断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年10月18日(木) 続く悪夢

先生に「ド下手」と罵声を浴びた帰り道。
あらかじめド下手だと自覚しているからこそやりきれませんでした
わかっていることをあらためて言われるのはそれが本物だと認定されたも同じだ
尊敬する先生だからこそ、決して言葉にされてはならぬのです
自分でもどうしようもない現実がたまらなく嫌になりました
どうしてこんなになってしまうんだろう
電車に乗り込み、四人掛けの座席に座って小説を取り出したそのときでした。

 すぐ隣の四人掛けの席に座っていた女性が痙攣を起こしながら倒れた

おかしいと思ったのでしょう、対面に座っていた男性が助けを呼びに走っていました
痙攣する女性の左足が椅子に蹴りを入れつづけています
女性は既に意識を失っていました
けたたましい蹴りが響きます  車内にいる全員の時間が止まったようでした
以前、医療に関わる現場にいたわたしは少なからず学んできた知識があります
すぐに駅員たちがやってきたのでわたしの出る幕はありませんでしたが、
女性は直後にひどいいびきを始めたので脳卒中、脳梗塞の疑いがあります
わたしたちがいた車両は騒然となりました

 しかし何も、何もできません  わたしたちは無力でした

担架が運び込まれ、女性はホームに降ろされましたがまったく呼びかけに答えません。
わたしたち全員が息を飲んで心配していました。  これは実話です

わたしたちはいつなんどきどうなるかわからないのです
これは自分自身が身をもって体験したことです

 大切じゃないものなんてこの世にはない

事故は不運でしたが、それに気付けたのは幸運だったとしか言いようがありません
今でこそこんなことが言えますがここまでくるのには相当な時間が必要でした
現実は“気付いたときはもう遅い”なんてことになりかねません
そういう事態に陥らなければ気付くことができない種類のものだからです
言いたくはありませんが、想像力では決して補えなえない部分があるのです

 あたりまえがあたりまえでないということは、
 あたりまえじゃなくなったときにしか気付けない

相手の立場は相手になってみないとわかりません
もちろん努力は必要です でも努力だけでは足りないことも事実
ではどうすればいいのか、おそらく考え続けるしかない
どちらにしても完全に相手になることはできないのだから

 倒れた女性の症状が重いものでないことを祈りたい
 どうかどうか重いものでないように

その願いは本心ですが見知らぬ人にどうしてこのように祈るのか
考えるとどうも黒いものが見え隠れしていることに気付きました
自分の人生に無関係だとしても同じ車両に乗っていたことは無関係じゃない
以下は一つの考え方ではありますが、ある意味で真実を射抜いています
これはおおよそ優しいからとか愛だとかそのような種類のものではありません

 自分が死にたくないからです
 自分が死ぬものだと理解したくないからです

優しさの正体を深く探れば、自分自身を疑うことは避けられません
しかし人間は自分自身を超えることができます
わたしはそんな場所にいました
わたしはそんな人たちにこころを救ってもらったのです


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Taisuke [HOMEPAGE]