断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年07月01日(日) 「天地明察」

徳川四代将軍家綱の治世、あるプロジェクトが立ち上がる。
即ち、日本独自の暦を作り上げること。
当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた!
改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。
碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。
彼と“天”との壮絶な勝負が今、幕開く―
日本文化を変えた大計画をみずみずしくも重厚に描いた傑作時代小説。
第7回本屋大賞受賞。

 『天地明察』   沖方丁

読めば読むほど岡田●位置と宮●あおいがピタリとはまる気がしましたね。
まぁあくまで、本人というよりもそう見える“演技”の話ですw
さて、わたしは原作が本屋大賞だっただけに文庫本で読むことにした。
本が面白いんで映画になったわけですから映画はついでのようなもんにしたい。

 あわよくば見なくてもいい

そういうわけで、上下巻読み終えました!  さすが本屋大賞w
史実に基づいているためなかなか難しい問題はあるもののほんとによく描けています。

 「いえいえ、私の齢じゃ、寿命が来るまではとても追っつかないでしょうねえ」
 と伊藤は言う。 だが逆に言えば、それは、
 実際にやろうと算段を整える努力をしたことがあるということだ。
 天まで届く巨大な城の設計図を試しに書いてみたといっているに等しい。
 それだけでもどれほどの学問習得と日々の研鑽が必要だったか。
 想像して春海の背をぶるっと震えが駆け抜けた。
 「なら、ねえ…若い人に、考えだけでも、伝えておきたいと思いましてねえ…」
 伊藤はそう言ったが、春海がそのとき深く感銘を受けたのはまったく逆のことだった。
 人には持って生まれた寿命がある。
 だが、だからといって何かを始めるのに遅いということはない。
 その証拠が、建部であり伊藤だった。
 体力的にも精神的にも衰えてくる年齢にあって、
 少年のような好奇心を抱き続け、挑む姿勢を棄てない。

算術も同じなのだと思った。
何かを解き明かしたり、何かをしたいと思う気持ち。  まったく理屈じゃない

 優しい声に顔を上げ、その、ただ坐っている相手の姿を目にしただけで、
 はっと驚いた。 坐相というのは、武士や僧や公家を問わず、一生の大事であり、
 日々修養の賜物である。 坐ったときの姿勢作りに、品格や人徳までもが
 おのずからにじみ出る、というのが一般的な所作挙動における発想だが、
 春海が見たのは、およそ信じがたい姿だった。

 不動でいて重みが見えず、“地面の上に浮いている”とでも言うほかない様相である

 あたかも水面に映る月影を見るがごときで、触れれば届くような親密な距離感を
 醸しながら、それでもなお水面の月を人の手で押し遣ることは叶わないことを
 思い起こさせる。
 そんな神妙深遠の坐相をなすのは、痩顔細身に深く皺を刻み、病が癒えてのちも
 さらに視力衰弱、白濁しかけた両目を優しげに細める、齢五十七の一人の男であった。
 不思議なことに、そこにいるのは、ただの男だったのである。

これは身体のことを生業としていればなにも感じないわけにはいかないところです。
わたしは酷使から踊ることを学んでいる身の上。
坐相では、まず自分自身をその筋力でこれ以上ないところへと引き上げること。
それと同時に意識するのは“やわらかさ”そして“ひろがる空間”です。
わたしがやろうとしているのは「他を圧倒」するものではまったくありません。
しかしこれこそが坐相の難しいところです。
引き上げることに集中すれば身体は強張るし、やわらかさに集中すれば弱くなる。
つまり、一定でとどまることはないのです。
そう、必要なのは、せめぎあいが生じているなかで常に調和を導く努力!

できることならカラダを忘れる踊りが踊りたい
カラダの力というよりも、空間に溶け入ってしまいたい

相反することを言いますが、それにはカラダの力が必要です。
動く動かないを別にして、肉体があるからこそ“意識”できるからです。

 「弟子を持て、道策。大勢の弟子を。 お前が星となれば、
  多くの才ある者が迷わずに、お前のいる場所へ辿り着く。
  中には、お前を追い越してゆく者だっているだろう」
 それが、もう一つの春海の素直な思いだった。
 自分がひたすら関の背を追い続けたことからの実感である。
 そしてそれこそ関や道策に、春海が何より期待することであり、
 彼らの天命であることを彼ら自身にも増して感じていた。
 関が、“算学”という、無知の者にも算術を学ぶ機会をもたらす思想を抱いたのも、
 彼の天命ゆえだと春海は信じている。

みんな、誰しもそれができたらと思っているんじゃないでしょうか。
だけど誰でもできることじゃないのかもしれない。
春海の場合、先人から託されてきた時代の寵児と言えます。
この物語では春海よりも先人や周りのほうが優れた人物のように見えます。
しかしまとめることができるのは結果として春海しかいなかったのです。
春海は選ばれた人物だと言える。
もちろん本人の努力がなければまとまることなど絶対にないでしょう。
だから、すべてはどんなことも頑張ることがきっかけ。
それが“本物”であれば周りのひとたちが必ずたすけてくれる。
物語でも春海は何度も苦渋を味わうことになります。

 ですが最後はすべてのピースが埋まっており、なるようにしかなっていないのです

あきらめなければそんな瞬間がわたしたちにもきっとおとずれるのだとおもいます
この物語は時代を変える話ですが、どんなに小さなことだとしてもそれはあるはずです
他人から見ればたいしたことじゃなくても、その大小が問題ではありません
大事なものは人によってそれぞれ違うし、量れるものではないからです


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Taisuke [HOMEPAGE]