LORANの日記
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人の悩みは感情の悩みです。
感情の悩みは肉体の悩みです。
それは当然ですね。
ほかに考えようがありません。
ですから人生は悩みの連続です。
この世は苦界とか苦海という言葉もあります。
では、本当にこの通りなのでしょうか?
そんなに苦しむために、この世へ生まれてきたのでしょうか?
「カルマ」と言う前世や過去生の因縁なのでしょうか?
そんなにこの世界は救われないものでしょうか?
私は全く反対の結論を得ています。
お釈迦様もキリストも全く反対の言葉を言っていたと思います。
誰かがお釈迦様やキリストが書いた言葉を、入れ替えたのでは
ないでしょうか?
お釈迦様やキリストやソクラテスの書いた物は存在していません。
当時抜群の頭脳を有する偉大な存在が、字を書けないはずがありません。
もし誰かが焼却するか、隠してしまったら、存在しなくても当然です。
そして、当時の為政者に都合の良い言葉で書いてしまったのかも知れません。
偉大な存在が最も伝えたかったこと。
それは「肉体と感情は同じであり、自我の意識を独立させなければならない」
ということでした。
死が怖いのは肉体であり、肉体が有する感情です。
肉体は死ねば捨てられ、無くなってしまうからです。
ですから死に関するもの全てが恐怖です。
病気、怪我、天災、飢えや旱魃、戦争、そして確実に近づいてくる
明日という未来が恐怖です。
人は感情に支配されているので、この恐怖を自分自身の感情と誤解しています。
それで毎日が不安であり、未来もまた不安になります。
お釈迦様やキリストは全く反対に考えていたと思います。
「感情に支配されてはならない。」と戒めているのが証明です。
では真実の教えはなんだったのでしょう。
それはとてもシンプルです。
「自分が神である。 あなたもまた、私と同じである。」
「全てに仏性が宿る。」
これらの教えは共通です。
「人も全ても神そのものである。」
「感情を離れれば、即時に神に戻ることが可能である。」
感情から離れれば、死はまったく怖れることでは無くなります。
私たちの転生の主役である本質=魂は、肉体から離れることを
切望しています。
一瞬でも早く、肉体から開放されたいのです。
このように「死」は歓びを封印され、苦しみに差し替えられて
しまいました。
そして2000年間以上に渡って、人々は苦しみの転生を繰り返して
来ました。
いまようやく本質=魂の夜明けが訪れました。
「おめでとうございます。」
宇宙中から歓喜の合唱が聞こえてくるようです。
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