LORANの日記
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(昨日の続きです。)
「人は誰でも同じ」と信じています。
これが社会の共通認識=常識=認識の基礎になっています。
確かに人類の学名は、脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科です。
全ての人は「ヒト科」に属しているので、その仲間であることは事実です。
それは肉体という分類においてです。
多くの人は、「人はすべて同じ」という誤解をしています。
それで好き嫌いをすると、「わがままはいけない」などと言います。
しかし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなのが自然です。
学校給食で児童に無理やり食べさせるのは、人権侵害です。
では、先生は嫌いなものは食べなくてもいいのでしょうか?
誰でも努力すれば、同じことができると思っている人がいます。
努力によって、多少の進歩は可能かも知れません。
それよりも、好きなことをする方が能率も上がるし、気分もいいでしょう。
いやなことを無理やりさせられるのは、ストレスが溜まってしまいます。
これらの問題は、「人はすべて同じ」という誤解が原因です。
同じように見えても、その中身、意識は一人ひとりが異なります。
「肉体の分類が同じなら、意識も同じである。」とはならないのです。
民族、文化、宗教などが異なるだけで、同じ地域に住んでいても戦争になることもあります。
インドは第2次世界大戦後、イギリスから独立しましたが、ガンジーの死去後、インドから
パキスタンが独立し、その後パキスタンからバングラディッシュが独立しました。
このように意識の相違から様々な問題が生じ、戦争にまで発展してしまいます。
同じ親から生まれた兄弟でさえ、殺し合いになることもあります。
もしすべてが同じなら、もっと仲良く暮らすことが可能ではないのでしょうか?
それができないのは、単に感情の問題ではないと思います。
一人ひとりの意識が異なることを理解する必要があります。
相手と自分を比較しても、意味がないことを理解できるでしょう。
相手には相手の価値感や生き方があることを理解できれば、相手の批判や非難を
しなくなるでしょう。
お互いが批判や非難をしない社会は、平和な社会であると思います。
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