断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年07月16日(月) 「きよしこ」

その帯には売り文句がこれでもかとならんでましたw
◎一生分の涙が出ます。保障します。(28歳・OL)
◎やっぱり重松清は天才!(20歳・大学生)
◎同じ泣くでもレベルが違います。(32歳・OL)
◎日本中の人が重松清を読めばいいのに。(54歳・デザイナー)
さぁ今こそ己の力でたしかめるとき!

 『きよしこ』   重松清
 君はひとりぼっちじゃない。 それを忘れないで―

 少年は、ひとりぼっちだった。
 名前はきよし。 どこにでもいる少年。 転校生。
 言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。
 思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。
 そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。
 ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。
 伝わるよ、きっと―

この小説は、“激情”を扱っている作品ではないのが素晴らしいと思いました!
激情をともなう作品には大事件が待っていますがこの作品はちがいます。

 なぜか、不思議と、その強さがわかるのです

それは主人公の内面の強さ。
涙がでることはありませんでしたがこれは間違いない秀作です。
その起伏はおだやかですが、とても内容が充実しています。
その真意はおそらく誰もが共感できるものだと思います。
人にはそれぞれ、なんてこともないような苦しいことがありますよね。
たとえば、この小説では思ったことを何でも話せない少年きよし。
まわりの人間には大変に見えなくても、本人にはおそろしい葛藤があるのです。
それはわたしにだってあります。
人に言ってもきっとわかってもらえない種類の葛藤が。
自分との闘いは、自分のものでしかない。  誰にも代わってもらえない
きっと自分でなければそれは“わかってはもらえない”でしょう。

 それでも、わかってもらえなくてもいいから、伝わってほしい

これはそのままダンスにあてはめることができます。
わかって“もらう”ことは一種の押し付けです。
一方的な押し付けほど醜いものはありません。

 「それがほんとうに伝えたいことだったら…伝わるよ、きっと」

これを信じてわたしは踊っています
フィジカルを鍛えるのも人間力を育てるのもこのためです

『きよしこ』を読んで唸ったのはすぐ、最初でした。

 お話は― 少なくともぼくの書くお話は、
 現実を生きるひとの励ましや支えになどならないだろう、と思っている。
 ましてや、慰めや癒しになど。
 ぼくはそこまで現実をなめてはいないし、お話にそんな重荷を背負わせるつもりもない。
 お話にできるのは「ただ、そばにいる」ということだけだ、とぼくは思う。
 だからいつも、まだ会ったことのない誰かのそばに置いてもらえることを願って、
 お話を書いている。

わたし自身が挑むダンスも同じようなものかもしれない。
励ましや支え、慰めや癒しになるものではないと思う。
ダンスはその人の“いま”、生き様だとわたしは考えています
そして、その“いま”、生き様は人に影響をあたえるものだということ
もし、大きく人に影響をあたえるものだとしたら、
そこには、誠心誠意・一生懸命といった“誠実さ”が不可欠です

わたしたち一人一人が、どんな人も最初からもっているものだとおもいます


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Taisuke [HOMEPAGE]