こないだ『陽だまり〜』を読んで拍子抜けしたわたしはまたも恋愛小説に手を出し… だってあまりにも納得いかなかったんだって!! 今度は陽だまりを購入した某大型書店で、陽だまりの隣に並べられていたものw
◎その売り文句がこれ↓↓ “最強の恋愛小説集”という一文が気になって手に取りました。 読み終えて今、本当にこの本は最強だ!!と心から思っています。 どのお話も普通じゃないんです。 すごい変化球なんです。 ストレートにキュンとこないんです。 なのにすっごく魅力的。 なぜこんなに魅せられるのか。 それは、この本に描き出された恋や愛の純度が高くて深度が深いからなのではないか。 この素敵な素的な本を、もっと多くの人に読んでほしいと思うのです。 強く強く思うのです。
『きみはポラリス』 三浦しをん 誰かをとても大切に思うとき放たれる、ただひとつの特別な光 カタチに囚われずその光を見出し、感情の宇宙を限りなく広げる、最強の恋愛小説集
しかし、連鎖はつづきます。 〜どうしてこれが最強の恋愛小説集なのかわからない〜 微妙な展開にどうしても共感できない!! 変化球すぎるだろ、これ! ストレートにキュンとこなくてなんで最強の恋愛小説集って言えるわけ?? おかしいぞ、それ― それでもいい文章はあった
いつも不思議に思うことがある。 どうして恋に落ちたとき、ひとはそれを恋だとちゃんと把握できるのだろう。 たとえば私の初恋の相手は、保育園で同じさくら組だった健斗くんだが、 まだ「恋」という言葉も、その意味もよくわからなかったのに、それでも すごくはっきりと、「健斗くんのことが好きで好きでしょうがない」と感じる 自分の心に気づいていた。 彼のことを特別だと思ったし、彼と一緒に遊ぶとドキドキしたし、 彼も私のことをそんなふうに思っていてくれればいいのにと願った。 言葉で明確に定義できるものでも、形としてこれがそうだと示せるものでもないのに、 ひとは生まれながらにして恋を恋だと知っている。 とても不思議だ。
そう言われるとたしかに不思議なものを感じる。 スイッチでもあるのか!? “好き”と“恋”の違い、それは明白。 〜思い煩う次元が違う〜 好きな気持ちに恐れはないけれど、本物の恋には恐怖がつきまとうものです。 わたしの場合、ほとんどの場合において“好き”を発見できます。 第一、好きと嫌いは表と裏。 いいときもわるいときも時と場合に左右されるもの。
魅力とは、諸刃の剣だと知っているからです
しっかしこれ、突拍子もない物語もありはするけど軒並みページがすすまない。 そういうわけで、好きな気持ちに終わりはなくても恋する読書にはけじめが肝心。
しばらくこの手の小説は読むまい
ページがすすみまくる恋愛小説に出会えるのはまだまだ先のようです。。 っていうか、読書くらいページすすませてくれたってよくないか?? ある程度救いをもとめてるんだから不憫すぎるぞ こんにゃろ
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