の実体を見破られまいとして
 ヴィアンの文学はたえず変装し仮装しぬいたものだが、彼自身が語ったように、
 あくまで変装しつづければそれはもはや変装したことにならず、
 かえって真の自己をあらわすことになるわけだろう。
 しかし、それには歳月が必要であった。
 サルトル、ボーヴォアール、レーモン・クノー、ジャック・ルマルシャン、
 プレヴェール、コクトーなど数人の具眼者に愛され、
 また彼をかこむ少数の友人たちに支持されながら、
 生前のボリス・ヴィアンは正当な文学者としては
 ほとんど黙殺されたに近い生涯を駆け足で生きねばならなかった。

39歳で急死したヴィアン。
死後、こうして後の世にその小説が読まれるということはどういうものでしょうか
どう目を通しても一般受けするものではないように見受けられます
現実の窮屈さに勝負を挑む文章をたのしめる資質が必要そうです
しかし、こんな文章を遺したひとがいたのだという事実
わたしたちがその事実を知ることができる今
それは、ごく少数の人たちがヴィアンを支えていたことに他なりません

わたしはそのことに勇気をもらえる気がしています


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]