断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年05月19日(土) 「虹色ほたる」

始まった瞬間“この映画はいい”そう直感した―

 『虹色ほたる』 〜永遠の夏休み〜
 それでも、こどもたちは今を生きる

※映画『虹色ほたる』は、親が子供を連れて、そして子供が親を連れて映画館に行き、一緒に見て、一緒に楽しみ、そして一緒に語り合い、忘れられない思い出を作ることができる良質な正統派ファミリー映画であり、1958年の『白蛇伝』から始まる伝統ある東映アニメーション株式会社が、全社を挙げて製作し、満を持して送るオリジナルアニメーションです。

台詞ではなく、アニメーションに心がこんなに動かされたのはひさしぶりです!!
これこそが映像の力、その力に何度も打ち震えてしまいました。
物語の全容がわかってくる中盤以降、わたし自身にわきあがる衝動がありました。

 「なんとかしてくれ!!」  「幸せになってくれ!!」

小学6年生の主人公ユウタは自分の考えを言えない“決められない”子どもです。
いつもごにょごにょはぐらかす態度をとるユウタにイライラが止まりません。
きっと、わたし自身がそうだったからです。

 小学生にこの状況を解決できる経験なんてあるものか

この映画は本当によくできていました。
現実はファンタジーではないからこそ、映画では幸せになってほしいと願いました。
こんなに強く意識したのは、ユウタにも、さえ子にも痛みがあったからです。
二人とも小学生ですが、どうにもならない逃れられない過去をかかえていました。
ある意味では主人公ユウタのこころの成長と勇気が問われる物語です。
なぜならユウタしかすべてを知らないからです。
さえ子の未来を変えられるチャンスを有していたのはユウタだけでした。
ユウタの成長力と感受性は一本気のあるケンゾーとの友情で開花します。
それはゲームやネットワークで培うような表面だけの友情ではありません。
大自然と共に生きて、生身の人間同士が全力で遊んで手に入れる友情です。
劇中の友情とわたしたちがもつ友情には密度におそろしい差がある気がしてしまいます。
わたしはギリギリ自然と一緒に遊んできました。
両親は二人とも仕事で忙しくて林間学校に行かされていたのを記憶しています。
わたしはやせっぽっちでのろまでしたからほとんど友だちもいませんでした。
それでも母親の実家がもつ山や川で遊んできたのです。

 この世界で幸せを見出すにはユウタと一緒にわたしたちが成長する必要がある

『虹色ほたる』はそれをじっと待ってくれています。
小学生たちの“もう二度と戻れない少年時代”がそれをおしえてくれるのです。
手を振るケンゾーにわたしは涙がとまりませんでした
もう二度と会うことはできないケンゾーに手を振り続けるユウタ
実のところわたしたちが生きるこの世界もこの映画と同じです。
なぜならわたしたち誰もが二度と戻らない時間軸に生きているからです
一瞬の輝きを放つ蛍に、その一瞬の大切さを重ねられる秀作でした!!



そのラストはファンタジーそのものですが、素直に見ることができました
ただ、最後の文章だけは納得できません  ここだけは譲れない
どうにも筋違いな気分が巻き起こりました。
文章にしなくとも十分に映画が伝えていたからです。
過去を乗り越えたユウタたちに「それでも」という言葉はまったくあてはまりません
「それでも踊っている」とわたしだって言おうと思えば言える。
しかしそれはネガティヴでマイナスのイメージしか伴いません。
「それでも」という言葉は乗り越えていない証拠です!
だから絶対に「それでも」なんて使いたくない    「それでも」なんて誰にでもある

 生きているのはこどもたちに限らず、わたしたち大人もまったく同じだからです


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Taisuke [HOMEPAGE]