断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2011年12月01日(木) 「ピアノの森(21)」

『ピアノの森(21)』
 雨宮は俺の初めての同志だった。
 コンクールはついに佳境。
 ファイナルでの出番が迫る中、カイと阿字野の最後のレッスンが始まる。
 その頃、自らの甘さに気がついた雨宮は…

このマンガは“ダンサー”にすべてを置き換えることができます。
かなり泣きそう いや、泣いてしまいました…

 建物の設計図とそれを造る職人との関係に喩えたことがあるよね
 図面自体がどれほど素晴らしくても…
 それをどう捉えるかでまるで違う建物になるだろう

同じ振付なのに この人とこの人のダンスが違うのはどうして?

この話題で絶対にはずせないもの。
それは、踊り継がれていくほどの“振付”。 設計図です。
設計図があるのなら、それを建てるための基本的な知識が必要でしょう。
ダンサーの場合、振付を踊るための基礎力です。 まずはその振付を踊る力がいる。
さぁそこで問題です。

 〜その“振付”とはいかなるものか〜

「今」から考えれば、たぶんそれは人の歴史がつくってきた“種類”。
だからこそ、その種類に特化した人間でなければ踊れないのです。
『ピアノの森』、その“ピアノ”を踊りに置き換えるなら“バレエ”が適当です。
その意味があくまでもアカデミックな見解だからです。
そうは言ってもその道を行くには血の滲むような修練を積まなければなりません。
そうしなければ振付をダンスに昇華できないからです。 曲を音楽にできないのと同じ。
つまりどちらも“技術あっての”ダンス、ピアノということです。
これが人の歴史であり、その歴史が正統性を定義しています。
今現在それは先ず設計図ありき、のものだということ。

 ダンスは設計図なんかなくたって踊れる

ピアノだって曲がなくても弾けるじゃないですか。
受け継がれていくものじゃなくとも、その瞬間は比べられるものじゃない。
厳しい鍛錬をつづければつづけるほど安易に踊れなくなります。
つきつめればつきつめるほどそんな瞬間のものを卑下する傾向を生んでしまうものです。
それは“ダンス”を人に見せるものだとする、絶対的な観念。
そもそもわたしは設計図なしでガンガンに踊っていた人間です。
さぁここへいくと戻って来れません。
わたしたちに永遠の課題としてこの世に与えられているようなものです
積み上げられたものと瞬間のもの
〜ここではその歴史、設計図ありきで事象をあたってみます〜

 ピアニストとは本質的には職人だと考えるようになった
 10人職人がいたら10種類の家が建つ?
 そうかもしれないな!
 使う材料によっても全然違うもんね!
 木を使うか石を使うか土を使うか… ワラだってある
 木にだってたくさん種類があるし…
 じゃあピアニストの材料は何だろう?
 う―ん たとえば一つは感情…
 それならわかる!
 嬉しい悲しいすごく頭にきた殴られて悔しい泣きたいけど我慢した
 たくさんあるよ 生きてるだけでイヤなコトにたくさんあう…
 そうだね 辛いこと…たくさんあるな
 大切な人を失くしたり 大切なモノを失くしたり…
 でも楽しいことも嬉しいこともあるだろう?
 どうしても傷つきたくなかったら…
 一生誰ともかかわらないでたった一人で隠れて生きるしかない
 そんなことできねーし… だってご飯食べなきゃ死んじゃうもの
 辛いことは心を強くする… 楽しいことは心を豊かにする
 きっとその両方が人を成長させていくんだと思う
 両方かあ… 片方だけでいいな
 カイ、全部材料にしてしまえ!
 ピアニスト・一ノ瀬海にとって…きっとムダなことなど一つもない

自由に踊るには絶対に知っていなくちゃならないことがあります。

 それは、自分自身のカラダの限界

得意なこと苦手なこと、動ける範囲と空間を動かせる範囲、自分のカラダの限界。
その限界を知るからこそ無限大に挑めるのです。
あたらしくなったわたしはまだ自分の限界がわかっていません。
まだ底がみえないのです。
自分で言うのも変だけれど、まだまだやれる可能性を自分自身に感じるんです
ただ、時間は待ってくれません  それだけは確かです
カイが言います。

 身についているならできる!? …だとしたら方法は一つ
 ただ ただ 集中するのみ!!
 そうすれば… そうすれば 頭がカラッポになって… 森に行ける!!

わたし自身がつくり、踊ってきた作品はいつだってこのスタンスでした
ただ ただ 踊りに集中する
しかしそれができないもの、たとえばバレエではこの域にまったく到達していないのです
ダンサーとしてそんな状態で舞台にたつことがどれだけ苦痛かわかりますか?
自分の力のなさを知るときの言い知れない怒り
それは、ダンサーとしてみなされない現実を知るからです
設計図を踊りに昇華できる力がいるんだ
設計図どおりにやれたところでそんなのは踊りじゃない
設計図を超えなくちゃいけないんです

設計図を自らの踊りにしたいのなら、先ずは設計図どおりに踊れなくちゃ話になりません
技術が必要なんです これが古典です 世界の在りようです
決して悪く言っているんじゃありません これがフツーなのです
特化した人間でなければ、歴史はつむげないから  そして未来も

個人的なことを言えば、わたしは“森”に行きたいだけです
設計図が踊れなくたって、森には行けるはずなんだから

 わたしは“いい”とか“わるい”の踊りがしたいんじゃない

しかしそんなものはこの世界においてほとんど認められていません
わたしが踊るためにはこれを打開していかなければならないのが現実です
そのためには、森に行くためのすべてが必要だと感じています
ムダなものは何一つないのです


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Taisuke [HOMEPAGE]